安藤ハザマが手掛ける高難度の地下河川築造シールド工事
福岡県筑紫野市を流れる高尾川では、豪雨による床上浸水対策として、地下河川築造シールド工事が進められている。この工事は、高尾川の上下流の高低差を利用し、地下約9m、内径5mの地下河川を築造するもの。川幅に沿って施工するため、急曲線部は27箇所に上る難しい現場だ。
受注したのは、安藤ハザマ・大豊建設・環境施設のJV。高い施工管理能力が必要なシールド工事に求められるスキル、やりがいとは何だろうか?トンネル工事の難しさと醍醐味、安藤ハザマで働く魅力とは何だろうか?
高難度のシールド工事に挑む安藤ハザマの土木技術者3名(47年目の超ベテラン、23年目のベテラン、4年目の若手)に話を聞いてきた。
安藤ハザマに入社。本当は大林組に就職したかった?
――土木の世界に入ったきっかけは?
荒東 大学で土木を学んだのですが、ちょうど大学の進路を考える頃に、瀬戸大橋の架橋工事が行われていました。それで「土木の世界で仕事をしたい」と考えました。実際のところ、安藤ハザマでは、橋の工事は少ないのですが(笑)。
――「橋をやりたい」がきっかけ?
荒東 最初はそうでした(笑)。橋をやるにあたって、公務員かコンサルタントかゼネコンかの3択があったのですが、「最終的にものをつくるところで仕事がしたい」と考え、ゼネコンを選びました。
社歴23年の荒東所長
佐藤 わたしは工業高校の土木科に進学したのがきっかけです。当時は、工業高校から大手ゼネコンに入社できた時代でした。最初は大林組に就職したいと考えていましたが、同級生の希望者が多かったので、仕方なく、間組(当時)に入社しました(笑)。
社歴47年の佐藤さん
永末 わたしは大学では土木科にいたのですが、タイに留学する機会がありました。タイは道路の構造上交通渋滞がひどく、インフラが未整備のところもたくさん残っていました。日本の生活で目にしていたインフラは、当たり前のものではなくて、イチからつくってきたんだということを初めて実感しました。大学を卒業したら、「土木の仕事しよう」と決心しました。
社歴4年の永末さん
土木の仕事は計画・設計・施工に大別できますが、なにかを計画・設計するにしても、実際にものをつくる現場がわからないと、良いものはつくれないと思って、ゼネコンを選びました。実際に、この現場に赴任する前に設計部に所属していて、この現場の検討業務も行っていました。
安藤ハザマに入社23年目、トンネル貫通の瞬間が醍醐味
――入社してからどのような仕事をしてきましたか?
荒東 今年で入社23年目になります。実家は近畿です。入社後の3年間は、四国の山間部の道路トンネル工事の現場に携わりました。発破掘削でトンネルを掘削していったわけですが、到達場所が谷間で、周りには家も何もない場所だったので、発破で貫通させました。普通は、最後は機械掘りなんですけど。貫通して、外の光が坑内に射しこんだ瞬間は感激しました。「穴掘り」の醍醐味を味わいました。
その後、大阪支店に戻ってからは、ほぼすべてシールド工事の現場です。関西電力さんの送電用のトンネル工事や国交省の共同溝工事、京都市や名古屋市の雨水幹線工事のほか、神戸市の大容量送水管工事などを担当しました。
大阪支店が長く、途中3年ほど名古屋支店にいて、昨年1月から、今の現場の高尾川地下河川築造工事のため、九州支店に来ました。九州は初めてです。
高尾川地下河川築造工事で発進したシールドマシン
――最初に現場監督したのは?
荒東 名古屋市の雨水幹線工事の現場ですね。入社8年目、33歳の頃です。初めて監理技術者と現場代理人を任されました。延長は1km程度、仕上がり口径約4mの工事でした。
――佐藤さんは?
佐藤 入社したのは1972年です。最初の配属先は九州支店で、現場は北九州市八幡西区にある山陽新幹線のトンネル工事の現場でした。実家から車で10分ほどの現場だったので、「良いところに来たなあ」と思っていたのですが、3か月間で東京土木支店に転勤になりました。最初の現場はただ見ていただけでしたね(笑)。
東京には6年ほどいて、鉄道工事、下水道工事などに携わりました。その後、再び九州支店に戻り、鉄道、造成、マリコン、シールド工事などをやりました。1990年以降、シールド工事の現場を中心にやってきました。初めて現場監督をしたのは、30年前、35歳のとき。熊本県大津町の小さな下水道の推進工事の現場でした。
私は現在65歳で、定年退職後、再雇用で現場所長を任されることもありましたが、今は専門職として、現場のサポートをする立場で、現場に出ています。
高尾川地下河川築造工事の防音ハウス
――永末さんはいかがですか?
永末 入社して4年目です。最初の配属先は関東土木支店でした。最初の現場は、川崎市の長沢浄水場再構築事業の一環で行われた浄水場更新工事でした。私が入ったときは工事は終わりかけで、外構などの最後の仕上げの部分に携わりました。
3年目からは、本社の方でシールド部門の設計に異動し、設計照査や解析などを行なっていました。今年4月から高尾川地下河川築造工事の現場にいます。
100m掘るのに半年「この工事終わるんやろか?」
――印象に残っている現場は?
荒東 先ほど話した最初の現場ですね。貫通したときの感動、感激が一番印象に残っています。トンネルやシールドの現場は、必ず発進と貫通があるので、すべての現場で感動、感激を味わえるのですが、やはり最初の現場が一番ですね。
神戸市の大容量送水管工事は、大変だったという意味で印象に残っています。この工事は、大深度地下使用法が初めて適用された工事で、地下50mほどを掘る工事でした。延長2.4kmを掘削したのですが、ちょうど真ん中、北野坂の異人館通りの真下でシールドマシンが壊れてしまいました。
マシンの修理にすごく苦労しましたね。地上からはなにもできないので、マシンの中から、地盤凍結工法を施工して、なんとか修理しました。修理作業には全部で1年ぐらいかかりました。
――マシンのどの部分が壊れたのですか?
荒東 カッターフェイスの部分です。掘削中に花崗岩が出てきて、カッターフェイスが磨耗し、それ以上掘れなくなったんです。
この修理作業は、地山側からの溶接作業なども発生したため、非常に大変なものでした。関連工事を含め、8年ぐらい神戸にいたのですが、会社に戻って言われたのが、「終わらない工事はないんだな」でした(笑)。
――佐藤さん、いかがですか?
佐藤 1990年頃にやった大分市の下水道シールド工事ですね。初めてのシールドの現場でしたが、とにかくトラブル続きで、マシンが進みませんでした。100m進むのに半年かかりました。マシンの前方を掘り下げて、土を確認すると、いっぱい石を抱えていたんです。その100mを過ぎると、急曲線の低土被り、線路の下を掘るなどの難工事箇所が控えていたのですが、その前で止まってしまった。「この工事終わるんやろか」という状況でした。
薬注などの対策をして、再開したところ、2か月で800mをスイスイ掘ることができました。ところが、900m進んだところで、橋梁のH鋼杭にぶつかりました。シールドは中止となり、迎え掘りする工法に変更しました。
――H鋼の杭にぶつかった?
佐藤 ええ。当時は「それぐらい事前に調査してなかったのかよ」と思いましたけどね。1mピッチで杭があったので、「これは掘れんばい」という感じで(笑)。いろいろ考えた末、残り160mを刃口推進という工法で掘ったんです。
相次ぐトラブルに対応しているうちに、初めての現場にも関わらず、周りから「長年やっているプロ」のように思われるようになりました(笑)。次の現場からは、最初の計画から施工まですべて任されるようになりました。トラブルが多かった現場だったけれど、その後のタメになった現場でした。「トラブルは人を大きくする」ということを学びました。
――永末さんは?
永末 今の現場が一番ですね。まだ半年ですが、これからいろいろと勉強することになると考えています。
浄水場の現場で言えば、場内の斜面にコンクリート製の階段を2つほどつくったことです。自分で計画して、自分で測量して、図面を書いて、材料を手配して、美しい階段ができ上がりました。
小さな仕事でしたが、初めて主体的にやった仕事だったので、嬉しかったです。土木の仕事って、こういうことの積み重ねなんだなと思いました。
安藤ハザマの転勤事情
――安藤ハザマには、出身地とは違う地域に配属するルールがあるのですか?
佐藤 そうですね。例外もありますが、だいたいの場合、出身地以外の場所が最初の配属先になります。私は、3回九州に戻って来ています。東京に行って九州に戻って、四国に行って戻って、それからマレーシアに行って戻って、という具合に(笑)。
――マレーシア?
佐藤 半年ほどの短期間だったので、苦痛ではなかったです。1982年に結婚して、1998年ぐらいまでは単身赴任が多かったです。子供が小さい頃に単身赴任していたので、一番カワイイころにたくさん遊んでやれなかったのが残念という思いはありますね。休みの日は、極力家に帰るようにしていました。子どもが剣道を始めたので、赴任先で私も剣道の道場に通って、家に戻ったときに子どもと一緒に剣道をやったりしていました。子どもと疎遠にならないように(笑)。
――お二人は、転勤は苦痛ではないですか?
荒東 「やむなし」という感じです(笑)。今回、九州に来るにあたって、「地元を離れたくない」という気持ちはありましたが、われわれの仕事は、引っ越しを伴うかどうかは別にして、2〜3年ピッチで職場環境がガラッと変わります。転勤も気分転換になるので、今となっては、とくに苦痛を感じません。
永末 やはり、転勤があると、ライフプランが立てにくいところがあります。それは入社する前からわかっていたことですが、「どうにかなるかな」という気持ちでやっています。
私が入社した頃は、「働き方」が社会問題になる前だったので、就職活動でも「休みが取れる」「残業が少ない」などの働き方に関する会社からの説明は、それほど出なかったんですよね。
入社後、ライフワークバランスが合わなくて、会社を辞めることになるとしても、ゼネコンでの仕事を経験することには意味があると考え、とりあえず入社しました。
――結婚については?
永末 入社2年目に結婚しました。まだ子どもはいません。
――単身赴任ですか?
永末 いえ、夫も九州にいます。別の会社に勤める夫が先に九州に転勤することになったので、私も会社に異動願いを出したところ、私も九州支店に異動になったんです。
荒東 永末は入社3年目で、ちょうど異動のタイミングだったので。彼女は北九州出身なんです。異動については、ある程度本人の希望も考慮されるようです。
永末 「地元に帰りたい」という思いはそれほどありませんでしたが、私生活についても、会社からいろいろ配慮してもらっているので、結果的に、仕事も私生活ともに充実した日々を過ごせています。数年後転勤する可能性はありますが、「どうにかなるかな」と楽観的に考えています。今のところ、会社を辞めるつもりはありません(笑)。
荒東 単身赴任もいとわない?
永末 はい(笑)。
安藤ハザマは良いモノをつくって当たり前
――土木技術者として心がけていることは?
荒東 「初めてだから、わかりません」という姿勢は絶対とらないようにしています。知ったかぶるわけではありませんが、初めてのことに対しても、常に積極的な態度で臨むという意味です。それと、知らないことは、恥ずかしがらず、謙虚になって、人に聞くようにしています。
あとは、「もう限界だ」と思ってからが、自分の成長になると考えて、仕事をするようにしています。「限界」は今の自分の能力で定めたものなので、「限界を超えたところにこそ、自分の成長がある」ということです。しんどいときは、自分にそう言い聞かせながら、仕事をしています。
――「限界」というのはどの部分?
荒東 能力的な部分ですね。今の自分の能力、キャパシティを超えようとするのが成長につながるということです。
――そういう気づきを得るきっかけがあったのですか。
荒東 神戸市の大容量送水管工事のときです。着工当時にそう思いました。「今の現場は自分の能力を超えているんじゃないか」と思ったことがありました。
でも、それでもやらざるを得ない状況だったので。初めてのケーソン工事があったり、それと並行してシールド計画があったりする中で、「ちょっとキツイな」という時期がありましたね。
――佐藤さんは?
佐藤 私は最終的に発注者からの評価点というのが気になります。「最低80点以上」というノルマがあるので。品質や安全については、会社として普通にやれば、ほぼパーフェクトにできるのですが、地元対策は相手があることなので、非常に難しい面があります。いろいろな人がいるので、ニーズに合わせた取り組みをしないといけません。私が数多くの現場を経験して来た中で、一番重きを置いてきたことです。
福岡県発注の別のシールド工事をやったときは、89点という点数をいただきました。福岡市発注のまた別のシールド工事は84点でしたので、今の現場でも「80点以上とりたい」という思いで、ずっとやってきています。地元対策をしっかりやれば、それができるというのが私の持論です。
具体的には、「騒音やら振動、粉塵などを出さないように」ということを作業員などには徹底してきました。それでも苦情は出るのですが、その対応を誤らないよう気をつけています。ちょっとしたボタンの掛け違いが苦情につながることがあります。発注者の方も課長さんぐらいになると、品質のことは言わないんです。地元からの苦情がないことが一番で、苦情がなければ点数をくれるところがあります。
――点数を取るには、良いモノをつくるだけではダメ?
佐藤 良いモノをつくるのは当たり前なんです。安藤ハザマの基準でモノをつくっていけば、施工管理上特別なことをしなくても、良いモノはできるので、ある程度の点数はもらえます。ただ、地元対応は必ずしも「これをやっておけば良い」というものがあるわけではないので。
――永末さんは?
永末 現場では、作業員さんの気持ちになって考えることを心がけています。指示を出す際、作業員さんにとってわかりやすいように、言葉を選んで、伝えるようにしていました。仕事の上でまだ大きな困難を経験していないので、座右の銘みたいなものはありません。
川崎市の最初の現場には何人かの女性の先輩がいました。その先輩からは「体力的にムリしないように」とアドバイスをいただきました。男性と比べると、やはり体力差があるので、そこでムリをするとうまくいかないということです。ムリしてツブれてしまったら、元も子もありません。
ゼネコンなどに入社する女性の多くは、「土木の仕事をやりたい」「男の人との能力の差などない」「絶対に辞めたくない」と思って入社しています。私を含め、そういう女性は「どうせ結婚したらやめるんでしょ?」などと言われるのが、イヤなんです。だから、ムリしてでも頑張ろうとする。それはダメだよという意味なんです。私自身も、女性として仕事を続けていくために必要なことだと思っています。「自分らしく」働きたいと考えています。
体力的にはムリしない、能力的には精一杯やる
――現場監督として心がけていることは?
荒東 やはり、周りとのコミュニケーションですね。あとは、リーダーシップをとって、方向性を示すことです。みんなに対して方向づけをしないと、現場がバラバラになってしまうので。現場全員ではないですが、少人数でちょこちょこ飲みに行って、個人的な悩みなどを聞いたりもしています。
――佐藤さんは?
佐藤 私もコミュニケーションが大事だと思います。同じ現場でも世代が違う人間が10人集まると、全部の意見をまとめるのが難しいところがあります。その場合は、2〜3人のグループごとに話をまとめるとか工夫が必要になります。最近は「飲みニケーション」も難しいところがありますね。
――永末さんは?
永末 監理技術者経験はありませんが、現場で心がけていることは「精一杯やること」です。まだうまくできないことが多い中で、私にできることはそれだと。
――ムリせず、精一杯やる?
永末 「ムリせず」は、心がけであって、前提なんです。言い方が難しんですけど、例えば、「私なんでもやります」と言って、体を壊したら、周りに迷惑がかかります。「ムリしない」は体力的なことなんです。能力的には「精一杯やる」んです。体力と能力は違うものです。「ムリしない」と聞くと、ヤル気がないみたいですが、そういうことではありません。
現場で打ち合わせする3人
――永末さんとのコミュニケーションはうまくいっていますか?
荒東 大丈夫ですよ(笑)。客観的に見てどうかはわかりませんが、彼女とは遠慮せずに話ができるので、主観的にはうまくいっていると思っています。
永末 私もうまくいっていると思います。他の現場にいる同期の話を聞くと、この現場は恵まれていると感じます。同期の中には、現場所長とソリが合わず、辞めたコもいるので。
安藤ハザマの同期、新人研修
――同期とは今でもツナがっていますか?
永末 そうですね。
――同期は何人?
永末 同期は30人いたのですが、3年経って10人辞めました。ただ、私の1コ下、2コ下はほとんど辞めていないようです。
――なぜ?
永末 2コ下から新入社員の研修がかなり充実したからかもしれません。半年間つくばの研修センターで研修があり、同期みんなで一緒に過ごすようになっているんです。私が入社した際も研修はあったのですが、形態が違っていました。後輩に聞くと、お互い分かり合える同期同士で、いろいろ相談し合っているそうなんです。
――永末さんのときの研修は合宿がなかった?
永末 長期研修はあったのですが、一度それぞれ現場に出た後、集まるカタチでした。研修自体、まだまだ実験段階でしたね。みんな現場に出て、それなりに何かを経験してきているので、合宿を通じて「みんなと仲良くなろう」という意識がなかったんですよね。逆に、同期同士の競争心が芽生えてしまったところがあります。
ですが、当社は3年次の終わりにも2週間の研修があり、そこでは新入社員研修のときと比べものにならないくらい、絆が深まりました。今では同期のことが大好きです。
――若手の悩みって?
永末 「仕事にどう慣れていくか」が大きな悩みだと思います。上の世代の人に相談しても、「頑張って乗り越えてきた人たち」なので、厳しく叱咤激励されるのはわかってるんです(笑)。同期同士だと、「私の現場はこうだけど、こうやって乗り越えたよ」みたいなフラットな感じで話せるので、相談しやすいんです。
――「今の若者はコミュニケーションがとりづらい」という意見についてどう思う?
永末 コミュニケーションがとりづらいのは、私たちの世代だけのことではないと個人的には思っています。今、私たちの世代に対して言われているのと同じような状況は、上の世代の方々が若かった頃にもあったと思いますよ。世代が違うと、コミュニケーションがとれないのは、当たり前のことなので。
私が「この人について行こう」「この人の話を聞こう」と思うのは、指示が的確で、「この人スゴイ」と思ったときなんです。雑談をしたりすることは大事ですが、きちんと向き合うということはそういう表面上のコミュニケーションだけで成立することではないと思っています。
荒東 言っていることの半分はわかるような気がします。「上司先輩に対して、尊敬や敬意を抱くこととコミュニケーションをとることは、同じではない」と思っているんだなと(笑)。
「マニュアル化できない」シールド工事の難しさ
――OJTで「土木の経験を伝える」ことについて、どうお考えですか。
荒東 シールド工事の管理方法は、マニュアル化できない部分があると思っています。土質などの条件によって方法が変わったり、土木工事の中でも特殊な部類なので。今まで経験的、感覚的にやっていた作業をできる限り数値などに定量化することは必要ですが、その辺を探りながら、若い人たちに伝えたいとは思っています。
今の現場では、急曲線が27箇所あります。普通の現場では1~2箇所程度なので、非常に急曲線の多い現場です。1箇所でも急曲線の工事をやれば、いろいろ勉強できます。彼女には、いずれ急曲線の工事を任せたいと考えています。
永末 周りからは「大変な現場だね」と言われますが、早く仕事を覚えて、仕事を任せてもらって、やり遂げたい。1日でも早く1人前になりたいです。習得するものが細かく、多いですが、今は期待に応えたいという思いでいっぱいです。
――独学で習得するものもあるのですか。
永末 独学というか、現場をやる上で必要な技術的知識は積極的に得るように心がけています。今は所長から指示のあったことについて、現場の状況を見ながら対処している状況ですが、今後はトラブルが発生したときに、自分で策を考え対処する能力も、今後身につける必要があります。
荒東 シールド工事に関する本などを見れば、どういう工事、どういう機械なのか書いていますが、実際に動いているモノを見た上でないと、施工計画を立てることはできないところがあります。
――3Dの統合型掘進管理システム「SDACS(スダックス)」でもカバーできない?
荒東 スダックスは、施工状況などを理解する手助けにはなりますが、ひとつのツールにすぎないので、それで全てをカバーできるわけではありません。システム上のデータをどう見るか、どう活用するかというところを習得する必要があります。
――シールド工事の難しい部分とは?
荒東 山岳トンネル工事との一番の違いは、切羽が見えないことです。あと、一度つくった設備の補強、増強が難しい。そういう状況の中で、いろいろなものを想像しながらやっていく部分だと思います。見えない部分については、スダックスで視覚化されることによって、想像や判断する上での手助けにはなっています。
ただ、今掘っている地山に対する対処方法などについては、実際に掘りながらじゃないと、人に教えにくい部分があります。一緒にやっていく中で、「今こういう状態だから、こういうする必要がある」と説明して、初めて理解できる部分があるんです。
シールド工事には砂遊びに似た感動がある
――最後に、みなさんにとっての土木の魅力は?
荒東 ゼネコンの仕事は、2〜3年で環境が変化する仕事だと言いましたが、その間になにかが完成しているんです。そこにはものをつくるという感動、感激というものが、毎回あるんです。特にトンネル、シールド工事の貫通というものは、小さい頃の砂遊びに似た、純粋な感動があります。私にとってはそれが魅力ですね。
佐藤 私がここ30年間に施工してきたシールド工事は、地表面に直径60cmのマンホールの鉄蓋があるだけです。当然地図ではわかりません。
入社を決めたときには、黒四や佐久間ダムを施工した間組で、ダムをつくることを夢見ていました。実際勤務してみたら、土木の仕事は、鉄道でも下水道でも「ものをつくる」ということでは、各現場ごとにそれぞれ違いがありましたね。
「企業者に喜んで引き取ってもらう」ために、いろんな工夫をして、楽しんでものをつくってきました。土木には「地図には残らない仕事」もあるけれど、自分の心の中にはいつまでも残っています。「土木はいいなあ」とつくづく思います。
永末 入社した頃は「ものづくりがしたい」との思いはとくになかったのですが、実際に何もなかったところに大きな構造物ができるのを見ると、圧倒されました。視覚的に圧倒的なので、得られる感動も大きいところが魅力だと思います。
工種が同じでも、まったく同じ工事はないので、毎日得るものが必ずあります。頑張れば、必ず自分が成長できる仕事だと思います。自分の人生を考える上で、土木は素晴らしい仕事だと思っています。
――ありがとうございました。