「RC造住宅」というブルーオーシャンを開拓する
岡山県の工業高校を卒業後、大手ゼネコンに入社し、一級建築士や1級建築施工管理技士などの資格を取得しつつ、10年間にわたり現場監督や施工管理で活躍した磯﨑 慎一氏。
退社後には、青年海外協力隊員の経歴を経て、現在は岡山県の民間・公共建築などを手掛ける地域ゼネコン・株式会社サンオリエントを設立し、代表取締役をつとめている。
転機が訪れたのは、リーマン・ショック。民間建築の仕事が一気に冷え込み、一時期、地域ゼネコンや専門工事会社の倒産が相次いだ。この時、磯﨑社長は新たなビジネスとして「RC造住宅」に目を付け、岡山県において”ブルーオーシャン”の市場に活路を見出した。
「地域ゼネコンもハウスメーカーや工務店の市場の一部に乗り出すことによって、生き残りをかける時代に突入した」と語る磯﨑氏に、大手ゼネコンでの経験、RC造住宅のノウハウなどについて話を聞いた。
建築には、人生一発勝負ができる道がある
株式会社サンオリエント 代表取締役 磯﨑 慎一氏
――これまでのご経歴は?
磯﨑 慎一氏(以下、磯﨑) 私の出身地である岡山県倉敷市は、白壁の町並みが残る倉敷美観地区が有名ですが、私が住んでいた地域は田舎でした。なので、大学へ進学する人は少なく、私も地元の水島工業高校を選択しました。
この高校は機械科が人気でした。進路には三菱自動車 水島工場への就職がほぼ約束され、生活も安定するからです。
ただ、私は”人生一発勝負”がしたくて、それができる学科が建築科でした。中学の先生も「建築業界なら、管理職になれる道もある」とポロっと話されていたこともあり、建築科を選びました。
入学当時は建築不況で、卒業しても就職先はないような状況だったんですが、今が底なら上がるしかないだろうと。そうしたら、在学中の3年間でバブル景気が起こり、卒業する時は地域ゼネコンなどから引く手あまたでした。最終的には西日本に強く、大阪に本社がある大手ゼネコンに入社しました。
――配属はどちらに?
磯﨑 四国支店でした。当時の新入社員は3人。私以外の2人は大卒新卒者でした。入社後は、現場の施工図面を描いたりするなどの研修を1か月ほど行いました。
その後、正式に辞令をもらったときのことです。会社から「大卒新卒者は3年で、(高卒の)磯﨑君は5年で現場主任になれるから」と言い渡されたんです。
私は、この言葉に疑問を感じました。研修の進捗度合いから見ても、負ける気がしませんでしたから。「なんで大卒とボクで、現場主任になるまでの期間が違うんですか? 入社が同じなら待遇も一緒であるべきでしょう」とかみついて、「まあ今に見ていろよ。先に上にいってやる」とひそかに決意しました。
しかし、大卒と高卒ではそもそも初任給から差があります。私は4年目から完工高2億円の現場を任せてもらい、現場責任者としてスピード出世してはいたんですが、それでも大卒社員のほうが給料は高い状態が続き、しかも格差は開いていく一方だったんです。
ただ、会社の仕組みに文句を言っても仕方ないですから。それなら、将来的には起業しようと漠然と決意しました。21歳の時ですね。そのためにも、まずは資格を取って、”タイトルホルダー”として勝負しようと考えました。
高卒からの一級建築士に一発合格
――その後、高卒で一級建築士の資格を取得されたんですね。
磯﨑 当時、社内でも一級建築士を取得しているのはほぼ大卒者でした。私の場合、一級建築士を受験するには、まず3年の実務経験を経て二級建築士を取得し、それから4年の実務経験を経て受験資格を得なければなりませんでした。つまり、受験資格を満たすだけで最短でおおよそ8年掛かります。つまり、26歳で受験資格を満たすわけです。
この期間、一級建築士を取得するまでは、結婚しないと決めたり、試験ボケもしないように宅地建物取引士を取ったりしながらモチベーションを維持して、結果的に26歳で一発合格することができました。
この翌年には、1級建築施工管理技士の資格も取ることができ、設計と施工で最も難しい資格を両方取れたので、会社を退職しました。
――退社後はすぐに独立されなかったんですね。
磯﨑 ええ。一級建築士の資格を取得した際、元勤務先の本社から社内報に掲載するための取材がありました。
取材後のライターさんとの会食で、会社を辞め、視野を広げたい気持ちを率直に話したところ、そのライターさんから、「それなら青年海外協力隊で海外へ赴任されては?」とお話をいただいたんです。
調べて見ると、建築分野でも募集していました。仮にその時に独立しても人脈は元勤務先しかないですから、下請けになる可能性が高く、それも面白くないなということで、思い切って応募しました。
――青年海外協力隊ではどちらに赴任された?
磯﨑 ミクロネシア連邦とブータンです。海外で新たな建築技術の知見を得ることは少なかったですが、建築業界とは異なる人脈、多様なモノの見方、歴史認識、さまざまな考え方や暮らし方などを体感することができ、それが現在の起業にも役立っていると感じます。
青年海外協力隊を終えた後は、お手伝いというカタチで、岡山県のある建設会社に起業の準備も含めて入社しました。それから1か月もしないうちに、驚いたことに元勤務先が民事再生しました。
――ゼネコンの倒産ラッシュが続いていた時代でしたね。
磯﨑 元勤務先は、財務が健全で大丈夫だと思っていましたから、民事再生はかなりの驚きでした。当時、勤めていた建設会社の社長からは、「人が足りないので、元勤務先から人材を引き抜くことは可能か?」と聞かれ、私が在籍していた四国支店で実務に強い若手何人かに声をかけ、2人入社しました。1年後、私は起業し、その後その2人が私の会社に移り、現在に至ります。
――壮絶な人生ですね。起業当初からRC造住宅を手掛けていたのでしょうか?
磯﨑 いえ、最初の1年間はリスクを考え、他社の現場管理や、自社で請けても数百万円規模の改修工事から始めました。
岡山県では元勤務先はかなり有名で、ネームバリューが生きていたので、客先からは技術や現場管理に期待を寄せていただき、横のつながりで地域ゼネコンからRC建築現場に応援に行っていました。
リーマン・ショック後にRC造住宅分野に参入
――転機はどこにありましたか?
磯﨑 リーマン・ショック後に、建築業界に大不況が訪れましたよね。私の地元でもハコモノ建築計画が一切なくなり、ほんの少ない仕事をお互いにダンピングし、取り合う状況が続きました。利益が立たない状況が続き、型枠大工などの職人もかなりの数が廃業を余儀なくされました。
国は住宅ローン減税など、住宅建築の活性化に動いていました。当時、ビル建築一本でやっていましたが、リーマン・ショックでその危うさを思い知らされ、「BtoB」と「BtoC」の仕事を両方手掛けないと数字的には安定しないと考えるようになりました。
ただ、個人のお客様から仕事を取るという営業活動をしていなかった。しかも、岡山県でも、住宅建築業界はハウスメーカーからビルダー、工務店と競合他社は山ほどあります。
もし、彼らと素手で戦っても、返り討ちに遭うだけです。そこで当社のスキルで十分に戦える場所は、RC造住宅と決めたんです。
元勤務先でもRC造住宅を建てていましたが、社長や医者の家が多く、総工費は1~2億円ほどでした。ただ、30坪くらいの住宅でも、コストを下げればRC造住宅で十分勝負になります。
とはいえ、当初はPRしても集客に苦労しました。
――住宅と言えばほとんど木造ですから、困難も想像できます。
磯﨑 岡山県では、RC造で住宅を建設する業者がほぼいなかった。仮に、地域ゼネコンがRC造住宅を手掛けるにしても、自前のプランを持っていないため、価格が高くなるんです。そもそも、地域ゼネコンは住宅を手掛けるという概念がほとんどありませんですからね。
「野丁場」から「町場」へ
――それでも、RC造住宅を事業に選択した決め手は?
磯﨑 当社はビル建築をメインとした、いわゆる「野丁場」仕事が多い。一方、住宅事業を中心とする「町場」の仕事もあります。はたから見ると同じ建設業界なのに、仕事内容は「野丁場」と「町場」でまったく異なるわけです。
「町場」の人は元々、大工の棟梁であり、職人気質の人もいますが、業界的には大手のハウスメーカーが牛耳っており、技術や品質よりもマーケティングで競い合います。一方、「野丁場」は「自分たちはこんな難しい仕事もできるんだ」と各社が技術力を競い合う文化が残っています。
ただ、売ることばかり考えて”建てる”というそもそもの行為を軽く見ることはよくないことですし、技術ばかり競いすぎると、エンドユーザーを見ていることになりません。
幸い当社は、「野丁場」で鍛え上げた技術がありましたから、それを「町場」のお客様に提供したいという思いがあったんです。
木造にもRC造にも、それぞれ良い点はあります。RC造は「耐震性が高い」「夏は涼しく、冬は暖かい快適空間をつくれる」「長く住めばライフサイクルコストは安くなります」などのメリットがあります。こうしたメリットをエンドユーザーに新しい選択肢として提供したいという思いから、RC造住宅に力を入れることに決めました。
岡山県で有名な設計事務所から独立した、旧知の間柄の所員がRC造住宅に関心を寄せてくれて、「私は設計を担当するので、施工は磯﨑さんがやってください」という話になり、まず2件を施工するところから始まりました。
これをキッカケに、オリジナルRC造住宅を改良するとともに、木造も手掛け、さらに木造とRC造のハイブリッド住宅と次々と手掛け、ホームページからの集客で、正式に住宅分野にも参入しました。
事業のもう一つ柱に成長したRC造住宅建築
――RC造と木造とのハイブリッド工法、RC造住宅の施工の違いは?
磯﨑 ハイブリッド建築と木造は、それほど施工面で変わりはありません。基礎をつくった段階で、一部RCの壁を造る方式ですから、特に難しくありません。一壁くらいでしたら、木造の基礎屋さんでもできます。
ただ、オールRC造となると、通常の型枠大工や鉄筋工の職人を連れてこないとできません。業者のラインナップがまったく異なるわけです。それに、そもそも地盤から施工は異なりますから。確認申請も、木造であれば図面6~7枚を用意すれば、後は建てるだけですが、RC造であれば、さらに構造図を作成し、構造設計をアウトソーシングする必要もあります。
RC造住宅はブルーオーシャン
――そうなると、昔ながらの地域工務店や住宅に参入していない地域ゼネコンでは、RC造住宅事業を行うのはハードルが高い。
磯﨑 そうですね。住宅コストに見合うRC造プランが必要になりますから、RC造建築を経験したゼネコンの元現場監督などを新たに雇用する必要があるでしょう。
また、人材面に問題がなくても、取引先を「町場」から「野丁場」へ変えなければなりません。民間や公共建築メインの地域ゼネコンでは「B to C」の経験が乏しいこともあるので、イキナリ参入するのは難しい。そもそも、ハコモノと住宅では施工ノウハウも異なりますから。
RC造住宅の現場のもよう
――地域ゼネコンの生き残り策を垣間見た気持ちがします。
磯﨑 当社は、民間や公共建築メインの地域ゼネコンですが、地域の事業が縮小する傾向にある中で、長く生き残っていくことは難しい。そこでもう一つの事業の柱である「RC造住宅」に活路を見出しました。
ここだけはハウスメーカーやビルダー、地域工務店が参入できないブルーオーシャンなんです。地域ゼネコンなら技術的には可能でしょうが、1つの物件が2~3,000万円では恐らく参入しないでしょう。それに、1つの物件に腰を据える傾向が強いゼネコンの現場監督だと、複数の現場を兼務することに慣れていないですから。
ところが、当社のような規模の小さい地域ゼネコンならフットワークも軽く、常に現場監督は数現場を兼務しています。現場ごとのターニングポイントを理解し、数か所の現場を監督するノウハウがあるんです。
ただ、当社以外にも岡山県で「RC造住宅」を売りにした建設会社は存在していたんですが、彼らはすべて倒産しています。
一つの事業に依存する怖さ
――倒産した理由は?
磯﨑 一番の理由は、「RC造住宅」一本で決め打ちしてビジネスを行っていたからです。このやり方は、岡山県という市場では無理です。当社は、住宅分野では並行して、木造やハイブリッド建築の提案を行い、さらに公共・民間のハコモノ建築も手掛けています。
ビジネスのシーズは多様化しています。色々な建築・住宅を手掛けているからこそ、提案力も豊富になります。住宅事業しかやらなかったら、情報も技術も偏りますからね。
――住宅建築業界の今後は。
磯﨑 戸建て住宅を建築する際、現在では90%の方が木造を選択されます。それ以外は軽量鉄骨のほか、わずか数%の方がRC造を選びます。住宅には木造がベストだと考える方も多いです。
しかし、ちょっと視点をずらして考えると、木造かRC造かではなく、戸建てかマンションかで悩まれ、最終的にマンションを選んでいる方も多くいらっしゃるわけです。
こうした方は、セキュリティーがしっかりしている、頑丈である、音の問題が少ない、外気温に左右されないなどの理由でマンションを選択しています。しかし、これはマンションではなく、コンクリートの特性ですよね。コンクリートの建物は安心感があるんですよ。
住宅業界は木造を販売している会社が大多数を占めているので、木造のメリットしか表面化しません。しかし、マンションのメリットを見てみると、RC造住宅のメリットにも通じます。それを今後、アピールしていきたいですね。