「建築の設計を楽に」はド素人の考え方!検討が不十分な図面ほど迷惑な存在はない

「建築の設計を楽に」はド素人の考え方!検討が不十分な図面ほど迷惑な存在はない

「建築の設計を楽に」はド素人の考え方!検討が不十分な図面ほど迷惑な存在はない

「設計を楽に」など、ド素人の考え方

建築は、大小に関わらず常に”一品生産”だ

基本的なところは同じ詳細の積み重ねや使いまわしもあるが、そもそもプランが違えば細部が違って来るのが当たり前で、画一的な細部の納まりが受け入れられないのは至極当然のことだ。

建築の設計や現場に関わりの無い人ほど、あるいはよく知らない人ほど「”画一的なディティール”を作り、それに乗っ取って図面を描けばいい」などと簡単に、平然と言うが、一つの納まりに対して最低でも20種類くらいの可とする標準納まり図を作り、その中から設計者が取捨選択する自由があれば、私も賛成する。だが、示された納まりがせいぜい2、3つでは話にならない。

結局、そこまで考えるなら、最初から一品一品現場に適した最適解の納まりをその都度考えたほうが早い。なんでそんなに手間暇を省こうとするのだろう?

建築の設計を簡単にしようなんて、ド素人の考え方だ!

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簡略化したつもりが、逆に見づらい図面に

そもそも、そんな話が出るのは建築のことをよく知らない人たちだからだ。何でも規格化して、それを組み合わせればいいなどと考えてる人たちだ。

少しでも効率良くしよう、その組織の設計の質を一定レベル以上に保とう、とする意図は分からなくはない。だが、統一規格で設計を進めようなんて考えは建築の本質からは遠く離れた考え方だと言わざるを得ない。建築の品質を極力均一に保つためなどと言う人もいるが、その前にやることがあるだろう。個別の建物に最適解を考えられる設計者を育てることが第一だと考えるべきだろう。それは、上に立つ建築技術者が断固として主張しなければいけないところだ。

今のまま理屈や効率や採算だけを考えてると、冗談じゃなく人工知能搭載のコンピューターが設計するようになり、誰も異を唱えず、その結果施主から新たな要望や 変更が出てきた場合、「人工知能の設計がこうなってますから!」などと答え、変更をコンピュータにお伺いをたてるのだろうか?

あと2、30年もすれば、処理能力が格段に向上し、あらゆる条件を飲み込んだ上で設計ができる技術がうまれるだろう。だが、工場や事務所ビルは比較的理屈を積み重ねて設計を進められるが、その他の人間の気持ちに左右される建築はそうはいかない。

人間の希望や要望は理屈に合わないことも多く、一度決めたことも後々考えが変わるなんて毎度のことで、そんな人間の希望を万一人工知能が拒否したらどうなるのだろう?

まあ、これはいささか話が飛躍しすぎかも知れないが、現場の施工や施工図を描く技術者がどんなに優秀な人たちの集団でも、根本的な設計が一番大切で、大元の建築図面がしっかりできていることが必要不可欠なのは言うまでもない。

色々な設計組織やゼネコンの設計部で、様々な方法で図面の効率化や詳細部の標準化を試みているが、上手くいっている、あるいは感心するような図面を見たことがはない。記号で仕上げなどを描き、いちいちその記号を参照しないと分からないような、簡略化したつもりでも実に見にくい図面になっていることが多々ある。

設計事務所などは、独りよがりに図面に新たな手法を取り入れるのはいいが、ひどく読みづらい図面になり、自分たちの手元を離れ、施工図を描く人に渡り、あるいは現場に出回り、結果として良い影響を与えている図面は滅多になく、逆に見づらい、理解しづらい図面が増えているように思う。

何かを変えなければという話から始まり、何かやらなければ、不完全でもいいから何か結果出さないとマズイなどと、不十分な検証のまま実行されてしまっているからだ。

するとどうなるか?何てことはない。全部のしわ寄せが現場に行く。

図面が無いほうがまだマシ

平面、立面、断面、矩計から、徐々に細かい部分の検討に入っていくわけだが、所属する組織が大きければ大きいほど、別の言い方をすれば、名が通っていれば通ってるほど、全体に関われる可能性は少なくなる。それぞれの図面を細分化し、何人もの人間で描くのを前提で考えるから、標準化などいう言葉が生まれる。

矩計で詳細の検討をしたら、「天井が低すぎるから、もうちょっと高くしよう」「階段の一段目からの距離をもう少し距離をとろう」「手洗いの棚があるので、もう少し窓の腰高を高くできないか」など、詳細に進めば進むほど、検討や調整事項が増えてくる。

本来なら最低限ギリギリの寸法からスタートして、その寸法を確保した上で全体のバランスを考えながら各部の調整をしていくわけだが、図面を描く前からその予想をし、位置や配置をどれくらい考えられるかが設計者の能力だと言える。

だが、これはそう簡単に身に付くものではない。長年の経験と知識の集積と言えば聞こえがいいが 要は失敗を繰り返し、何度も悔しい思いをしながら図面を描き直す経験が無いと身に付かない。少なくとも、自分が関わる図面を可能な限り自分で満足できるところまで描き切ることが進歩に繋がっていく。

しかし、多くの設計者は決して口には出さないが、最後は現場頼みだと考えている。私も設計事務所時代は、心の底ではそんな風に思ってる部分あった。いい加減な図面の責任は全て現場に来る!と、設計から施工の世界に移ってつくづく痛感した。

検討が不十分でいい加減に済まされた建築図面ほど迷惑で厄介な存在はない。いっそのこと、「図面が無いほうがまだマシだ!」と思ったことさえある。

効率よく描くとか、標準化するなどと上っ面を撫でまわして、理屈をこね回すより、図面を描く人間なら自分が関わっている図面だけでも完璧に仕上げようと努力することをまず最初に考えてほしい。

現場を管理する人間なら、建築図面の不備を見抜き、指摘し、是正を求め、どうやって収めようかを施工図を描く人間と話し合ってほしい。

設計者や建築図面を描く人間は、もっと謙虚になって真摯に図面と向き合ってほしい。

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