最大の人的被害が発生した石巻を復興するために
東北有数の漁港を持つ宮城県石巻市は、東日本大震災により死者3,000人以上、行方不明者400人以上という最大の人的被害が発生した都市だ。あらゆるインフラが壊滅的な被害を受け、市内全域でライフラインが停止。都市としての機能が完全に失われた。
石巻市に本社を置く、地域建設業者の株式会社丸本組も甚大な被害を受けた。だが、発災当日に災害対策本部を立ち上げると、緊急輸送道路を啓開する「くしの歯作戦」への協力やガレキ撤去・災害廃棄物の受入れなど、石巻に根付き、石巻を愛する企業として奔走した。
この丸本組で働く金戸友太さんも、復旧・復興に尽力した技術者の一人。埋立て工事現場の現場代理人として働いていた最中、被災した。自らも津波によって自宅と家族を失った中で、生まれ育った石巻のために、全身全霊で復旧・復興工事の最前線を担ってきた。
震災から10年。復興に当たり地元の建設業者と、そこで働く建設業従事者たちが果たしてきた役割はあまりにも大きい。自らも被災した中、復旧・復興に力を捧げてきた技術者としての誇り、そして地元・石巻に対する思いについて、金戸さんに話を聞いた。
働くなら、自分の住む町を支える仕事がしたい
石巻に生まれ育った金戸さんは、高校も地元の県立石巻工業高校に進学した。土木業界を志したきっかけは、明確に覚えている。高校在学中、担任の先生から「『シビルエンジニアリング=市民のための技術者』として、そこに住む人々の暮らしを支える仕事が建設業である」との言葉に、深く感銘を受けた。
高校を卒業後は、多賀城市にある東北学院大学に進学したが、「建設業界に入職するのであれば、自分が住む町の暮らしを支えていきたい」と考え、戦後間もない1946年に創業し、以来半世紀以上に渡り、石巻を拠点として社会資本整備を行っている丸本組に入社した。
入社後は、自身が目指した「地元に住む方々の暮らしを支えたい」という思いの通り、地元に密着した工事を行ってきた。入社3年目。順調にキャリアを積んでいき、現場代理人も任されるようになった頃、震災が発生した。
東方大震災で家族を亡くしたのほ彼だけではないし、東北の業者は官民一緒に同じ思いでこの10年を生きて来ました!
1つの会社だけを取り上げるのは提灯記事ですか?
普通に考えて全部の企業を取材される方が難しいでしょう?当日の事を話したくない企業や人だっているでしょうし。なぜそんな考えしかできないのか不思議でならない