建築の仕事で「始末書・顛末書」は無意味
建築の仕事は、建造物を作る仕事なので、案件ごとに億単位の大きな金額が動きます。ミスをすると自分の給料の何年分もの信じられないような大金が、一瞬にして利益から消し飛ぶこともあります。
そしてミスを犯した場合、ミスの報告や検証、法的な証明、そして会社からの信頼を取り戻すために、「始末書」や「顛末書」を書くケースがありますが、私はこの始末書・顛末書を書くことが無意味だと考えています。
そこで私なりに、失敗を犯した際に作成する書類の無意味さを検証し、ミスを無駄にしない対処方法について考えていきたいと思います。
始末書・顛末書は、時間の無駄、責任転嫁の原因
私は何度となくミスを犯し、その都度始末書や顛末書を作成してきました。見積落としや設計ミスによる巨額の損失から、社用車での物損事故など、ミスの内容は様々ですが、ミスをした後、始末書・顛末書を作成する時の気持ちは、いつも決まって「あ~、めんどくさ〜」でした。
ミスを犯すと、最初に上司に報告することになるのですが、その時は「どうしよう!ごめんなさい!ごめんなさい!ああどうしよう!」という気持ちなのです。しかし、関係者たちに順々に報告して、怒られたり対応に追われたりしていくうちに段々ひねくれて、第二段階の「いや、私も悪いけどさ~、あの人も悪くない?」という人のせいにしたい気持ちが現れてきます。
そして、社内の報告参りを済ませ、ミスに対する対応策がまとまった頃に、始末書や顛末書をまとめることになるのですが、その頃にはミスを犯した時の「初々しい反省の気持ち」は完全に消え失せていることがほとんどです。「あ~、めんどくっさ~。悪いのは私だけじゃないのに~、なんで私ばっかり~」となっているのです。
こんな気持ちで作成する書類に、反省の意味は込められているわけがないですね。ミスを犯した原因を突き詰めて、びっしり空欄を埋めたとしても、当事者が読み返すことはありません。
書類を作ることで、原因と対策がしっかり頭に刻み込まれることは確かですが、二度と読み返さない情報を時間をかけて書類にまとめる意味はあるのでしょうか?そして、心から反省していない人が、クソ忙しい中、貴重な業務時間を使って、意味の無い謝罪文を並べる意味はあるのでしょうか?
始末書・顛末書でモチベーションが下がる
始末書や顛末書を作成するもうひとつの問題は、とにかくモチベーションが下がるということです。ミスを犯した自分のダメさを文章で表現し、心の中では失敗を他人のせいにしながら、結びの文では表面的な謝罪文を並べる行為ほど、無意味でしんどい作業はありません。
ミスを繰り返さないために、全社的に周知することや、始末書や顛末書を作成することが会社からの信頼を回復させる手段なのはわかります。書類を書くことで反省するきっかけにもなりますが、反省することでモチベーションが下がるのは疑問に思えてなりません。
ミスと向き合えない人間たちの「責任のなすり合い」
建築業はミスが起こりやすい環境である上、損害の金額も簡単に大きくなりやすいです。ですから、巨額な損害を出したミスと向き合うことで自分のダメさに打ちひしがれ、立ち直れなくなることや、自分に非があるにも関わらず、ミスと向き合うことを恐れ、他の人の責任にすることに必死になるケースも多々おこります。
せっかく業務時間を割いて用意された社内会議での「失敗の展開」の機会では、当事者からのミスの報告の後、つるし上げが始まり、当事者同士の責任のなすり合いとなり、一番立場の弱い者が全責任を追うことで場が丸く収まる、という無意味な結末で終わることもしばしばあります。
多くの人は、自分が可愛いあまりに、どんなに自分が悪くてもその責任から逃れようとし、心から向き合えなくなってしまうものです。
ミスを無駄にしないための原因究明方法
ミスを犯した後、形式にとらわれた事後処理をこなしていくうちに、気持ちはどんどんひねくれていきますが、もう二度と失敗をしないことこそ、最も重要なことです。ミスを無駄にしないで、次の仕事に有効に繋げるためには、形式上の処理をこなす前に一旦立ち止まって、なぜ自分はその失敗に至ったのかを掘り下げて考えることが必要だと思います。
ミスの理由は、「寝坊したから」「疲れていたから」「失恋して心ここにあらずだったから」などなど、身の上話でも自分勝手な都合でも、思い浮かぶものを挙げて、原因を掘り下げていくことが大切です。
例えば、
見積の金額を一桁打ち間違えて提出した
なぜ?
作成後によく確認しなかったから
なぜ?
時間がなかったから
なぜ?
寝不足で集中力がなく、予想外に作成に時間がかかってしまったから
なぜ?
昨晩のテレビがおもしろかったから
なぜ?
マツコデラックスが・・・
結論:もう二度と平日は夜ふかししない!
こうしたリアルな原因究明のほうが、始末書や顛末書の中の「確認不足」という表現で済ませるよりも、よっぽど実になりますし、自分の責任を感じます。
できれば、この反省結果を上司に見せられれば一番良いのですが、「マツコデラックスのせいで・・・」なんて言ったら、上司は正論でねじ伏せてくるはずです。正論でねじふせられると、人はひねくれてまた誰かのせいにし始めて、責任を感じなくなります。または、責任を感じすぎて萎縮する事態に陥ります。
失敗を自分の責任だと受け止め、無駄にしないことは意外と難しいことです。失敗を繰り返してしまう場合には、会社の形式は簡単に変えられませんが、まずは自分自身の失敗との向き合い方から考え直していきたいですね。