下関北九州道路の実現に腐心するキャリア官僚
見坂茂範さんは、京都大学大学院で耐震工学を学び、建設省(現・国土交通省)入りしたキャリア官僚だ。現在は福岡県県土整備部のトップとして、今年4月に「忖度発言」で物議を醸した下関北九州道路の早期実現などに向け、多忙な日々を送っている。
国交省キャリアと言えば、日本の国土政策、インフラ整備の要を担うエリートだが、転勤や長時間労働などハードワークのイメージもつきまとう。能力だけでなく、強い使命感がなければ務まらない仕事のようだ。
見坂さんはなぜ国交省に入ったのか。国交省の仕事のやりがい、魅力とはなにか。国交省に向いている人とはどのような人間か。いろいろ話を聞いてきた。
国交省に行って「お前が日本を背負え」
――土木を志したきっかけは?
見坂さん なぜ土木の道に進んだのかというと、親父が兵庫県の小さな建設会社に勤めていたからです。それで大学で土木工学を選びました。
当時は大学に入る時点で、土木なら土木工学科というふうに学科を選んで受験していたのですが、最近は地球工学科という何をやるのかわからない学科名なっていますけど(笑)。
大学の研究室は耐震工学でした。大きな振動台の上に5階建てぐらいの建物をつくって、いかに揺れを抑えるかという研究をしていました。
ちょうど明石海峡大橋をつくっているころで、耐震性のある構造物ということで、研究室メンバーで見学に行きました。研究室の先輩が現場監督をしていたので、建設中の高さ300mの主塔の上に上がらせてもらいました。貴重な体験でした。
明石海峡大橋は、阪神・淡路大震災の被害を受けて、主塔が1mズレましたが、震災の2年後には予定通り開通しました。学生時代に見学した明石海峡大橋の影響もあって、長大橋に関しては思い入れが強いです。
――国交省を選んだ理由は?
見坂さん 大学院の修士まで行って、建設省(現・国土交通省)に就職しました。建設省を選んだのは、プランニングに興味があって、「自分が学んだ土木の知識を日本のために役立てたい」という思いがあったからです。
兵庫県庁も受けたのですが、研究室の先生から「お前は日本を背負うんだ。建設省へ行け」と言われて、建設省に入りました。
当時は研究室の先生が就職先を後押ししていました。「公務員を目指す人は国家試験を受けろ」、ゼネコンに行くなら「この会社とこの会社に何人ずつ」みたいな感じで、学生に就職先を勧めていました。
最近は、大学の先生が就職先に口出しをすることは少なくなり、学生が自らの意思で決めているようですが、私は昔のほうが良かったと思っています。学生にとって、どこに就職すれば良いか本当のところはなかなかわからないので。
――国交省ではどのような仕事を?
見坂さん 本省では、道路畑が長かったです。とくに印象深かった仕事は、小泉内閣のときに日本道路公団の民営化です。私は道路局高速道路課の課長補佐として、道路公団民営化にあたってのさまざまな実務を担当しました。
その後は、有料道路課の課長補佐として、民営化後のNEXCOの会社運営にも関わりました。「当時は本当に大変だった」という意味で、一番思い出に残る仕事です。
道路公団改革なので、民営化するだけでは意味がありません。民営化する以上、メリットを出さなければいけない。民営化によるメリットは、コスト削減やサービスの向上だと考えています。そのためのスキームをどうつくっていくか、公団職員にどう意識付けするかが一番苦労したところです。
私は、民営化して良かったと思っています。京都国道事務所長など出先も経験しました。
国交省に向いているのは「全国転勤が嬉しい人」
――転勤は大変ではなかったですか?
見坂さん まったく大変ではありません。全国に行って、いろいろな経験をすることは必要なことですし、楽しいことだと考えています。
そもそも全国転勤がイヤだったら、国交省ではなく地方自治体に行っていました。今でも国交省に入ってくる人は、「全国転勤が嬉しい」という人ばかりですよ。
本省で採用面接を担当したことがありますが、国交省を受ける学生はそういう人ばかりですし、私たちもそういう人がほしいということで、採用してきました。転勤がイヤな人は国交省は向いていません。
「忖度発言」の下関北九州道路は”必要”
――福岡県庁ではどのようなお仕事を?
見坂 福岡県赴任のミッションの一つが、下関北九州道路だと思っています。1990年代に「第二関門道路」と呼ばれていたころから関わってきた道路なので、個人的な思い入れもありました。その後、計画が凍結された時期もありましたが、私は非常に大事な道路だと思っています。
今年3月、下関北九州道路検討会で記者会見に臨む見坂部長(中央)
既存の関門トンネルは完成から60年、橋も完成後45年が経っており、老朽化にともなう多額のメンテナンス費用が必要になってきます。この2本の道路だけでは、災害などで寸断されるリスクが非常に高い。九州と本州だけにとどまらず、大阪や東京との物流の大動脈が寸断されることになります。
そう考えると、やはり3本目のルート、下関北九州道路は必要です。既存の2本のルートをしっかりメンテナンスし長く使うといううえでも、3本目のルートは欠かせないと思っています。
福岡県としては、山口県や北九州市、下関市と力を合わせ、計画の具体化を進めていきたいと考えています。これまでの福岡県などによる調査に加え、今年度からは、道路のルートや構造、事業手法などについて、国交省で検討を行っていただいていますが、一日も早い実現を期待しているところです。
インフラ整備にお金を投じるほど、地域は強くなる
――仕事のやりがいは?
見坂 土木の仕事はチームプレイです。測量や設計、施工のプロの方々とのチームプレイによって、成り立っています。自分が日本の国土にとって必要だと思って、プランニングしたものが実際のカタチになり、「国民にとって住みやすい国土が生まれる」のがやりがいですね。
国交省は現在、「防災・減災、国土強靭化」を進めていますが、個人的にも嬉しいことです。私は今、福岡県庁にいますが、毎年のように災害が起きています。2年前の朝倉豪雨災害を教訓に砂防堰堤を整備したのですが、「この砂防堰堤のおかげで、今年の豪雨では大きな被害が出なかった」と地元の方の声が記事に出ていました。地元の方からこう言ってもらえると、非常に嬉しいですね。
災害は悲しい出来事ですが、それを教訓にインフラを整備すれば、次に同じことが起きたときには被害を防げる。これが国土強靭化なんです。仕事柄、国会議員や市町村長と話す機会が多いのですが、「災害復旧などのインフラ整備にお金をかけることには、大きな意味、効果があるのですよ」と説明しています。
「インフラ整備に巨額を投じるのはムダだ」という意見がありますが、決してムダではなくて、お金を投じれば投じるほど、それだけ地域は強くなるんです。実際に災害が起きたところだけでなく、これから災害が予想されるところも含めて、しっかりインフラを整備していくことが大事だと思っています。それの積み重ねによってこそ、災害に強い日本ができるのだと考えています。