今回は、「施工管理は棟梁と同じ存在であるべき」ということについて書いていきたいと思います。棟梁=大工の親方のことじゃないの?と思う方もいると思いますが、その認識はこの記事を読むことで変わるでしょう。
日本建築や職人の歴史をたどり、施工管理の原点を知る。そこから、施工管理としての役割について考えていきたいと思います。
1400年以上の歴史を持つ日本建築
まずは、日本建築の歴史から振り返っていきたいと思います。奈良の法隆寺ってありますよね?そう、聖徳太子が607年に建立し、築1400年以上の歴史を誇る建物で、世界最古の木造建築と言われています。
聖徳太子は、歴史的な木造建築物を作った人でもありますが、実は、差し金などの道具のはじまりも、聖徳太子が中国から持ち帰ったことで建築道具として使われるようになり日本中に広まったと、いう歴史があります。そのため、聖徳太子は「大工の神様」とも呼ばれていたそうです。
同時期に、中国や朝鮮などの渡来人から建築技術や土木を学び、それが日本建築の基礎となって、形を変えながらも師弟の口伝によって現代の職人へと技術が受け継がれてきました。
このように日本建築や職人の歴史は長く、1400年もの間、建築を通して日本経済や人々の生活を支えてきました。
戦争前後の「棟梁」の意義
そうした長い歴史の延長線上に、あの法隆寺の修復を手がけ「最後の宮大工」と称された西岡常一氏が、棟梁の最高峰に君臨していました。西岡氏は数々の名言を残し、現代の建築にも何かを訴えかけてくれる、まさに伝説の大工です。
戦前には、そうした伝説を残した職人を筆頭に、建築技術者がたくさんいました。当時は、施工管理や建築士は存在しなかったので、棟梁自らが設計をし、職人を引き連れて施工から管理まで行う「設計施工一貫方式」で業界は成り立っていました。
町の棟梁は、その地域において権威ある存在だったのです。逆に言えば、建築のお願いは棟梁にお願いをするしかなかったので、それはそれは持ち上げて気を使うべき存在でした。
ちなみに、Wikipediaで「棟梁」と調べると、このように書かれています。
・棟梁(とうりょう)は、組織や仕事を束ねる、中心人物である。
・現代社会では大工・石工の元締めや現場監督、現場代理人などを指すことが多く尊称として扱われる。単なる土木工事現場の現場監督などが棟梁と言われることはない。
「棟梁」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2022年8月22日18時(日本時間)現在での最新版を取得。
これを読むと、「え?棟梁って大工だけじゃなく現場監督のことでもあるの?」と不思議に思われた方もいるかもしれないですが、これは正解です。その理由は後ほどお話しします。
ハウスメーカーやゼネコン主導の時代へ
戦後の法整備が進む中、昭和25年には建築基準法が施行されました。高度経済成長期には、工業製品の開発なども進んでいき、品質の確保も行われるようになっていきます。
昭和30年代半ばには、「3時間で建つ勉強部屋」というキャッチフレーズで、大和ハウス工業が「ミゼットハウス」という日本初のプレハブを発表しました。この商品こそがプレハブ住宅の原点で、ハウスメーカーのはじまりとも言われています。
生産効率と品質の均等性、生産コストの削減、短納期のすべてを実現した商品の誕生は、あっという間に人気を博し、大ヒットしました。ここから世の中は、ハウスメーカーやゼネコンを主導とした時代へ一気に転換していきました。
その影響を受けた町の棟梁や職人は、その波にのまれ、ゼネコンやハウスメーカーの傘下に入らざるを得なくなり、棟梁としての権威は後退していくこととなりました。
そして、昭和30~40年代には施工管理が次々と誕生し、ハウスメーカーやゼネコンに属して、品質管理、工程管理、安全管理、原価管理をする方々が現場の指揮を執るようになりました。
これにより、職人は工事の作業員、施工管理は工事の管理者、建築士は設計というように役割が区別され、言うなれば「設計施工一貫方式」の時代の棟梁の業務を分ける形で、建築工事の体制が構築されるようになりました。
棟梁業が枝分かれして誕生した施工管理
このように、施工管理の原点をたどってみると、建築現場での指揮官をしていた棟梁の仕事が時代の流れと共に変化し、枝分かれしたことで誕生したのが施工管理ということがわかります。
つまり、施工管理は棟梁業の一部だというわけです。そう考えると、Wikipediaに書いてあることは、あながち間違っていないということがわかります(笑)。大切な仕事の一部をいただいたわけですから、私たち施工管理は棟梁業の何かをしなければなりません。その”何か”とはなんでしょうか。
たとえ話で考えてみましょう。国難級の大きな災害や戦争によって、街がまるごと消えてしまったとします。政治的にも人々の生活的にも大混乱の中、復興の即戦力がある(仮設住宅を建てたりできる)のは、やはりつくり手である「職人」だけです。
まさに職人は救世主となるわけですが、その時に施工管理はモノを建てられる技術はないわけですから、何もできません。現場では戦力外です。だからといって、何もしなくて良いということではありません。
施工管理としてできることはたくさんあるはずです。早い段階で情報収集をして、建築士と連携し、プロジェクトを計画し、一刻も早く職人の働くフィールドを作りだし、最後まで総体的に復興に携わる。これが棟梁業の一部をいただいた「施工管理」としての仕事だと思います。
左脳の施工管理、右脳の職人
戦後の高度経済成長期を越え、バブル期を越え、多くの天災を乗り越えてきた先輩方が、施工管理の基礎を築いてくれました。
「温故知新」と聞くと、どこか古くさい感じはしますが、私たちが棟梁ってどういうものなのか?を学ぶことは、施工管理の原点や新しい道を開くキッカケを探ることにも繋がります。
棟梁業が枝分かれして50年。ITも想像を超えるほど発達して便利になった時代だからこそ、今まで考えつかなかった「新たな建設業界」を考えることができるようになりました。
これからは、新しいテクノロジーを活用し、今まで以上に職人さんのパフォーマンスを発揮させて、左脳の施工管理、右脳の職人、合わせて「建築棟梁」という連帯感を持って、日本の誇れる建築業界を目指していきたいものです。