女性キャリア官僚のホンネに迫る
国土交通省入省8年目のいわゆるキャリア官僚である横江れんげさんに取材する機会を得た。横江さんは現在、土佐国道事務所の計画課長として、高規格道路である高知松山自動車道いの~越知区間(約20km)の事業化に向け、多忙な日々を送っている。
横江さんによれば、結婚出産後も仕事を続けている女性キャリア官僚は、かなり少ないらしい。つまり、ロールモデルとなる女性の先輩がいないわけだ。だとすれば、「女性が活躍できる建設業の推進」を掲げる組織にしては、かなりお粗末な実情だと言わざるを得ない。
横江さんにとって、国土交通省という職場は「働きやすい職場」なのか。これまでのお仕事などを振り返っていただきつつ、そのホンネに迫った。
大学から「国土交通省を受けてみようよ」
――土木との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
横江さん 工学系に興味があったので、地元福岡にある九州大学に入学したのですが、私が所属していた学科が、土木と資源と船舶のコースがある学科だったんです。そこで土木コースを選びました。それが土木との出会いでした。
――土木コースを選んだのはなぜですか?
横江さん 1年生のときに、各研究室のオリエンテーションのような授業がありまして、そのときに交通工学の研究室に興味を持ったからです。当時九州大学は伊都キャンパスへの移転途中で、移転が完了し、すべての九大生が伊都キャンパスに通学した場合の交通シミュレーションをやっており、おもしろそうだと思いました。
――実際に交通工学の研究室に入ったのですか?
横江さん そうです。交通ネットワークの多重性に関するシミュレーションをチョロっとやりました。
――就活はどんな感じでしたか?
横江さん 大学院に進むつもりだったので、最初は就職するつもりはありませんでした。院試の準備をしていたときに、大学から「国土交通省を受けてみようよ」という話がありました。
それで、一応試験は受けたのですが、官庁訪問に行く気はありませんでした。ところが、先生や先輩から「とりあえず官庁訪問行ってきなよ」とススメられたんです。それで、一応官庁訪問も行きました。それで、そのまま入省した感じです。
――国土交通省でなにをしたいというのは、とくにはなかった感じですか?
横江さん そうですね。「港湾よりは、道路河川かな」ぐらいの感じでした。
――地元福岡で働きたいというのはなかったですか?
横江さん とくになかったですね。東京に行った高校の友人もたくさんいたので、絶対に福岡みたいなのはありませんでした。官庁訪問のとき、面接官からも「転勤が多いよ」と言われたのですが、それは全然気にならなかったです。
津軽弁が聞き取れなかった
津軽自動車道に関するアンケート調査回収ボックス設置状況(横江さん提供)
――最初の配属先はどちらでしたか?
横江さん 青森河川国道事務所でした。大学までずっと福岡にいたのに、いきなり本州の果てで働くことになりました。転勤は気にならないと言ったものの、最初は正直戸惑いました(笑)。青森の事務所では、調査第二課というところで、津軽自動車道の柏〜浮田区間の事業化に向けたアンケート調査などを担当しました。
――青森での生活は大丈夫でしたか?
横江さん なんとか大丈夫でした。技術系の女性職員は私だけでしたが、職場に同年代の男性職員が何人かいました。同じ宿舎暮らしだったので、プライベートも含め、みんなと仲良くやりながら過ごしました。
――メチャクチャ寒いイメージがありますが、その辺は大丈夫でしたか?
横江さん 確かに寒かったです。夏場も涼しいので、宿舎にはクーラーがありませんでした。夏はともかく、冬はキビしかったです。たとえば、青森に来る前に持っていた普通のクツは、靴底が雪国仕様ではないので外を歩くことができません。なので、冬は常に長靴出勤です。
――雪もスゴく積もるんでしょう?
横江さん スゴく積もります。雪かきしないと、道路に出られないんです。
――雪かきは疲れるんでしょう?
横江さん はい、大変でした。なので、最低限のところだけやっていました。
――言葉も聞き取りにくいんでしょう?
横江さん 聞き取れないこともありました。地元の方からお問合せのお電話がかかってくるのですが、聞き取れませんでした。
青森市内は津軽弁なのですが、同じ青森県内でも、言葉が違うんです。なので、青森出身の職員さんでも、他の地域の方の言葉がわからないということがありました。
――外国みたいですね。
横江さん 歴代の先輩方が作成した津軽弁の単語帳みたいなものがありました(笑)。
道路標識の上に積もった雪を棒で突っついて落とす
道路標識上の積雪を除去する作業の様子(横江さん提供)
――青森の次はどちらに?
横江さん 青森に1年いた後、山形河川国道事務所に行きました。工務第二課で工事の発注や予算管理を担当したほか、寒河江国道維持出張所との併任だったので、道路パトロールや維持管理といった仕事もやりました。
私が在籍していたころは、東北中央自動車道の福島〜米沢北間の開通が近かったので、工事量が多く、忙しかったです。職員の中には、1ヶ月に30本の工事を発注していた方もいました。
――出張所勤務はどうでしたか?
横江さん 日によって事務所に出勤したり、出張所に出勤したりしていたのですが、現場を担当するのはこれが初めてだったので、貴重な経験ができました。寒河江は、とてもたくさん雪が降るので、冬場は仕事にならないんです。なので、冬までにいろいろな工事をすべて終えなければなりません。
――やはり大変そうですねえ。
横江さん 道路上の除雪も大変なのですが、私が一番大変だと思っているのが、道路標識などの上の積雪なんです。溶けて凍ってを繰り返した雪が、ある日突然ズルッと落ちてくるんです。
道路上方からの落雪によって事故が起きた場合は、100%道路管理者の瑕疵になってしまうので、標識上に雪が積もっている場合は、一つひとつ長い棒で突っついて落としていかなければなりません。道路標識も、構造的に雪が積もりにくいように工夫はしているのですが、それでも積もってしまうんです。
あと、月山道路で、シーズン初の本格的な降雪の日は、警察さんと一緒に月山道路を通過するクルマの冬タイヤチェックもやりました。
――青森と山形だと、どっちが雪深かったですか?
横江さん 青森の市街地と月山なら、月山です。普通に数m積もりますので。雪山は、怖くて、自分ではクルマの運転ができなかったです(笑)。すぐ隣はガケだったりするので。
環境省の働きやすさを知ってしまう
暑さ指数を測定する機器(横江さん提供)
――その次はどちらに?
横江さん 環境省に2年間出向しました。水・大気環境局大気環境課大気生活環境室という長い名称の部署に在籍しました。騒音振動・臭気などの公害関係を幅広く所管する部署ですが、私は、ヒートアイランド対策を担当しました。ヒートアイランド対策と言っても、ほぼほぼ熱中症対策でした。
数年前から夏場になると、気象庁と環境省が熱中症警戒アラートというものを出していますが、これに使われている「暑さ指数」を公表したり、全国の主なオリンピック会場の暑さ指数を出して、暑さ対策を考えるといったことをしていました。
――環境省勤務はどうでしたか?
横江さん 環境省は職員数が少ないので、私のいた部署は、他の省庁や地公体からの出向者の集まりでした。室には環境省職員は3名しかいませんでした。技術系の上司は室長しかいなかったので、自分でいろいろ考えて、ドンドンやっていくしかないという状態でした。地公体職員向けに熱中症対策の講習会のため、大阪や福岡などの地公体回りもしました。
――楽しかったですか?
横江さん そうですね、自分の好きなようにやらしてもらえたので、楽しかったです。当時の室長も課長補佐も女性の方でした。室長はお子さんが小さかったので、基本的に定時でお帰りになっていたんです。「あとやっといて」みたいな感じで(笑)。環境省は、職場のパソコンの持ち帰りがOKなので、自宅でも仕事ができるんです。
国土交通省と環境省では、仕事の進め方が全然違っていましたね。たとえば、室長に予定があり補佐と私だけで、大臣レクをしたこともありました。国土交通省だったら、ありえないことだと思います。
――その室長さん個人がやりたい放題な人だった、ということではないんですか?
横江さん いえ、環境省全体として「やれる人がやれば良い」という感じがありましたね。あと、環境省には女性の技官がけっこう多く、育休産休明けで、バリバリ仕事をしている女性が周りにいらっしゃいました。「あ、こういう働き方もあるんだな」と驚いた覚えがあります。
首都高&阪高をセットで担当する
――その次は?
横江さん 国土交通省に戻って、道路局高速道路課に行きました。都市高速道路係長として、首都高速道路と阪神高速道路の事業を担当し、オリンピック・パラリンピック開催時の首都高の交通対策の検討などを行っていました。結果的に、環境省から通算して4年間、オリンピック絡みの仕事をしたことになります。
――首都高と阪神高速はセットで担当していたんですね。
横江さん そうです。高速道路課内は、NEXCO、首都高&阪高、本四高速、地方道路公社、防災などで担当が分かれており、私は首都高&阪高担当でした。
――じゃあ、阪神高速の大阪湾岸道路西伸部なんかも担当していたと?
横江さん はい、担当していました。
――スゴくもめた(もめている)事業ですが(笑)。
横江さん そうですね(笑)。「どうやって発注するのか」とか「どのような橋橋形式にするのか」とかを検討していました。あと、淀川左岸線(2期)についても、大阪・関西万博開催時に、大阪駅から万博会場へのシャトルバスルートとして利用するため、いろいろやっていました。
――淀川左岸線延伸部も担当しましたか?
横江さん はい、やりました。延伸部も西伸部も、阪神高速と直轄の合併事業なので、阪神高速と協議しながら、近畿地方整備局とも協議して、資料を直すといった感じでやっていました。
―― 一つひとつの事業がかなりヘビーですねえ(笑)。
横江さん そうですね(笑)。首都高は首都高で、日本橋区間の地下化事業というものがありましたし。
――それも超ヘビーな事業ですねえ。
横江さん あと、首都高&阪高は、都道府県道や市道でして、料金制度を変更するには、各地公体の議会を通さないといけません。そのためには、議会に間に合うように、いろいろな調整ごとなどを終わらせておく必要があります。つまり、すべての段取りをしても前倒しで進めていかなければならないところがあるんです。それがスゴくスゴく大変でした。今振り返っても、「重いものしかない」仕事でしたね。
ちなみに、NEXCO担当は、1人で全国を見なければならないので、これはこれで大変なんですが。
――最悪ですねえ(笑)。
横江さん (笑)。
――思わず最悪と言ってしまいましたが、実際は大変だとしても、ハタ目には、ビッグプロジェクトに関われる楽しそうな仕事のように思えますが。
横江さん 確かに、大変でしたけど、楽しかったですね。
1年間大学院生になる
――その後は?
横江さん 政策研究大学院大学というところで、1年間大学院生をやっていました。国土交通省職員としての籍はそのままで、人事院の国内研究官という扱いで、道路空間の有効活用について研究しました。公共政策プログラムインフラ政策コースというところで、インフラ関係のいろいろな会社や地公体からいろいろな方々が来ていたのですが、同じ土木業界の中でも、業種などによって、安全管理などに関するモノの考え方の違いがあることを知ったのは、おもしろかったです。
ただ、先輩方から「GRIPSでは留学生とのパーティがしょっちゅうあって、それがスゴい楽しいよ」と聞いていたのですが、コロナの影響で、ほとんど開催されませんでした。あと、授業もオンラインばかりでした。研究も基本、1人でやる感じだったので、それはキツかったですね。
課員わずか3名。しかも全員経験が浅い
高知松山自動車道いの〜越知区間に関する資料(土佐国道事務所提供)
――その次が?
横江さん 2022年4月から今の土佐国道事務所にいます。計画課というところで、高知松山自動車道いの~越知区間、延長約20kmの区間の事業化に向けた計画段階評価などを担当しています。アンケート結果を踏まえ、どのようなルートで道を通すかなどの検討を行っているところです。
――計画課長ということで、マネジメントも仕事になってくると思われますが、どんな感じですか?
横江さん 一応課長という肩書ですが、課員は3名しかいないんです。しかも、3名とも経験が浅い状態です(笑)。なので、他の課の方々に協力していただきながら、なんとかやっているというのが現状です。
私はマネジメントする立場ではありますが、自分もプレーヤーとして動かないと、仕事が回らないので、けっこう動きながらやっています。
――新人課長には、ベテランの補佐をつけるという人事慣行があると聞きましたが、そういう配慮はないということですか?
横江さん ないです(笑)。
――そもそも3名で足りているんですか?
横江さん キツいですね。昨年度は4名いたのですが、減りました。
国土交通省はまだまだ働きにくい
――国土交通省の働きやすさについて、どうお考えですか?
横江さん まだまだ働きにくいと感じています。と言うのも、さきほどお話しした環境省の働き方を見てしまっているからです。昔の国土交通省と比べると、男性職員の方が育休を取得したり、少しは良くなっているとは思いますが、環境省や民間企業と比べると、まだまだだと言わざるを得ません。そもそも、国土交通省は、土木職の女性職員の先輩が少ないんですよ。
――辞めているということですか?
横江さん そもそもの採用人数も昔は少なかったですし、結婚を機に転職・退職などする方もいらっしゃいます。
――ロールモデルがいないと?
横江さん そうですね。道路系はとくに女性が少ないんです。
将来の人生設計を含め、職員の希望をちゃんと聞くべきでは?
――どうしたら良いと思いますか?
横江さん 難しい問題ですが、職員一人ひとりの希望などを聞くということをちゃんとやっていくべきなんじゃないのかなとは思います。
国土交通省の人間同士で、結婚後、自分たちの将来の人生設計をまとめて、上司に提出した方がいらっしゃいます。「この期間は2人で一緒に住めるように人事面で配慮してほしい」といった内容を提出したんです。今の希望だけではなく、将来も含めた希望を考慮できるようになれば、ちょっとは良くなるんじゃないのかなと思っています。