株式会社空調服 代表取締役会長 市ヶ谷弘司氏

「空調服」を発明した男、市ヶ谷弘司

「空調服」の発明者 市ヶ谷弘司

ファンが付いた作業服を着ている人を、建設現場でよく見掛けるようになった。

記録的な猛暑となった2018年、熱中症による搬送者数は過去最多の9万5,000人を記録し、職場での熱中症災害も1,178人と過去最多となった。特に、熱中症による死者は建設業が10人と最多。今では、ファン付き作業服を着ないと入場できない現場もある。

一般的に「空調服」と呼ばれることも多いファン付き作業服だが、空調服という名前は、ファン付き作業服を世界で初めて発明した株式会社空調服の商標である。他社メーカーは、別の名称でファン付き作業服を展開している。

今やワークマンや紳士服のAOKI、スポーツウェアのデサントなど大手企業も続々と参入しているが、そもそも服にファンを付けるという奇特なアイデアはどこから生まれたのか。そして、意外と知られていない空調服を着ると涼しく感じる理由とは?

空調服の発明者であり、株式会社空調服 代表取締役会長の市ヶ谷弘司氏に開発秘話を聞いた。

地球温暖化を止めるために、海を白くしようとした

株式会社空調服 代表取締役会長の市ヶ谷弘司氏。早稲田大学理工学部を卒業後、ソニーに入社。1991年にソニーを早期退職し、独立する。

――ご経歴を教えてください。

市ヶ谷 大学を卒業後、ソニーに入社し、ブラウン管の部署で働いていました。ただ、一番やりたかった研究開発部門ではなかったので、社内のアイデアコンクールに応募して、ブラウン管を音源にした笛を作ったりもしていました。

その後、新型のブラウン管測定器を開発したのを機に42歳でソニーを退職し、独立しました。

――ブラウン管測定器とは?

市ヶ谷 ブラウン管は、電子ビームを赤・緑・青の三色の蛍光体に照射して発光させます。この電子ビームがズレると、映像がブレたり、色が変わってしまうんです。

当時のブラウン管の品質管理は、CCDカメラで測定ポイントを拡大撮影して、画像処理ソフトでどれくらいズレているかを測定するもので、かなり手間が掛かっていました。私が開発した新しい測定器は、一つのフォトセンサーで測定することができ、従来の測定器より精度も高いものでした。

1台300万円するニッチな商品でしたが、累計で1,000台ほど売れて、経営も順調でしたね。

――事業の転機は?

市ヶ谷 測定器を海外で販売するため、マレーシアやタイといった東南アジアに営業に行ったときのことです。1990年代も後半に差し掛かっていた当時、日本はバブルが崩壊していましたが、アジアの国々はまさに発展の途中で、数多くのビルが建設されていました。

気温の高い国々なので、どのビルにもクーラーが入っています。その光景を見て「このままでは地球温暖化が加速してしまう」と危機感を感じたんです。

ちょうど、液晶テレビの普及でブラウン管の市場が縮小していたこともあり、地球温暖化を防止する商品を発明できないかと考え始めたのがすべてのきっかけですね。

――まず何を始めた?

市ヶ谷 最初に思い付いたのは、海を白くすることでした。白い服は太陽光を反射するので、「じゃあ地球も白くすればいいのでは?」と。それで地球の7割を占める海を白く染める薬品を作ろうと頭を捻ってみたんですが、さすがに難しかったですね(笑)。

30℃の部屋は暑いのに、30℃の風呂は冷たい理由

――空調服の着想はどこから?

市ヶ谷 二つのヒントがありました。

一つ目は、水です。エアコンや冷蔵庫といった実用的な冷却装置は、基本的に液体の気化熱を利用しています。

しかし、冷蔵庫やエアコンに冷媒として使用されている代替フロンは、温室効果ガスを増加させますし、有害なので捨てるわけにもいきません。ただ、水なら環境負荷も無く安価です。

二つ目が、人の温度の感じ方です。

30℃の部屋は暑いのに、30℃の風呂は冷たいですよね。同じ30℃なのに、どうして感じ方に違いがあるのか知っていますか?

熱伝導率の差が理由なんですが、空気は密度が低く、熱が伝わりにくい性質があります。そのため、体表面の熱が空気に発散されず、暑く感じるんです。

逆に、水は密度が高く、体温がお湯に逃げていきやすい。普通体型の日本人の皮膚温は約33℃なので、30℃のお湯に熱が放出され、冷たく感じます。

つまり、身体付近の空気を皮膚温度より低くできれば、暑さを感じないわけです。

この二つのヒントから、水を使用した環境負荷の小さいクーラーを開発しようと思いたったわけですが、「そもそも部屋全体を冷却する必要はないな。人が涼しく感じられればいいんだから」と方針を転換し、着ると涼しい服の開発に着手しました。

人間には高性能なクーラーが備わっている

――一番最初に作った試作品はどんなもの?

市ヶ谷 タンクに貯めた水をポンプとパイプで身体に散布し、その水をファンで流した風で気化させる水冷服を試作しました。

実際に着てみましたが、パイプだらけで異様な見た目でしたね。これを着て電車にも乗ってみたんですが、周囲からは変な目で見られました(笑)。しかもタンクから水が漏れ、ズボンの前側が濡れたりして、このままではちょっとまずいなと(笑)。

ポンプの付いた作業服。見た目はお世辞にも良くないが、今の空調服の原点となる。

涼しいことは涼しかったんですよ。ただ、気温が低いと必要以上に寒くなってしまい、逆に気温が高いと蒸れてしまって。温度調節がうまくいかなかったので、製品化には至りませんでした。

――今の形になったきっかけは?

市ヶ谷 わざわざ水を散布しなくても、暑いときは人間から汗という水が出ることに気付いたんですよ。

人間には元々、高性能のクーラーが備わっています。気温が皮膚温を超える33℃以上になると、適正な体温を保つために脳の体温調整中枢から必要な量の汗を汗腺から分泌し、汗の気化熱で身体を冷却しようとします。私は、これを「生理クーラー」と呼んでいます。

この汗をすべて気化できれば、脳の指令通りの皮膚温になります。しかし、体の周囲の空気は体温で温まり、湿度も高くなっていくため、汗は気化しにくくなります。

すると、身体を冷却できないので、脳はさらに汗を出そうとします。熱中症になるのは、このスパイラルにより身体から水分が奪われるためです。

つまり、身体の表面にまとわりつく温度と湿度の高い空気を外気に置き換えることができれば、汗が気化できるようになり、涼しくなるんです。うちわと同じ原理ですね。

こうして、ファンで服の中に外気を送り込む空調服の開発が始まりました。

――最初から今の形だった?

市ヶ谷 最初は「ファンを服に付けるなんて格好悪いだろう」と、パソコンの冷却に使うような小さなファンを4つ付けただけのものでした。今の空調服の100分の1程度の風量しか得られず、汗をすべて気化させることはできなかったですね。

初代・空調服。現在のものと比較すると、ファンがかなり小さい。

ただ、この試作品から面白いことも分かりました。当時の社員に、夏になると汗臭が強くなる人がいたんですが、モニターとしてこの試作品を着てもらうと汗臭が消えたんです。

汗臭は、身体の表面に存在する常在菌が汗によって繁殖してニオイとなります。試作品の風量は微量でしたが、この社員は事務職で汗の量が多くなかったのですべて気化させることができ、菌が繁殖しなかったんです。

汗臭を消す服を目指していたわけではないですが、ファンの空気で汗を気化できるということは証明できました。

その後、十分な風量を得るためにファンを大きくするなどの改良を重ね、着想から7年経った2004年に現行モデルの空調服が完成しました。株式会社空調服を立ち上げ、有償で試作品の販売も始めました。

――当時の反響は?

市ヶ谷 その見た目もあってか、多くのメディアから面白い商品だと取り上げてもらいました。メディアを見て購入される方も多くて、初年度は7,000着が完売しました。

ただ、世の中に存在しなかった製品なので、買うほうも売るほうも難しく、なかなか思うように普及していきませんでした。

発売から3年が経った2007年には、銀行に融資を断られて資金がショートし、倒産の危機もありましたね。

「ウチのダンナを殺す気か!」と猛クレーム

――経営が苦しくても事業を続けた理由は?

市ヶ谷 2009年に、あるお客様の奥様から「ウチのダンナを殺す気か!」というクレームの電話があったんです。すごい剣幕で、社員ではとても対応できなかったので、私が直接お客様に電話で謝罪するこことになりました。

クレームの内容は「3着も買っているのに、なんで故障するんだ。ファンが止まると、暑くて地獄のようだ」というものでした。

今でこそほとんど無くなりましたが、当時はケーブルが断線することが多かったんですよ。特に建設業は動きが激しいですから。

断線してファンが止まってしまうと、ものすごい暑苦しさに襲われるんです。夏に自転車で走っているときは風を受けてそれほど暑く感じないですよね。でも、赤信号で止まった瞬間に猛烈な暑さを感じ、ブワっと汗が噴き出てくる。この感覚と似ています。

ただ、このお客様からはクレームだけでなく、「毎年夏になると7~8回、病院で点滴を受けていたけど、空調服を着るようになってから一度も病院に行かなくなった。だから頑張ってほしい」という激励もいただきました。このことが、空調服の需要に改めて気付かされる機会になったんです。

このお客様には3着購入いただいていましたが、購入者のリピート率を調べると99%以上だということも分かりました。続けていれば必ず売れるという確信を得た瞬間です。

――普及したきっかけは?

市ヶ谷 契機となったのは、先ほどのクレームから1年後の2010年に、バッテリーをリチウムイオン電池に変更したことです。

それまで、バッテリーには乾電池やニッケル水素電池を使用していましたが、3~4時間しかバッテリーが持たなかったんです。そこで、リチウムイオン電池を採用したところ8時間持つようになり、建設業界を中心に普及し始めました。今では年間130万着を生産しています。

普段着として空調服を着てほしい

――ここ数年、多くのメーカーがファン付き作業服を発表しているが、発明者としてどう見ている?

市ヶ谷 一見、どれも同じように見えるかもしれませんが、単に服にファンを付ければ涼しくなるわけではないんですよ。

中には、電圧を高めて風速を強くしている本末転倒な製品もあります。何となくそのほうが涼しそうですが、重要なのは風速ではなく風量です。

それに、ファンのエネルギー消費量は風速の二乗に比例します。つまり、風速を2倍にすると消費電力も2倍になり、バッテリーの持ち時間も半分になってしまうので、実用的ではありません。

もう一つ重要なのは、体表面と並行に空気が流れ、服の中の暖かく湿った空気がしっかりと外に排出される設計であることです。

ファン付き作業服には空気で膨らむイメージがあると思います。ですが、体表面の温かく湿った空気を排出して外気と置き換えることが重要であって、暖かい空気が服の中に滞留して膨らんでいる状態では効果がありません。空調服は流体力学に基づいた設計となっているので、必要以上に膨らみません。

――一般名詞として「空調服」という言葉が使われているのをよく見るが?

市ヶ谷 空調服は、私たちの商標ですし、特許も取得しています。私たちの特許であることを知らずに類似品を製造しているところもあるようですので、知財関係の充実を図っているところです。

――今後、空調服をどのように展開していきたい?

市ヶ谷 最近では、作業現場だけでなく、街中でも空調服を着ている方を見掛ける機会が増えてきました。

作業現場向けでなく、普段使いできるデザインの空調服も展開している。

空調服は必ずしも作業服である必要はないと考えています。「カッコいい空調服が欲しい」という声もいただくようになり、今年から一般の方向けにファッション性の高い空調服の販売も始めました。いつか夏服の常識になったら嬉しいですね。

まだ空調服を着たことのない方は、ぜひ一度着てもらって効果を感じてみてください。

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「施工の神様」編集部。元・建設業界誌の編集記者。建設業界の中でも陽の当たらない、解体工事やアスベスト除去、建廃処理、労働安全衛生を主なテーマに活動していました。
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