土木会社が「人口減少社会」で生き残る方法とは?
人口減少率が全国一の秋田県。その中でも、若者の流出が著しい湯沢市に株式会社菅組はある。一見すると橋梁や道路の補修を行う一般的な土木会社だが、その経営の中身を見てみると、「人口減少社会」で生き残るための創意工夫がある。
菅組の試みは、これから本格的な「人口減少」と向き合う土木会社の参考になるだろう。
過疎地に本社を構える株式会社菅組(秋田県湯沢市)
菅組が本社を構える旧雄勝町(湯沢市)では人口が急減している
菅組が拠点にする秋田県の人口は、ピーク時135万人だった。それが2017年に100万人を割り込み、年間1万3千人ペースで人口が減り続けている。
菅組の本社がある旧雄勝町(湯沢市)の人口で見ても、十数年前の約1万人から約7千人まで急減している。このような「人口減少」の逆風下で、中小の土木会社が生き残るには何が大事なのだろう?菅組社長の菅洋介氏はこんな風に語ってくれた。
「最近は、人口減少で世間は大騒ぎですね。しかし、過疎の町に拠点を置く私たちは、ずいぶん前から人口減少をひしひしと肌で感じています。弊社が拠点を置く旧雄勝町には、少し前まで小学校が6つあったんです。最近それが1校に統合されました。それくらいの凄い勢いで人口減少が進んでいます。このような環境で土木会社が生き残るには、道はたった一つ。独りよがりな成長ビジョンにとらわれすぎず、柔軟に『市場に合わせる』しかありません」
高度経済成長期の中小企業は、規模を拡大することを目指してきた。だが、人口減少社会の最前線にいる菅組は「規模拡大にブレーキをかける」ことに懸命だ。
現在の従業員数は約30名。直近は仕事の依頼が急増しているが、仕事を断ってでも規模拡大に慎重な姿勢を崩さない。人口減少社会においての経営者の視点は、5年後、10年後を見据え、「いかに規模を抑える我慢をするか」も重要だ。
人口減少社会に対応するための菅組の武器とは?
株式会社菅組の菅洋介社長と談笑する同社の女性土木技術者
菅組には「人口減少」に対応する武器がある。それは、社員のユーティリティプレイヤー化だ。これはスポーツにおいて、1人でいくつものポジションをこなせる選手のことである。社員が「ユーティリティプレイヤー」を目指すことで、厳しい局面でも守り抜く経営が可能になると菅社長は解説する。
「これは、先代からの弊社の伝統なんです。普通の土木会社だったらコンクリ打設の時は、現場に型枠屋・鉄筋屋・コンクリ屋が入ることが当たり前ですよね。私たちの場合、手先の器用な社員が多いので、自分たちでこれらの工程ができます。下請けが入らない分、高利益体質が可能になります。こういった弊社の強みを育てていくのが3代目の私の役目でしょう」
この「ユーティリティプレイヤー化」をさらに強化するため、現場作業のオペレーター業務と、積算などのオフィスワークの両方ができるよう若手社員を指導している。
加えて、「各現場のアメーバ化(独立採算制)」で社員のモチベーションを限界まで高める取り組みもしている。それぞれの現場の責任者と幹部が話し合い、適正な利益率を設定。この目標を上回る利益が出せたら、そのうちの半分は責任者の報酬に上乗せする。これでモチベーションが上がらないはずがない。
合わせて、利益の管理も徹底している。それぞれの現場から日報で上がってきたコストを、国内最大の会計士集団TKC提供のデータベースにスピーディに反映。すべての現場の売上や利益がひと目で見渡せる仕組みにしている。
「人口減少社会の土木会社は、利益管理が大切だと考えています。細かく管理するだけでなく、リアルタイムで管理する必要があります。厳しい環境では、ちょっとしたミスで組織全体が崩れてしまう。常に1点差の試合をしているような緊張感が経営者にないとやっていけませんね」
広域マーケットの情報収集で攻める部分も
とはいうものの、市場の縮小に合わせてブレーキを踏むだけでは、どこまでも縮小という発想になってしまうだろう。人口減少社会において中小企業は、守りを固めるしかないのか?
「やはり、守りを固めつつも攻める部分も必要。湯沢市外、秋田県外へ営業エリアを拡大していく努力をしています。中小の土木会社だとどうしても、地域密着の視点になりがちですが、近隣の他県を含めて情報収集をしています」
菅組では、約7年間をかけて広域マーケット分析を行い、来期の売上が予想しやすい仕組みを構築した。合わせて、地域密着の部署と、広域に攻める部署を明確にして、安定した経営環境を整えている。
「菅組では2本柱で事業を展開しています。一つ目は、地域密着の仕事中心の『工事課』、もう一つは広域エリアの業務にも対応できる『工務課』です。
工事課は現場でのオペレーター業務や閑散期の除草・除雪などが主な仕事です。工務課では、事業管理や測量などを行っています。仕事量が計算しやすい工事課の売上で安定した基盤を作りながら、工務課で広く攻めて利益を上積みする戦略をとっています」
自分たちは何屋だ?土木屋だ!
「人口減少」に対応するには、エリアを広げる以外に新規事業への参入という手もある。このへんの可能性についてはどうだろうか?
「土木以外の新規事業への挑戦は、先代の時に経験済みです。私が社長に就任する以前の菅組は、バイオディーゼルと農業の分野に挑戦しましたが上手くいきませんでした」
菅組は東日本大震災前に「バイオディーゼル燃料」事業に挑戦した。地域の使い終わった油を精製し、軽油代替燃料として現場で使う試みだった。しかし、「そもそも人口が少ないので油が集まらなかった」と菅社長は苦笑する。仮に油が集まっても「私たちは化学の会社じゃないので、安定した品質管理は難しかったでしょうね」と振り返る。
農業にも挑戦した。耕作放棄地で菜種を育て作った油を軽油代替燃料にしようと考えた。あくまでも本業の合間を利用した作業なので、手入れが行き届かず虫に喰われてしまった。
また、複数の耕作放棄地の移動などに工数がとられ、思ったように利益が上がらなかった。体験することで農業をビジネスにする難しさを学んだ。
「この経験をもとに自分たちは何屋なんだ?ということを見つめ直しました。俺たちは土木屋だ!土木の世界で一番力を発揮できる!この原点を忘れず、まずは本業に注力していきたいですね」
土木の仕事がイヤでたまらなかった青年時代
菅社長と会ってみると、一分のスキもない理論派経営者の印象を受ける。青年会議所やNPOの幹部を務めるなど地域貢献にも力を注ぐ若き名士でもある。
しかし20代の頃は「人生の目標もない。仕事を早く終わらせてパチンコに行きたい。それしかなかった」青年だったという。
菅社長は、秋田県内でも有数の進学校の横手高校に進学、国立・秋田大学に現役で合格した秀才だ。しかし、飲み屋のバイトに夢中になり、大学を留年し続けた。結局、5年間大学に通って3年の時に退学を余儀なくされる。
大学に通ったものの残ったのは飲み屋の経験だけ。父親である先代の社長に「飲み屋をやりたい。金を貸して欲しい」とお願いしに行くと、これまでにないほど激怒された。イヤイヤながら菅組に入社。現場での修行が始まった。
「土木なんかしたくない。その気持ちがいつもあった」
年月は、良くも悪くも人を変える。今の菅社長からは当時の様子は想像がつかない。
「今、菅組は70周年。私が70歳になる30年後に100周年を迎えます。その時まで、人口がいくら減ろうがこの会社を守り抜きますよ。ゼッタイに潰せない」
菅組は他の地域の土木会社より一足先に、人口減少の暴風雨に進む。船長の手腕がさらに試されることだろう。