広域マーケットの情報収集で攻める部分も
とはいうものの、市場の縮小に合わせてブレーキを踏むだけでは、どこまでも縮小という発想になってしまうだろう。人口減少社会において中小企業は、守りを固めるしかないのか?
「やはり、守りを固めつつも攻める部分も必要。湯沢市外、秋田県外へ営業エリアを拡大していく努力をしています。中小の土木会社だとどうしても、地域密着の視点になりがちですが、近隣の他県を含めて情報収集をしています」
菅組では、約7年間をかけて広域マーケット分析を行い、来期の売上が予想しやすい仕組みを構築した。合わせて、地域密着の部署と、広域に攻める部署を明確にして、安定した経営環境を整えている。
「菅組では2本柱で事業を展開しています。一つ目は、地域密着の仕事中心の『工事課』、もう一つは広域エリアの業務にも対応できる『工務課』です。
工事課は現場でのオペレーター業務や閑散期の除草・除雪などが主な仕事です。工務課では、事業管理や測量などを行っています。仕事量が計算しやすい工事課の売上で安定した基盤を作りながら、工務課で広く攻めて利益を上積みする戦略をとっています」
自分たちは何屋だ?土木屋だ!
「人口減少」に対応するには、エリアを広げる以外に新規事業への参入という手もある。このへんの可能性についてはどうだろうか?
「土木以外の新規事業への挑戦は、先代の時に経験済みです。私が社長に就任する以前の菅組は、バイオディーゼルと農業の分野に挑戦しましたが上手くいきませんでした」
菅組は東日本大震災前に「バイオディーゼル燃料」事業に挑戦した。地域の使い終わった油を精製し、軽油代替燃料として現場で使う試みだった。しかし、「そもそも人口が少ないので油が集まらなかった」と菅社長は苦笑する。仮に油が集まっても「私たちは化学の会社じゃないので、安定した品質管理は難しかったでしょうね」と振り返る。
農業にも挑戦した。耕作放棄地で菜種を育て作った油を軽油代替燃料にしようと考えた。あくまでも本業の合間を利用した作業なので、手入れが行き届かず虫に喰われてしまった。
また、複数の耕作放棄地の移動などに工数がとられ、思ったように利益が上がらなかった。体験することで農業をビジネスにする難しさを学んだ。
「この経験をもとに自分たちは何屋なんだ?ということを見つめ直しました。俺たちは土木屋だ!土木の世界で一番力を発揮できる!この原点を忘れず、まずは本業に注力していきたいですね」
土木の仕事がイヤでたまらなかった青年時代
菅社長と会ってみると、一分のスキもない理論派経営者の印象を受ける。青年会議所やNPOの幹部を務めるなど地域貢献にも力を注ぐ若き名士でもある。
しかし20代の頃は「人生の目標もない。仕事を早く終わらせてパチンコに行きたい。それしかなかった」青年だったという。
菅社長は、秋田県内でも有数の進学校の横手高校に進学、国立・秋田大学に現役で合格した秀才だ。しかし、飲み屋のバイトに夢中になり、大学を留年し続けた。結局、5年間大学に通って3年の時に退学を余儀なくされる。
大学に通ったものの残ったのは飲み屋の経験だけ。父親である先代の社長に「飲み屋をやりたい。金を貸して欲しい」とお願いしに行くと、これまでにないほど激怒された。イヤイヤながら菅組に入社。現場での修行が始まった。
「土木なんかしたくない。その気持ちがいつもあった」
年月は、良くも悪くも人を変える。今の菅社長からは当時の様子は想像がつかない。
「今、菅組は70周年。私が70歳になる30年後に100周年を迎えます。その時まで、人口がいくら減ろうがこの会社を守り抜きますよ。ゼッタイに潰せない」
菅組は他の地域の土木会社より一足先に、人口減少の暴風雨に進む。船長の手腕がさらに試されることだろう。
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