東京オリンピックとカシメ屋
首都高速道路が開通した当時・・・つまり、前回の東京オリンピック(1964年)が開催される1~2年前のことを思い起こしながら、カシメ屋にまつわる“あるある”をお話ししましょう。
もうカシメ屋の技術など、この世の中には不要でしょう。しかし、その心意気だけは、建設現場に生き続けてほしいものです。
今では評判のよろしくない首都高速道路も、現役のカシメ屋がいたからこそ完成したのでした。
カシメ屋の昼飯はドカベン
カシメ屋の食欲は旺盛です。
昼の弁当も、いわゆるドカベン。弁当箱の蓋にもご飯を敷き詰め、本体のご飯の上におかずを並べてエイヤッと蓋を閉じて、“ご飯のサンドイッチ”を作り、紐で縛ったものを持ってきていました。
その食事がすんだあと、近所にうどん屋でもあれば、そこに行って、うどんを食していました。
それくらい食べないと、力が続かないほどカシメ屋は重労働でした。
カシメ屋は夏でもチャンチャンコ
リベットの焼き手は、冬でも夏でも綿入れのチャンチャンコを着ていました。
これは、1日中ホゾの前に立っているので、体の前だけが熱くなり、血液がそちらに取られて背中が寒くなるからです。
カシメ屋の仕事は「前があったかくなったから、今度は後ろをむこう」などと焚火のようなわけにはいきません。そのため夏でもチャンチャンコを着ていました。
また、熱い「炉前作業」ですから、絶えず水分を補給しなければ体がもちません。今では、断熱を施したスポーツ用の格好良い各種ボトルがありますが、当時はそんなしゃれたモノはありませんでした。一番身近で手に入る一升瓶に水を入れて、手元に置いていました。
ある繁華街の駅舎の改築工事をしているときのことです。その当時でも、街中でカシメ作業を間近で見かけることは珍しかったので、金網を張った通路の窓から通勤客などが立ち止まって、カシメ屋の作業風景を眺めていました。
「やっぱり、酒を飲んでいないと、あんなきつい仕事はできないんだな」と通行人が話しているのを私は聞きました。「いやいや、あれは単なる水ですよ。酒を飲んだりしたら、手元が狂って仕事になりません」と言っておきましたが、普通の人が見るとカシメ屋はそういう風に見えるのだとわかりました。
誤解を招かないように、翌日からは酒ビンのラベルを外し、割れ防止のガムテープを巻いたものを使うようにしてもらったものです。
スナップは人泣かせ
鋲打ちに欠かせない物は「スナップ」です。打ち手も当て盤も共に使うのですが、これがまたクセモノで、1万本打ってもビクともしない頑丈な物もあれば、数本打っただけで割れてしまう物もありました。
カシメ屋は、もちろん百も承知で、複数のスナップを準備しているのですが、取り換えるごとに割れが出て、手持ちゼロということも、ごく稀に起こります。
東京や大阪の街中であれば、一走りで調達できるのですが、地方の橋梁架設現場などでは大問題になります。
当時は、個人が車を持っているというような状況ではなかったので、まずは職人さんが乗ってきた会社の車を借りて、直近の鉄道の駅まで行き、カシメの親方に聞いた大阪の機材問屋まで汽車を乗り継いで買いに行くというのが、監督見習いの仕事でした。
リベットは盗まれる
橋で使うリベット径は22mm(昔の言い方では「7分」→ 7/8インチの分子の数字だけを言う)が標準で、よほど大きな橋や、荷重が大きな鉄道橋では25mm(同「インチ」)が使われでました。一方、鉄骨は19mm(6分)、16mm(5分)が大半でした。
現場では、詰所の建物に接して、リベット倉庫を設置します。倉庫といっても、現場で手づくりした木製の箱で、4周の囲いと蓋があり、長さの寸法別に油をひいた麻袋に入れて保管します。
1日の作業が終わると、蓋を締めて南京錠をかけていました。しかし、夜は誰もいなくなるので、このリベットが時折盗まれることがありました。特にスクラップの値段が上がった時期には、その危険が増します。
盗る方は昼間に、何の関係もない通行人のような顔をして、詰所の状況や倉庫の様子を観察しているそうです。南京錠1個が掛かっているだけの木の蓋ですから、小さなバールを持ってくれば、簡単にこじ開けることができます。
朝、現場に来てみると、倉庫の蓋が壊され、リベットの麻袋が無くなっています。監督が大慌てかというと、そうでもなくて、電話帳で現場周辺にあるスクラップ屋を調べて、22mmのリベットが来ていないか尋ねます。あるといえば「それはウチのだから動かさないように、後から警察と一緒に行くから」と伝えます。
22mmのリベットを使うのは橋梁のみですから、すぐに足が付くのです。だから盗難については、さして慌てなくてよいのですが、今日の作業で使う分を盗られた場合は、この盗品を大急ぎで回収しなければならないので大騒ぎでした。
皿リベットと首都高速日本橋
リベットは、一般に使われている「丸リベット」の他に「皿リベット」があります。
皿リベットは丸い頭部が表に出張っていては困るような場合に用いられました。継手となる一番表面の板を円錐台状に削り取って、この穴にリベットを押し込んで、平らなスナップで叩くことによって、平面状のリベットのしたものです。(その形状は下図のとおり)
丸リベットと皿リベットの長さの違い
機械部品などでは、表側に重ね合わせや作動部分がある場合などに使われたようですが、工場における接合が溶接となってからは、ほとんど使われることはありませんでした。
ただ、高架橋などで橋の下が繁華な通行路になっているようなときには、見栄えをよくするために、下面の接合部のみを皿リベットにするという使い方がありました。
その良い例が、首都高速日本橋です。
近年、つとに評判が悪い高速日本橋ですが、これを地下化しようという話は、過去にも何度か議論になったようです。今度のオリンピックを契機に、再度このことで議論が盛り上がり、先日ついに地下化が決定しました。
この高速日本橋ですが、注意してよく見てみると、継手の下面側は皿リベットになっています。よく作ったなと思います。
しかも下面ですから、鉄砲の打ち手は“カチアゲ”、当て盤は箱桁の中、という過酷な条件での作業であったことでしょう。
高速日本橋の下フランジ継手の皿リベット。リベット頭が,ほとんど表面に出ていないことがわかる。
下フランジの接合部分の拡大写真。後付けの装飾金物の奥に見えるウェブの接合部はリベット頭が出ている。
当時はまだ、バリバリ現役のカシメ屋がいたからこそ出来たことですね。
カシメ屋の遺産であるその高速日本橋も、いずれ消え去ることが決定してしまいました・・・。