土木の魅力を伝える技術者集団「ツタワルドボク」
一般社団法人ツタワルドボクという集まりがある。福岡の土木技術者が中心メンバーとなり、全国の土木技術者、一般向けに土木の魅力などをPRすることを目的とする。
2017年には一般社団法人化。土木の広報PRに特化したレアな業界団体として、毎年イベントや講演などの活動を行なうほか、WEBマガジン「ツタドボPRESS365」として、WEB記事やYoutube動画の配信も行っている。
そんなツタワルドボクを率いるのが、片山英資会長だ。片山会長は、株式会社オリエンタルコンサルタンツ、福岡北九州高速道路公社勤務を経て、現在、株式会社特殊高所技術に勤める鋼橋の専門家で、設計を請け負う個人事務所の代表という顔も持つ。
ツタワルドボク設立の経緯、目的、自身のキャリアなどについて、話を聞いてきた。
土木は住民にちゃんと伝えてこなかった
片山英資・一般社団法人ツタワルドボク会長(株式会社特殊高所技術執行役員)
——ツタワルドボク(以下、ツタドボ)とは何ですか?
片山 産学官の枠を超えて、土木の魅力、意義を伝える土木技術者の集団です。われわれ自身が活動することもありますが、同じ思いを持った同志を増やしていく活動にも力を入れています。
——設立当初から関わってきたと?
片山 「一般社団法人九州橋梁・構造工学研究会(KABSE、カブセ)」(以下、KABSE)という組織があるのですが、ツタドボのスタートは、このKABSEの中の維持管理に関するマジメな研究分科会だったんです。九州の橋梁のメンテナンスをちゃんと実現していくためには、どういう技術が必要かについて、議論をする分科会でした。
この分科会の議論の中で、仕組み自体をちゃんと考えなければならないという話になり、「住民、世の中の理解が必要だ」という論点が出てきました。私は、この論点に関するワーキンググループのとりまとめを行なっていました。
——広報に関する議論ですか?
片山 広報だけではなく、住民説明なども含むもっと広い領域について、議論していましたね。私は当時、2011年ごろですが、福岡北九州高速道路公社(以下、福北公社)という福岡県内の都市高速を管理運営する地方道路公社に勤めていました。
福北公社では、都市高速のメンテナンスのため、「未来への投資」として20年間で630億円投じるプロジェクトを担当していました。当時、このプロジェクトは「無料化先送りだ」と言われ、地元メディアなどから叩かれたんです。われわれとしては、意義を感じており十分準備して記者発表したつもりだったのですが、理解してもらえなかったわけです。
——「無料化」に対する期待があったわけですね。
片山 借金をして都市高速を作って、メンテナンスなどを行いながら借金を返していって、借金がなくなったら、最終的に無料にするというスキームなんですよ。メンテナンスにお金をかけるということは、料金を上げない限り返済期間を延長する、その分無料化が遅れることになります。
未来への投資のために、料金を上げず、無料化を遅らせる判断をしたわけですが、それを「無料化先送り」と批判されたんです。周りの理解が全くない状態のままでは、メンテナンス工事はできないということで、われわれは非常に困りました。
この時、「住民やメディアなどに対する広報、説明って、すごく大事だな」と痛感しました。われわれとしては、もちろん「しっかり説明した」と考えていたわけですが、身勝手に「良いことをした」と思い込んでいただけだったんです。住民からは「メンテナンスのためにそんなにお金が必要なのか。何でだ」という反応でしたから。「ちゃんと伝えていない」から、こういう結果になったわけです。
そんなことがあって、KABSEの中に「ツタエルドボク」という研究分科会を立ち上げたんです。これがツタワルドボクの最初です。この活動を2年やったのち、ツタワルドボクに名称を変更し、さらに2年間活動しました。この4年間の活動を通じて、仲間もだいぶ増えました。
ただ、KABSEはとしての活動は完全に手弁当なので、「志だけではどうにもならない」「疲弊していくだけだと」考えるようになりました。中心メンバーの仲間たちと相談し、「一般社団法人化しよう」という話になり、5年目の2017年に一般社団法人化しました。
——全国組織として立ち上げたわけですね。
片山 そうですね。実際には九州での活動が多いですが。
合言葉は「共Do」
——参考にした先行事例はあったのですか?
片山 一般社団法人化に関してはいろいろ参考にしましたが、ツタドボの運営に関しては参考事例はありません。土木技術者の集まりなので、広報に関しては素人ばかりでした。
広告業界やテレビ、新聞社などの「広報のプロ」の方々にも入ってもらいました。「そんなことやっているから、土木の世界はつまらないんだよ」などとアドバイスをもらい、われわれも勉強しながら、いろいろと活動してきましたね。
——ちゃんと「ダメ出し」してもらって?
片山 そうです(笑)。例えば、「何とか橋梁現場見学会」というイベントをやりたいんだけどと言うと、「興味のない人間は来ないよ」などと当たり前のことをズバズバ言ってもらえるわけです(笑)。
「そもそもイベント名が漢字ばっかりで、面白くない」というご指摘なんかもいただきます。土木関連のイベントって、どうしても固い表現になりがちですよね。そういう表現を見て、「訴求したいターゲットが不明瞭だ」というわけです。
——ツタドボの主な活動としては?
片山 毎年開催している全国大会など定番モノと、お声がかかったら実施する単発モノがあります。
——運営方針などはあるのですか?
片山 極力、多くの土木技術者の方々に関わってもらうことですね。われわれメンバー自身が伝えることも大事ですが、「俺たちも土木について伝えたい」という同志を増やすことに力を入れています。私はこれを「共Do(同、働、動、導、道)」と呼んでいますが、「共にやってくれる土木技術者」を増やしたいという思いで、活動しています。
例えば、一般社団法人日本橋梁建設協会(以下、橋建協)などとコラボし、昨年、木更津高専で「木更津鋼橋専門学校」を1日開校するというイベントを行いました。たんにイベントを行うのではなく、橋建協の方々にもイベントに参加してもらうなど、「共にやる」というスタイルにこだわりました。
このイベントをきっかけに、若手技術者の確保などを目的にした「みかんプロジェクト」が生まれました。人と人の関わり、つながりが生まれ、その輪が広がっていくことによって、土木が世の中に認知されていることを実感できる。これがツタドボの活動の醍醐味であり、目指していることですね。
——Youtubeチャンネルもやってますね。
片山 ええ。「えいすけ・おがしんのツタワルドボクTV」というチャンネルです。土木のいろいろなプロの方に出ていただいて、お話を伺うスタイルでやっています。
重機を動かすおっちゃんがうらやましかった
——土木に興味を持ったきっかけは?
片山 私は長崎出身なんですが、昭和57年の長崎大水害を経験しました。当時、私は小学校4年生でした。私の実家は川の横にあって、近くに橋もありました。水害により、橋に流木が詰まり、がけ崩れもあって、川の水が私の家に流れ込み、家の1階部分がメチャクチャになりました。
私や家族は2階にいて、救助されました。その後、川と橋の復旧工事が行われたのですが、私は実家の2階からその様子を見ていました。おふくろは、「ご苦労様」と言いながら、現場で働く人のためにお茶を持っていったりしていました。見ていて、重機を動かしているおっちゃんたちがカッコ良かったんです。それと同時にうらやましかったんです。
——うらやましい?
片山 ええ。クレーンやバックホウで豪快に作業している様子を見て、「よか〜」と思って、うらやましかったんです。それがきっかけで、土木に興味を持ちました。小学生のころから「俺、片山組つくるもんね」とか言ってました(笑)。
子どもの言うことなので、半分冗談でしたが、それがなんとなくアンカーになって、今に至っている感じがしますね。橋は橋で好きだったので、「どうせなら」ということで、橋を選びました。
——土木の勉強は大学から?
片山 そうです。九州工業大学です。研究室では耐震、振動に関する勉強をしていました。
——就職は?
片山 株式会社オリエンタルコンサルタンツ(以下、オリコン)に入りました。最初広島で、福岡に帰ってきて、10年ぐらい働きましたかね。民主党が政権をとった頃で、建設業は冬の時代を迎えていました。
「コンサルはもう先ないんじゃねえか」と思っていたところに、たまたま福北公社が求人していたので、転職しました。オリコンでは、たまたま鋼の橋梁の上部工の設計をやっていました。都市高速は9割鋼橋なので、ちょうど良かったんです。「橋梁の持ち主になるって、楽しそうだな」というのもあって、転職しました。
——「持ち主になる」という感覚だったんですね。
片山 ええ。「持ち主になれば、私が考える正しいものづくりが全部できるんじゃねえか」と思ってましたね(笑)。まあ、世の中そんなに甘くなかったですけど(笑)。
——オリコン時代は、メタルの橋の設計をメインにしていたのですか?
片山 そうです。私がいた当時は、まだ新設の仕事が多かったですね。
——思い出に残る仕事は?
片山 いろいろありますけど、東九州自動車道の北九州ジャンクションとかですかね。ジャンクション橋もですが、その手前の本線橋梁の拡幅を通行止めすることなく実現するという設計を担当しました。
単純な普通の橋ではないのですが、いろいろな細かなステップがあって、計算なども大変で苦労したんです。その分、いろいろな思い出が詰まった仕事になっています。
——オリコンでの仕事は充実していた感じですが、なぜ転職を?
片山 私が調子に乗っていたのが多かったですね(笑)。国交省などからいろいろ表彰を受けたりして、調子コイてたんですよ(笑)。
でも、会社の業績は年々悪くなっていて、給料は上がらないという状況の中で、「次は東京に行くしかない」という展開が見えていたり、いろいろな不安、不満が溜まっていたんです。
——そこに運良く福北公社の求人が舞い込んできたと。
片山 そうなんです。鋼橋ばかりって最高じゃないかと思って。
コンサル時代は発注者をナメていたが…
——受注者から発注者になると、ずいぶん世界が変わるのでは?
片山 変わりましたねえ。オリコン時代は、発注者のことを若干ナメていました(笑)。ただ、自分がその立場になってみると、受注者が知らないところで、いろいろと大変なことがあることを知りました。
——お役所仕事もそれなりに大変だと。
片山 そういうことです。「なんという面倒くさい仕事をちゃんとやっているんだ」と思いましたね(笑)。福北公社は、福岡県や福岡市、北九州市などの出資で成り立っている組織なので、意外とギリギリにヒトもカネも節約してやっているんです。何から何まで自分でしなければならないことに驚きました。ただ、現場監督から議会答弁まで、いろいろ経験できて楽しかったですけどね。
——技術畑だけではなかったんですね。
片山 最初は、国や市などとの事業調整を行う部署に配属されました。その後現場に出て、堤〜野芥間の建設工事現場の監督をしました。設計に行ったときは、管理者として設計を担当しました。先ほどお話ししたメンテナンスを担当する部署では、予算や計画をつくりました。首都高速道路株式会社に短期出向したこともあります。最後は新線をつくる部署にいました。トータルで12年ぐらいいましたね。
——給料は下がりましたか?
片山 はい、ビックリするぐらい下がりました(笑)。求人には「給与は経験年数・実績を考慮する」と書いてあったので、「それなりにもらえるだろう」と思っていたのですが、オリコン時代の3分の2になりましたよ(笑)。「うっそやろ〜」とおったまげましたねえ(笑)。でも、仕事が面白かったので、「まあ、いいか」と思うようになりましたけど。
——福北公社の仕事はやりがいがありました?
片山 ありました。広範囲の仕事ができるのが魅力でしたね。一つひとつの仕事の「濃さ」はコンサルの方がありますが、範囲は狭い。それなりの濃さを持った仕事をいろいろ経験できたのは、大変勉強になっています。世の中を学べましたね。もし、福北公社に行かなかったら、ずっと調子コイてたまま生きていたかもしれません(笑)。いろいろなことの見方が変わりました。
例えば、国土交通省の方々とも一緒に仕事をする機会もあったのですが、こんなに働いている方々を初めて見ましたよ。「『居酒屋タクシー』ぐらい許してやれよ」とか思いましたもん(笑)。ホント、「いつ寝てんだ?」っていうぐらい働いてますよ、彼らは。
首都高速に出向したのも良い経験になっています。当時、私は利用者のことを「エンドユーザー」と呼んでいました。コンサル時代から私にとっての「お客様」は国、県や市でした。首都高速では車を運転する方々を全員が「お客様」と呼んでいました。これが普通なんですが、私にとっては新鮮でした。「誰のためにつくるのか」ということについて大きな気づきを得ましたね。
「関係者全員が喜ぶ政策はない」ということも知りました。例えば、都市高速を新たにつくれば、便利になって喜ぶ方々がいる一方、不利益を被る方々、地域も出てくるものなんです。インフラ整備には「良い面悪い面両方ある」ということが腹に落ちました。
「余計なことをするな」に我慢できず、再び民間へ
——現在は、福北公社を辞めて、株式会社特殊高所技術に勤めていますね。
片山 福北公社を辞めたきっかけは、ツタワルドボクの活動を関係がありました。福北公社の職員は半公務員なので、別の法人に属することができなかったんです。ちょうどその頃、飲酒事案がスキャンダルになって、メディアから福北公社が叩かれるようになり、組織的に「余計なことをするな」という空気が漂い始めたんです。
私は、ツタワルドボクや九州産業大学の非常勤講師、土木学会などの活動は、福北公社の価値も上げると信じていたのですが、活動の自粛が求められました。私は管理職だったのですが、「勝負するなら、まだ無理のきく今しかないな」ということで、福北公社を出る判断をしました。
——株式会社特殊高所技術を選んだ理由は?
片山 「辞めたら、いつでもウチに来てください」と、ずっと言ってくれていたからからです。この会社は、橋梁の点検をする会社で、この会社しかできない点検技術、ノウハウを持っています。都市高速は、橋の下には多くの車や人が行き来しているので、モノが落ちることは絶対あってはなりません。ただ、都市高速には、通常のやり方では点検できない場所もあります。そういう難点検箇所を特殊高所技術にお願いしていたご縁がありました。辞めるときには、何の迷いもなく、お世話になることにしました。
——特殊高所技術ではどんな仕事を?
片山 基本的には自由にやらせていただいています。人材育成や技術開発、現場指導などを担当しています。特殊高所技術が点検に行く構造物は、今まで一度も点検していない箇所が多いんですよ。中には、結構ヤバイ状態のモノがあるんです。現場指導では、送られてきた画像を見て、「道路管理者にすぐ通行止と助言した方が良い」と言うこともあります(笑)。
——個人事務所を始めたのも、福北公社を辞めた後?
片山 そうです。私個人として、設計の下請け仕事を請け負っています。こちらで限定しているわけではないのですが、来る仕事は橋梁ばっかりですね。たまに施工計画ものの依頼が来ることはありますけど。
「ツタドボはもう必要ない」がゴール
——橋の魅力はなんでしょうか?
片山 「橋は花形」という優越感ですかね。やはり「橋の造形美」は大きな魅力だと思っています。土木構造物の中で、「みんなで観に行こう」となるモノは、やはり橋だと思うんです。機能面で言っても、橋が架かると、交通の利便性が画期的に向上します。
——最近の若者には、土木よりも建築が人気のようですが。
片山 建築は特定の施主のために建築物を作りますが、土木は、不特定多数の人々のために構造物をつくる仕事です。私は土木の方がやりがいがあると思っています。若い子に話す機会があれば、そう伝えています。防災は、土木ならではの仕事ですよね。多くの人々の命と生活を守るという、非常にやりがいのある仕事だと思っています。
やりがいがある分、大変な仕事なのは確かです。夜中に緊急出動しなければならないし、危険な場所にも入らなきゃいけません。若い人であっても、多くの人々の安全を守ることに喜びを感じられる人はいると思います。そういう人には、土木の仕事は向いていると思いますよ。
——ツタドボの今後の活動について、どうお考えですか。
片山 全国のいろいろな方々と「共Do」したいですね。例えば、今年は明石高専でイベントを行いますが、これを全国に広げていきたいと思っていますし、機会があれば全国どこでもイベントを開きます。ただ、ツタドボを有名にし、全国に広げるのは、我々の目的ではありません。
我々の活動は、一人でも多くの国民に土木の魅力、意義を伝えるための手段なんです。そのために、土木に関する熱い想いを持った方々とコラボしながら、われわれの活動を広げたい。そう考えています。最終的には、ツタドボがなくなれば良いと考えています。それは、我々の目的が達成され、国民に土木の魅力、意義が伝わったたときなのでね。「ツタドボなんて、もう必要ない」と言われる日が来ることを待ち望んでいます(笑)。
——メンバーを増やしたいとは思わない?
片山 それは増やしたいですよ(笑)。ただ、いたずらに数を増やすのではなくて、熱い想いを持った質の高いメンバーを増やしたいというのが、私の考えです。理事会のメンバーからは「あんた、ちゃんと勧誘して来なさいよ」と言われるのですが(笑)、それぞれで活動しているのであれば、無理やりツタドボに入れる必要はないと思っています。仲間として、コラボしていけば良いのでね。