土木の魅力が詰まった「インフラのまち・神戸」
神戸市は、海を埋め立て、六甲山を切り開いてできたまちだ。おしゃれな港町のイメージがあるが、高速道路や新幹線などの国土軸も通るインフラのまちでもある。
1995年1月の阪神・淡路大震災により、阪神高速が倒壊するなど市内インフラも大きな被害を受けたが、その後の復旧復興事業のほか、三宮駅地区の再開発事業などが進められており、往年の活力を取り戻しつつある。
インフラのまち神戸市には、土木のやりがい、魅力が詰まっているに違いない。ということで、神戸市役所で働くドボジョ3名に話を聞いてきた。
入学後に「あ、ココ土木や」
大石(施工の神様ライター)
畑田さん
建築の学科だと思って工学部の「建設工学科」を受験したのですが、最初の「建設工学総論」という授業を受けて、「あ、ココ土木や」と気づきました(笑)。それが土木のきっかけでした。
畑田典子さん
上野さん
合格通知には「あなたは土木系です」と書いてあり、「合格したけど『土木』やん…」としばらく悩みました。しかし、入学後は建築と土木両方勉強するうちに、「土木のほうがおもしろいな」と考えるようになりました。研究室はトンネル工学でした。
上野愛さん
矢持さん
土木を選んだ理由は、道路や橋などをまちづくりに関するモノをつくりたいなと考えていたからです。研究室は海洋工学でした。
矢持真由子さん
まちづくりに主体的に関わりたい
大石(施工の神様ライター)
畑田さん
ただ、「神戸市役所に行きたい」という思いがありました。明石海峡大橋だけでなく、東灘区にあるスラッジセンターにも施設見学に行きました。環境にも興味があったので、神戸市役所の土木職を受けようと決めました。ほぼ、神戸市役所一本でしたね。ずっと田舎暮らしだったので、「まちで働きたい」という思いがありましたね。
上野さん
卒業後は東海地区のインフラ会社に入社し3年間勤務しました。地元で就職された方がほとんどで、地元のために強い使命感を持って働いている姿を見て、「私も(大学時代過ごした)神戸のために仕事がしたい」と考えるようになりました。ちょうど結婚するタイミングだったということもあり、入社3年目の時に神戸市役所に大卒枠で転職することを決めました。
矢持さん
大学院の試験も受けたのですが、「政令市でまちづくりに主体的に関わりたい」と思いもあったので、神戸市役所に入りました。できるだけ長く働きたいという考えもあって、公務員にしました。
もともと民間会社への就職を考えていて、大学院に進もうかなと考えていたのですが、大学院に行ったとしても、希望する会社に入れるとは限らないし、大卒でそのまま就職してしまおうと思いました。
企業誘致課は「ザ・株式会社神戸市役所」
大石(施工の神様ライター)
畑田さん
説明会に立つ畑田さん(写真:本人提供)
上野さん
現在は、都市局新都市事業部企業誘致課で、神戸市が造成した工業団地などへの企業誘致を担当しています。「今年度は何ヘクタール売る」という明確な目標があって、「ザ・株式会社神戸市役所」という感じの部署です。
会議中の上野さん(写真:本人提供)
矢持さん
今いる東部建設事務所は2つ目の職場で、道路のバリアフリー工事や電線共同溝工事のほか、電話対応などを担当しています。
現場に出る矢持さん(写真:本人提供)
大石(施工の神様ライター)
畑田さん
本庁は、プランニングをする仕事が多かったのですが、区役所は実際にどうするかという仕事で、地元のまちづくり協議会などに入って、地域の声を聞きながら、まちのルールを考えたりしました。「市役所の仕事やな」と感じることができたからです。
上野さん
住民説明に行ったときに、最初は「触ってくれるな」と言われたのですが、整備後は「怒ってゴメンな、ありがとう」と言ってもらいました(笑)。住民の方から「ありがとう」と言ってもらったのが初めてだったので、印象に残っています。
矢持さん
帰りの電車で「腹たつ〜」と悔し泣き
大石(施工の神様ライター)
畑田さん
調整事項が多すぎて、当時20代だった私には能力が追いつかず、沿道調整で住民の方に説明に行ったら、「ここに道路照明なんかいらんのじゃ〜(怒)」と言われたこともありましたし、現場代理人の方にバカにされたこともありました。そういうことを受け止める余裕がなく、帰りの車で泣いたこともあります。
ただ、震災がなければ、こんなにたくさん仕事を任せてもらうことはなかったと思います。入った頃は女性の土木職員も少なく、当時「実は女性の引き取り手がなかった」と言われたこともあります。震災でたくさんの仕事を抱えて大変でしたが、だから強くなったんだと思っています。「職場の仲間」として、仕事するきっかけになっています。
上野さん
でも、帰りの電車の中で「腹たつ〜」と思って、静かに悔し泣きしたことはあります(笑)。あと、産休をとった後に、産休前の私のポストが削減されたことがあって、それは辛かったですね。
矢持さん
このときも緊急対応で昼夜現場に出ていたのですが、どんなに頑張っても、現状が変わらず、家に帰れない住民から苦情を受けることもありました。それがツラかったですね。道路規制をして、ちゃんと住民に説明した上で、復旧工事に入ったのですが、「頑張ってるかもしれんけど、遅い」とかいろいろ言われて、キツかったです。
神戸には、海があって、山があって、まちがある
大石(施工の神様ライター)
畑田さん
上野さん
矢持さん