近年、夏の猛暑は厳しさを増し、熱中症による健康被害が深刻化しています。とくに屋外での作業が多い建設業界では、そのリスクは看過できないものとなっています。こうした状況を受け、厚生労働省は2025年6月1日より、労働安全衛生規則を改正し、熱中症対策を事業者の義務として明確化しました。
本稿では、今回の改正が意味するものから、建設業界における熱中症の現状と課題、そして今後求められる対策まで、多角的に解説していきます。
熱中症対策義務化の主要ポイント
今回の労働安全衛生規則の改正は、熱中症対策を事業者の責務として位置づける画期的な一歩です。これにより、これまで推奨されてきた対策の多くが、法的義務へと変わります。
まず、リスクアセスメントの実施が義務化されます。事業者は作業環境、作業内容、そして労働者個々の健康状態までを総合的に評価し、熱中症のリスクを特定、そのリスクに応じた予防措置を講じなければなりません。万が一の事態に備え、熱中症発生時の緊急対応体制の整備も義務化され、救急搬送マニュアルの策定や応急処置ができる人材の配置が必須となります。そして、これらの対策を実効性のあるものにするため、熱中症の症状、予防方法、緊急時の対応について、労働者への教育と周知を徹底することも、事業者の重要な責務となります。
具体的には、WBGT(Wet Bulb Globe Temperature、暑さ指数)を積極的に活用し、作業の中止や休憩時間の延長、あるいは作業時間そのものの変更といった柔軟な対応が求められます。WBGT(暑さ指数)は、湿度(湿球温度)、輻射熱(黒球温度)、気温(乾球温度)から熱中症のリスクを評価する指標で、以下の計算式から求められます。
- 屋外の場合 WBGT=0.7×自然湿球温度+0.2×黒球温度+0.1×乾球温度
- 屋内の場合 WBGT=0.7×自然湿球温度+0.3×黒球温度
現場でのWBGT(暑さ指数)の測定と表示も推奨され、視覚的にリスクを把握できる環境整備が重要になります。
日常生活における熱中症予防指針 / 日本生気象学会「日常生活における熱中症予防指針Ver.4」(2022)内の図表を加工して作成
参考: 日本生気象学会「日常生活における熱中症予防指針Ver.4」(2022)
全国各地のWBGT(暑さ指数)については、環境省の熱中症予防情報サイトにて確認できるため、日々の熱中症対策の参考にしてください。
また、労働者が安心して休憩できる環境の確保も不可欠です。適切な休憩場所の確保、例えば日陰や冷房設備が整った場所の設置、そして飲料水や塩分を補給できる設備の整備が義務付けられます。さらに、労働者の健康状態を常に把握することも重要で、体調不良や既往歴を考慮した個別の対策が求められるほか、健康診断や作業開始前の体調確認が推奨されます。
さらに、熱中症リスクは、気温や湿度、輻射熱といった環境要因だけでなく、身体作業強度によっても大きく変動します。特に建設現場では、重筋作業や高所作業など、身体に大きな負荷がかかる作業が多く、これらは熱産生を増加させ、熱中症リスクを高める主要な要因となります。
身体作業強度とは、作業によって身体が消費するエネルギーの量を示すものです。例えば、軽い作業に比べて、重い物を持ち運ぶ作業や、階段の昇降、スコップでの掘削といった作業は、身体作業強度が高く、より多くの熱(代謝熱)が体内で発生します。WBGT(暑さ指数)は環境からの熱負荷を示しますが、身体からの熱産生は別要因として重要になります。
身体作業強度等に応じたWBGT基準値 / 厚生労働省パンフレット「職場における熱中症対策の強化について」内の図表を加工して作成
WBGT(暑さ指数)が同じであっても、身体作業強度が高い作業を行う場合は、休憩の頻度を増やしたり、作業時間を短縮したりするなどの特別な配慮が不可欠です。
建設業界における熱中症の死傷者数の現状
建設業は、屋外での作業が大半を占め、重機操作や高所作業など身体的負荷の高い作業が多いことから、熱中症のリスクが極めて高い業種として知られています。厚生労働省の統計データがその厳しい現状を物語っています。
2024年(令和6年)の職場における熱中症による死傷者数(休業4日以上)は全国で1,257人に上り、そのうち31人が尊い命を落としました。その中で、建設業は製造業に次いで2番目に多い228人の死傷者を出し、さらに死亡者数では全国で最も多い10人を数えています。
過去5年間のデータを見ても、建設業は常に熱中症による死傷者数が高い水準で推移しており、業種別で最も多くの被害者を出しています。とくに、熱中症の発生は7月と8月に集中し、時間帯では11時台、そして午後の14時から16時台に多発する傾向が見られます。これらの数値は、建設現場における熱中症対策の喫緊の必要性を強く示唆していると言えるでしょう。
職場における熱中症による死傷者数の推移 / 厚生労働省「令和6年 職場における熱中症による死傷災害の発生状況(確定値)」内の図表を加工して作成
熱中症による死傷者数の業種別の状況(2020~2024年) / 厚生労働省「令和6年 職場における熱中症による死傷災害の発生状況(確定値)」内の図表を加工して作成
熱中症対策に違反した際の罰則
今回の労働安全衛生規則の改正に伴い、熱中症対策の義務違反に対する罰則規定も明確化されました。これは、事業者が単に「努力目標」としてではなく「法的義務」として熱中症対策に取り組む必要性を強調するものです。
具体的には、労働安全衛生法第119条に基づき、今回の改正で義務化された熱中症対策を怠った事業者に対しては、6ヶ月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金が科される可能性があります。この罰則は、企業の社会的信用を大きく損なうだけでなく、経営そのものにも深刻な影響を及ぼすリスクを伴います。
熱中症対策の不徹底が原因で労働者が健康被害を受けた場合、罰則に加えて、民事上の損害賠償責任を問われる可能性も十分に考えられます。これは、企業が従業員の安全と健康を守るという基本的な責任を怠ったと判断されるためです。
したがって、今回の改正は、熱中症対策が企業のコンプライアンスにおける極めて重要な要素であることを明確に示しています。単に法律を守るだけでなく、労働者の命と健康を守るという強い意識を持って、実効性のある対策を講じることが、全ての事業者、とくに屋外作業が不可欠な建設業界においては強く求められます。
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建設業界における熱中症対策の課題とポイント
今回の義務化は、建設業界に新たな安全管理の基準を課すものです。しかし、現場特有の事情を考慮すると、その対策にはいくつかの課題が存在します。同時に、これらの課題を乗り越えるための具体的なポイントも存在します。
建設現場の最大の課題は、やはり屋外作業の多さに尽きます。日差しを遮る場所が少なく、アスファルトやコンクリートからの照り返しが強いため、現場の温度は周囲の気温以上に上昇しがちです。また、重量物の運搬や高所での作業といった重筋・高負荷作業は、作業員の身体に大きな負担をかけ、大量の発汗を促します。さらに、現場では作業員の高齢化も進んでおり、基礎疾患を持つ方も少なくないため、個々の健康状態に合わせたきめ細やかな配慮が求められます。
厳しい工期に追われる中で、十分な休憩時間の確保や作業中止の判断が難しい場面も頻繁に発生します。加えて、現場ごとの環境が大きく異なるため、画一的な対策だけでは不十分であり、それぞれの現場の状況に応じた柔軟な対応が不可欠です。
これらの課題を克服し、熱中症リスクを低減するためには、以下の点に注力すべきです。
まず、WBGT(暑さ指数)に基づいた徹底した管理を導入することが不可欠です。現場にWBGT計を設置し、リアルタイムで数値を把握・表示することで、視覚的にリスクを共有します。この数値に応じて、作業計画の見直し、休憩時間の確保、あるいは作業の中止といった明確な基準を定め、現場全体でその徹底を図る必要があります。とくにWBGT(暑さ指数)が高い日には、屋外作業の開始時間を早める、あるいは夜間作業に切り替えるといった工夫も積極的に検討すべきでしょう。
熱さ指数(WBGT)測定装置と実際の観測の様子 / 環境省「熱中症予防情報サイト」内の画像を加工して作成
次に、適切な休憩と水分・塩分補給の徹底です。日陰や冷房設備が完備された十分な広さの休憩所を確保し、WBGT(暑さ指数)に応じて休憩の頻度と長さを調整します。スポーツドリンクや経口補水液、塩飴などの提供を義務化し、定期的な水分・塩分補給を促すことも重要です。
さらに、個々の健康状態に合わせたきめ細やかな配慮が求められます。作業開始前の健康チェック(問診や血圧測定など)を徹底し、体調不良者には決して無理をさせてはいけません。既往歴や健康状態を把握し、リスクの高い作業員には作業内容の調整や定期的な体調確認を行いましょう。健康に関する相談窓口を設け、作業員が気軽に自身の体調について相談できる体制を整えることも大切です。
現場での冷却対策としては、冷却グッズやファン付き作業服等の積極的な活用も有効です。ファン付き作業服や冷却ベスト、ヘルメット用送風機など、個人で利用できる冷却グッズの支給や推奨を積極的に行い、ミストシャワーの設置や打ち水といった簡易的な冷却方法も併用することで、作業員の負担を軽減できます。
万が一、熱中症が発生した場合に備え、緊急時対応の訓練と体制整備も欠かせません。熱中症の症状や応急処置に関する講習を定期的に実施し、全ての作業員が対応できるよう教育します。熱中症発生時の連絡体制や救急搬送の手順を明確にし、定期的な訓練を通じて実践的な対応能力を高めるべきです。現場には救急箱や冷却材を常備し、すぐに使える状態にしておくことも肝心です。
最後に、協力会社との連携強化も忘れてはなりません。元請け企業は、下請け企業や協力会社に対しても熱中症対策に関する情報共有と指導を徹底し、共通の対策基準を設けることで、現場全体で一貫した安全管理体制を構築する必要があります。
参考:建設業労働災害防止協会「熱中症予防対策」
参考:厚生労働省「建設現場における建設業従事者及び警備員の熱中症予防対策の強化について(要請)」
まとめ
2025年6月1日からの熱中症対策義務化は、建設業界にとって、労働者の安全と健康を守るための重要な転換点となります。今回の法改正を機に、企業は熱中症対策を単なる「コスト」ではなく、「未来への投資」と捉え、より安全で働きやすい職場環境を構築することが求められます。労働者一人ひとりが安心して作業に集中できる環境を整備することが、結果として生産性の向上にも繋がるでしょう。
読者の皆さんが働く建設現場では、どのような熱中症対策を進めていますか?