道路標識の上に積もった雪を棒で突っついて落とす

道路標識上の積雪を除去する作業の様子(横江さん提供)
――青森の次はどちらに?
横江さん 青森に1年いた後、山形河川国道事務所に行きました。工務第二課で工事の発注や予算管理を担当したほか、寒河江国道維持出張所との併任だったので、道路パトロールや維持管理といった仕事もやりました。
私が在籍していたころは、東北中央自動車道の福島〜米沢北間の開通が近かったので、工事量が多く、忙しかったです。職員の中には、1ヶ月に30本の工事を発注していた方もいました。
――出張所勤務はどうでしたか?
横江さん 日によって事務所に出勤したり、出張所に出勤したりしていたのですが、現場を担当するのはこれが初めてだったので、貴重な経験ができました。寒河江は、とてもたくさん雪が降るので、冬場は仕事にならないんです。なので、冬までにいろいろな工事をすべて終えなければなりません。
――やはり大変そうですねえ。
横江さん 道路上の除雪も大変なのですが、私が一番大変だと思っているのが、道路標識などの上の積雪なんです。溶けて凍ってを繰り返した雪が、ある日突然ズルッと落ちてくるんです。
道路上方からの落雪によって事故が起きた場合は、100%道路管理者の瑕疵になってしまうので、標識上に雪が積もっている場合は、一つひとつ長い棒で突っついて落としていかなければなりません。道路標識も、構造的に雪が積もりにくいように工夫はしているのですが、それでも積もってしまうんです。
あと、月山道路で、シーズン初の本格的な降雪の日は、警察さんと一緒に月山道路を通過するクルマの冬タイヤチェックもやりました。
――青森と山形だと、どっちが雪深かったですか?
横江さん 青森の市街地と月山なら、月山です。普通に数m積もりますので。雪山は、怖くて、自分ではクルマの運転ができなかったです(笑)。すぐ隣はガケだったりするので。
環境省の働きやすさを知ってしまう

暑さ指数を測定する機器(横江さん提供)
――その次はどちらに?
横江さん 環境省に2年間出向しました。水・大気環境局大気環境課大気生活環境室という長い名称の部署に在籍しました。騒音振動・臭気などの公害関係を幅広く所管する部署ですが、私は、ヒートアイランド対策を担当しました。ヒートアイランド対策と言っても、ほぼほぼ熱中症対策でした。
数年前から夏場になると、気象庁と環境省が熱中症警戒アラートというものを出していますが、これに使われている「暑さ指数」を公表したり、全国の主なオリンピック会場の暑さ指数を出して、暑さ対策を考えるといったことをしていました。
――環境省勤務はどうでしたか?
横江さん 環境省は職員数が少ないので、私のいた部署は、他の省庁や地公体からの出向者の集まりでした。室には環境省職員は3名しかいませんでした。技術系の上司は室長しかいなかったので、自分でいろいろ考えて、ドンドンやっていくしかないという状態でした。地公体職員向けに熱中症対策の講習会のため、大阪や福岡などの地公体回りもしました。
――楽しかったですか?
横江さん そうですね、自分の好きなようにやらしてもらえたので、楽しかったです。当時の室長も課長補佐も女性の方でした。室長はお子さんが小さかったので、基本的に定時でお帰りになっていたんです。「あとやっといて」みたいな感じで(笑)。環境省は、職場のパソコンの持ち帰りがOKなので、自宅でも仕事ができるんです。
国土交通省と環境省では、仕事の進め方が全然違っていましたね。たとえば、室長に予定があり補佐と私だけで、大臣レクをしたこともありました。国土交通省だったら、ありえないことだと思います。
――その室長さん個人がやりたい放題な人だった、ということではないんですか?
横江さん いえ、環境省全体として「やれる人がやれば良い」という感じがありましたね。あと、環境省には女性の技官がけっこう多く、育休産休明けで、バリバリ仕事をしている女性が周りにいらっしゃいました。「あ、こういう働き方もあるんだな」と驚いた覚えがあります。
首都高&阪高をセットで担当する
――その次は?
横江さん 国土交通省に戻って、道路局高速道路課に行きました。都市高速道路係長として、首都高速道路と阪神高速道路の事業を担当し、オリンピック・パラリンピック開催時の首都高の交通対策の検討などを行っていました。結果的に、環境省から通算して4年間、オリンピック絡みの仕事をしたことになります。
――首都高と阪神高速はセットで担当していたんですね。
横江さん そうです。高速道路課内は、NEXCO、首都高&阪高、本四高速、地方道路公社、防災などで担当が分かれており、私は首都高&阪高担当でした。
――じゃあ、阪神高速の大阪湾岸道路西伸部なんかも担当していたと?
横江さん はい、担当していました。
――スゴくもめた(もめている)事業ですが(笑)。
横江さん そうですね(笑)。「どうやって発注するのか」とか「どのような橋橋形式にするのか」とかを検討していました。あと、淀川左岸線(2期)についても、大阪・関西万博開催時に、大阪駅から万博会場へのシャトルバスルートとして利用するため、いろいろやっていました。
――淀川左岸線延伸部も担当しましたか?
横江さん はい、やりました。延伸部も西伸部も、阪神高速と直轄の合併事業なので、阪神高速と協議しながら、近畿地方整備局とも協議して、資料を直すといった感じでやっていました。
―― 一つひとつの事業がかなりヘビーですねえ(笑)。
横江さん そうですね(笑)。首都高は首都高で、日本橋区間の地下化事業というものがありましたし。
――それも超ヘビーな事業ですねえ。
横江さん あと、首都高&阪高は、都道府県道や市道でして、料金制度を変更するには、各地公体の議会を通さないといけません。そのためには、議会に間に合うように、いろいろな調整ごとなどを終わらせておく必要があります。つまり、すべての段取りをしても前倒しで進めていかなければならないところがあるんです。それがスゴくスゴく大変でした。今振り返っても、「重いものしかない」仕事でしたね。
ちなみに、NEXCO担当は、1人で全国を見なければならないので、これはこれで大変なんですが。
――最悪ですねえ(笑)。
横江さん (笑)。
――思わず最悪と言ってしまいましたが、実際は大変だとしても、ハタ目には、ビッグプロジェクトに関われる楽しそうな仕事のように思えますが。
横江さん 確かに、大変でしたけど、楽しかったですね。