全国の石工が熊本城に集う
2016年4月、熊本県のシンボル・熊本城を最大震度7の地震が襲った。
1607年に加藤清正によって建てられた名城は、重要文化財建造物の13棟、復元建造物20棟のすべてが被災。最も被害が大きかったのが石垣で、全体の約1割が崩落。緩みや膨らみで危険な箇所を含め、約3割に当たる約7~10万個もの石を積み直さなければならなくなった。
崩れた石垣
その熊本城で、10月20日~22日、石垣修復のための研修が行われた。文化財石垣保存技術協議会が主催で、伝統的な石垣修復の技術を次代に継承することが目的。希少な技術を学びたいと、全国から石工たちが集まった。
協議会の市川浩文さんに研修の意図を、そして地元熊本出身の石工・中尾義輝さんに熊本城の修復に懸ける思いを聞いた。
石垣に使う石は、人力で割る
まずは、協議会の市川さんに石垣修復の流れについて話を聞いた。
研修では、石垣修復に必要な3つの伝統技法を教えるという。石を割って加工する技法、石を割るための道具を作る技法、そして石を積む技法だ。
「簡単な修復の流れとしては、まず崩れた石に番号を付けます。次に石垣照合システム(熊本大学が開発したコンピュータビジョン技術と、凸版印刷所有の崩落前の熊本城のデータを使い、石材の位置を推定するシステム)で石の位置を特定し、石垣の図面を作ります。
その図面をもとに、石工さんが現場で確認しながら積んでいきます。元の石が無い場合は現場で作ります」
石垣修復の図面
石垣に使う石はかなり大きいが、人間の力だけでどうやって割るのだろうか。
「ノミを使って石に矢穴と呼ばれる穴を掘り、その穴に鉄で作った矢(クサビ)を入れます。そこを玄能(大型の金づち)で何度も叩いて割る。そうすると、最低限の力で割ることができるんです。安土桃山時代にお城の石垣づくりに導入され、熊本城にも採用されたようです」
矢穴を掘っている様子
穴に矢を入れる
石を割る様子
現代の土木では、石材を割るときは機械を使う。伝統的なノミや矢は売られていないので、石工が自分で作る必要があるという。
「熊本城の石垣の石一つ一つに、矢で割った跡がたくさん残っています。もしドリルで石に穴をあけてしまうと、まっすぐな穴ができ、現代技術で作ったことが一目でわかってしまうんです。
伝統的な道具は鉄の棒を熱して柔らかくして、叩いて作ります。刃物を作るときと同じ要領で、かなりの時間がかかります」
石を割る道具を作っている
文化財石垣保存技術協議会は、各地の城で同様の研修を行っているという。今回は、なぜ熊本城で研修をすることになったのか。
「被災現場を実際に見ながら研修ができるからです。前回は姫路城で行ったんですが、他の城だとここまで壊れていないので、修復がすぐに終わってしまうんですね。
熊本城なら修復まで20年はかかるので、目の前で被災状況を見られます。昨年からここでやりたいと、熊本城にお願いしていました」
研修では、熊本城二の丸北側にある”百間石垣”の一部を二の丸広場に持ち込み、修復するという。
「元は高さ10mくらいの石垣です。2006年度の時点でかなり膨らんできていて、このままでは崩れると、一度解体して積み直したようです。熊本地震でそこがまた崩れてしまい、現在はこれ以上崩壊しないように、モルタルで吹き付けをして保護しています」
保護された百間石垣
修復した石垣は今後どうなるのか。
「二の丸広場にこのまま置いておき、模型として一般公開する予定です。普段、石垣の裏側や側面は見られませんが、これだと全て見られますから。この石垣の修復をするのは修復計画の後半なので、最後にこの模型の箇所を修復するときに、石垣の中に戻します」
城ごとに使われている石が違う
今回の研修には、全国各地から様々な専門家が参加している。
「石工の研修生は18人で、半分は熊本県内の方です。残りは茨城、長野、大阪、香川、愛媛、佐賀、福岡の方。普段から文化財の仕事やっている方もいれば、直接携わってない方もいます。他には、設計コンサルタントや行政の文化財担当者が5人。あとは石工の講師、協議会の棟梁や文化財専門の研究者、考古学の先生などで、合計50人弱です。中には、熊本城の石垣修復に携わった講師や研修生もいます」
どういう目的で研修に来るのか。
「熊本城も含め、地元の城の復興事業に携わるためですね。すでにある技術を磨きたい方や、技術をまだ身に着けていない方が自己研鑽として来ているようです。石垣は災害で崩れなくても、膨らんできたら解体したり、網かごで抑えたりする必要があります。解体しての積み直しは最終手段ですが、新しく石垣を作るときにも使える技術です。
石積み研修の様子
また、福岡城や小倉城もそうですが、江戸時代の大半の城の石垣は矢で石を割って作られています。違いは矢や穴の大きさだけで、積み方も同じ。ここで技術を覚えれば、どこに行っても応用できるんです。
ただ、土地によって使われている石が違うので、石の質に合わせて割り方を変える必要はあります。各地で研修する意味はそこにあるんですね。たとえば熊本城は安山岩ですが、姫路城は凝灰岩で、火山灰が固まったもの。伊豆は違う種類の安山岩です。色んな石を扱えるようにならないと、汎用性のある石工にはなれないんです」
最近は各地で災害が多く、石垣の修復が必要になることが多いという。だが、石工の数は圧倒的に足りていない。
「人手不足なので、呼ばれたら全国に飛んで働いている人も多いですよ。建設会社に勤めてる方もいれば、一人親方というフリーランスの石工もいます。ゼネコンが石工を抱えてるわけじゃないので、受注したらばーっと声をかけて集めるみたいですね」
石は1日に10個積むのが限界
次に、研修に参加していた、熊本県玉名市出身の石工・中尾義輝さんに話を聞いた。中尾さんは石工だった父親に誘われ石工の道を選び、熊本で一人親方をやっているという。今年2月から6月には、熊本城の大天守・小天守の石垣修復に携わった。
中尾義輝さん(45歳)
「修復には、熊本だけでなく、大阪の石工さんも来ていました。普段は他のお城を手掛けている石工さんが来てくれて嬉しいし、頼もしかったですね。修復作業には初めて参加したので、すごく勉強になりました。初めからわかっていましたが、やっぱり大変な仕事でしたね」
実際に、どのような作業をしているのか。
「番号を振ってある図面や、崩れる前の写真を見ながら、石をはめています。たまに『この図面違うんじゃないか』ということもありますよ(笑)。石の大きさがちょっと違うとか。崩れてない石垣をあえて崩したなら、”この石”ってわかるけど、崩れてからだと本当にその石なのかもわからない。手探りの状態です」
崩れた石垣
現場では大阪や長崎の石工も含め、三組ほどで作業したという。石を加工する組と積む組に分かれて交代しながら作業をしていたというが、どちらが体力的にきついのだろうか。
「どっちもどっちなんですが、加工ですかね。石を積んでいく段階で、どうしてもない部分が出てくるんですよ。石がないと次が積めないんで、いかに速く間に合わせるか。急がないといけないんで、プレッシャーがあります。
図面に書いてあっても、なくなった石が実際はどんな大きさなのか、わからないこともあるんですよ。現場で残った石だけ並べていって、空白部分の上に石をクレーンで吊って、その空白に紙を当てて型をとることもあります。その型紙を加工さんに渡して『すみません、至急で!』ってお願いすることもあるんですが、加工にはかなり時間がかかります」
クレーンで石を持ち上げる
そのため、1日で作業ができる量は、かなり限られてるという。
「結構少なくて、進んでも10個積むくらい。間詰石(大きな石の隙間に詰める小さな石)も、ある程度大きいものには番号が振ってあるんですよ。だから図面通りに、後で石が動かないように注意しながら詰めていかないといけません。細かいので、どれがどれかわからなくなっていることもあります。なくなった間詰石は、新しいものを作って後で詰めています」
石の積み方に、石工の個性が現れる
気が遠くなりそうなほど地道な作業だが、意外にも現場では石工同士お喋りしながら、和気あいあいと作業しているという。
「正直きついときはあるんですけど、一歩一歩進めていかないと復旧が最後まで行きつかないので。時間がかかっても丁寧にやることを大事にしています。ちょっとでも高さが違うと下からやり直しとかになるんですよ。何回も一回はめてばらして、またはめてという感じで。ただ、僕は地道な作業が好きなんですよ。最終的に積み上がったら、『おお~』となりますね」
休日は日曜日くらいだが、体は慣れているという。
「腰は痛いですけどね。重いもの抱えたり、ちょっとしたことでひねったりすることも。なったらなったでしょうがないけど、体に気を付けて作業はしています」
石工の仕事の楽しさは何だろうか。
「自分の個性が現れるところじゃないですかね。石を積むにしても、人それぞれ積み方が違うと思うんですよ。これ、あの人の積んだ石じゃないの?みたいな。
普段は河川のブロック積み工事とか、建築ブロックなどの二次製品を積んでいく仕事をしています。普通は切るより積むほうが多いですね。石だと自分で加工しないといけないですが、自分で作れたほうがやりがいがあります。自分の作った石が扱えるわけですから、ブロック塀より石垣のほうが、それはもう全然嬉しいです」
熊本城の今後の修復に向けて、石を加工する技術を高めたかったという中尾さん。研修はどうだったのか。
「慣れてる石工さんはノミとセットウ(小型の金づち)の使い方が本当にすごいんです。石は慣れていないとなかなか割れないんですが、慣れてる人が叩けばぽんぽん割れる。割れた石を平らにして、角をとるのも速いです。もちろん積み方のノウハウも学べました」
20年以上掛かっても、全部の石垣を修復したい
熊本で生まれ育ち、ずっと熊本で石工をしてきた中尾さんには、熊本城の修復には並々ならぬ思いがある。
「今回、熊本城の修復の仕事ができたのは、熊本城に前から携わっていた自営仲間が誘ってくれたからです。熊本城の修復をしてるって言うと、やっぱり周りに応援されますね。この先ずっと残るので、恥ずかしくないようにやっていきたい。
天守閣修復の仕事が終わって、今は別の仕事をしてるけど、熊本城の仕事が始まればまたやりたいです。次は飯田丸あたりの修復があるんじゃないですかね。
修復中の天守閣
今の状況だと、20年以上かかるんじゃないかと思います。けど、最終的には全部の石垣を修復できたらいいなと思います」
復元された大天守の外観は、10月5日から特別公開が開始されている。