インフラドクターにかける、それぞれの思い
首都高グループなどが開発した「インフラドクター」については、すでに何度か記事にしてきたが、先日、「鉄道版インフラドクター」として、伊豆急行のトンネル(31箇所、約18km)の点検に実用化されることを知った。「鉄道版インフラドクター」の導入により、従来の検査に比べ、日数で約80%、コストで約40%の削減が可能になるという。
今回の実用化は、日本のインフラメンテナンスを大きく変えるきっかけになる可能性を秘めていると思われるが、当事者はどう考えているのか。ということで、東急株式会社、伊豆急行株式会社、首都高速道路株式会社、首都高技術株式会社の4者にお集まりいただき、実用化の意義、インフラドクターにかける思いなどについて、それぞれ話してもらった。
参加者
- 森 友峰さん
(東急株式会社 交通インフラ事業部戦略企画グループ新規事業担当 課長) - 岩瀬 祐人さん
(東急株式会社 交通インフラ事業部戦略企画グループ新規事業担当 主事) - 山田 岳文さん
(伊豆急行株式会社 運輸部 副部長 兼 技術課長) - 田沢 誠也さん
(首都高速道路株式会社 技術コンサルティング 部長) - 永田 佳文さん
(首都高技術株式会社 インフラドクター 部長)
生産性が従来の20倍以上向上
――インフラドクターとはどういうものでしょうか?
永田さん(首都高技術) インフラドクターはもともと、首都高速道路の構造物のメンテナンスをサポートするためにつくったシステムです。例えば、コンクリートに剥落の可能性が発生した場合、レーザーを使った3次元点群データで剥落箇所を検知することができます。
3次元点群データを使うことで、画像では検出できなかった微細な損傷なども検知することができます。この3次元点群データには、すべて緯度、経度、標高(x,y,z)の座標がプロットされており、照射することで、構造物の凹凸を表現することができます。この機能を使って、道路構造物のわずかな変状などを人が目で見てわかるように処理するものです。
首都高グループが開発した「インフラドクター」(画像提供:首都高技術株式会社)
インフラドクターの開発を始めたのは6年ほど前です。首都高速道路には、橋やトンネル、土工部、建築物など多様な構造物があります。当時、首都高速の構造物のうち、建設から50年以上経過したものが10%を超えていました。さらに20年経つと、50年を経過したものが60%以上を占めることになります。われわれは、これを「老朽化」とは言わず、「高齢化」と言っています。インフラとしてまだまだ使えるからです。
ただ、使えると言っても、高齢化に伴う損傷は増えることが目に見えていました。また、将来的にインフラの点検メンテナンスを行う技術者が減っていくことも明白になっていました。インフラの高齢化に伴う損傷の増加、インフラメンテナンスに関わる技術者の減少に対応するのはどうすれば良いか。これらがインフラドクター開発の大きな理由でした。
――実際にインフラドクターを導入して、どうでしたか。
田沢さん(首都高速道路) 首都高グループでは、3年前の7月からインフラドクターを導入したわけですが、新しいシステムなので、当初は使い勝手が悪いところがありました。ただ、システムの扱いに慣れてくると、現場に行かずとも、図面と現場の状況を確認できるので、業務効率は飛躍的に向上していきました。
点検メンテナンスの担当者にヒアリングを行い、インフラドクター導入によって生産効率がどれだけ向上したか調査してみると、資料収集、現場確認のためリードタイムが大幅に短縮され、生産性は、従来のやり方に比べ、20倍以上向上したことがわかりました。
従来のやり方だと、緊急対応で現場に行く場合には、資料の収集や、道路管理者などとの協議などの準備時間が必要になり、現場確認まで含めて2日ほど要していました。インフラドクターを使えば、準備から現場確認まで正味0.2日で済みます。資料収集は、パソコンのボタンを押せばすべてのデータが一瞬で出てきますし、道路管理者などとの協議はそもそも不要だからです。
首都高速道路には、道路と鉄道線路が近接交差する箇所が数多くあり、現場で補修する場合などには、足場などを組むための測量を行う必要がありました。計画から測量までに1ヶ月ほどかかり、現場の図面作成までの作業を含めると、これまでトータルで40日間ほどを要していました。インフラドクターを使うと、これが一気に2日間まで短縮されることがわかりました。
インフラドクターは、これら以外にもいろいろな使い方があります。使い勝手を含め、まだまだ改良すべき点はありますが、首都高速道路としても、日々改良に努めているところです。
インフラドクターは鉄道にも使える
――首都高グループでは、首都高速道路以外のインフラへのインフラドクター導入に取り組んできましたね。
田沢さん(首都高速道路) インフラドクターは、首都高速道路のために開発されたシステムなので、われわれとしては当初は、国土交通省や自治体など他の道路管理者に対し、ご説明に伺っていました。その際、道路と同じように橋やトンネルがある鉄道にもインフラドクターを活用できるんじゃないかという発想が出てきました。そこで、あるルートを通じて、東急さんをご紹介いただき、ご説明に伺いました。2年前の6月のことです。
東急さんとお話をすると、道路と同じような点検に関するお悩みを抱えていることがわかりました。法定点検の頻度は、道路は5年に1回ですが、鉄道は2年に1回ということで、人海戦術でなんとかこなしているということでした。そこで、インフラドクターをご紹介し、話がどんどん進んでいきました。
私としては、東急さんがすぐに話に乗っていただけるとは考えていませんでしたが、3回目にお会いしたときぐらいから、いろいろと細かいご質問をいただくようになり、インフラドクターに前向きでいらっしゃると感じるようになりました。
2年前の9月になると、東急さんの100%子会社である伊豆急行さんのほうで、実際にインフラドクターによる鉄道インフラの点検の実証実験をやってみようというお話をいただきました。それを伺ったとき、正直「え〜っ!」という感じでした(笑)。同じ道路を管理する国土交通省の一般国道などを抜いて、鉄道が首都高以外で使用する第1号になることに驚きを隠せませんでした。そこから、首都高グループを挙げて、伊豆急行でのインフラドクターの導入に動き始めたわけです。
――東急ではインフラドクターをどう評価していたのですか。
森さん(東急) 首都高さんからインフラドクターのご説明をいただく少し前に、東急田園都市線で施設物の老朽化に伴うトラブルが重なりお客さまにご迷惑をお掛けしておりました。その影響もあり、経営陣を含め、インフラメンテナンスに力を入れなければいけないという意識が高まっていたんです。
ただ、とくに有効な手立てがあったわけではなく、まずは人海戦術で点検を行い、早期復旧できる体制を整える等の対策を実施しておりました。われわれとしても、このままではいずれ立ち行かなくなることはわかっていました。会社として、新しい技術を模索していたときに、インフラドクターのお話を伺ったわけです。
インフラドクターは、すでに首都高速道路で実績のある技術です。鉄道と道路は、別々のインフラですが、共通する部分も少なくありません。インフラドクターを知ったとき、「これは使える」と直感的に感じたことを覚えています。インフラドクターが使えるかどうかは、実際に試してみないとわからないので、伊豆急行で実証実験してみようということになりました。
インフラ点検は時間的にも労力的にも大きな負担だった
山田さん
――伊豆急行では、インフラメンテナンスに関してどのような課題を抱えていましたか。
山田さん(伊豆急行) 鉄道構造物の点検は2年に1回行うことになっており、トンネルに関しては、20年に1回、特別全般検査を行う必要があります。伊豆急行ではこれまで、直営体制でこれらの点検検査を実施してきましたが、通常の保守作業に加えて、これらの点検検査を実施することは、時間と労力を要するため大きな負担になっていました。まず日程を組むのが大変ですし、膨大な点検データを担当者がまとめるのも容易ではありません。
伊豆急行(画像:伊豆急行株式会社HPより)
伊豆急行の総延長は約46kmですが、このうちの18kmほどをトンネルが占めています。橋梁の延長自体は2kmほどですが、100箇所以上あります。また、伊豆の狭隘な海岸線から山岳地帯を走っているので、切土、盛土の土構造物も少なくありません。点検検査の省力化が大きな課題になっていたところに、東急を通じて、インフラドクターのお話を伺いました。私としては、当初から非常に良いマッチングだと感じていました。その後しばらくして、伊豆急行でインフラドクターの実証実験を行うことになったわけです。
実証実験を通じて、点検機能を鉄道版にアジャスト
――実証実験はどうでしたか。
山田さん(伊豆急行) 実証実験では、インフラドクターの車両をそのまま台車に載せて行いましたが、これには最初ビックリしました(笑)。3日間かけてすべての3次元点群データを取ってもらい、そのデータを見せてもらいましたが、まるで動画のような精密な出来栄えで、感心しました。トンネル断面の切り取りや距離測定などの作業も、現場に行かなくても、システム上でかなり正確にできることもわかりました。インフラドクターは、技術的に非常に高度なシステムだと感じました。
――車両ごと台車に載せるのは永田さんのアイデアですか。
永田さん(首都高技術) インフラドクターは車両自体が一つのシステムなので、車両ごと台車に載せました。
伊豆急行でのインフラドクター実証実験の様子(画像提供:首都高技術株式会社)
――実証実験での工夫や苦労話はありますか。
田沢さん(首都高速道路) とりあえず「やってみよう」ということで実験を始めましたが、どういう結果になるかわからないので不安でした。台車に車を載せるのも不安でした。車両をどうやって固定するかなど苦労もしました。
実験は電車が走らない夜間に行ったのですが、道路と比べ、鉄道はとにかく暗いんです。首都高速道路は40m間隔で照明が設置されていますが、伊豆急行は山に入ると、真っ暗けで何も見えません。しかもトンネルだらけなわけです。そこで、「点検するにはライトを点けなきゃいけない」と気づきました。暗いと、インフラドクターのカメラ撮影ができないからです。車両に8台のLED照明を付けて、実験を続けました。
実際に鉄道インフラを計測してみると、車両と鉄道車両とは、揺れや振動が微妙に異なり、これによりレーザーセンサの照射角度に変化が生じた結果、計測精度に影響を与えることがわかりました。その違いを補正するキャリブレーション機器を取り付け、対策しました。また、レーザー照射には、最も精度が出る適正な角度というものがあるのもわかりました。
――東急として実証実験をどう評価しましたか。
岩瀬さん(東急) 伊豆急行の実証実験の点群データの中には、駅舎や柱などがキレイに再現できなかったなど、いくつかの課題が明らかになりましたが、これらに対ししっかりした対処を行っていただいたことにより、その後に実施した東急田園都市線での実証実験では見事に課題がクリアされていました。
インフラドクターは実用に耐える確度の高い技術
――伊豆急行は6月中旬から鉄道版インフラドクターの実用化を行うことにしていますね。
山田さん(伊豆急行) 6月18日から3日間、正式に鉄道版インフラドクターによる点検を実施する予定です。細かい技術的な課題はまだありますが、確度の高い画像処理技術は十分に実用化に耐えるということで、踏み切りました。
――首都高グループとして、実用化に向けてなにか準備していることはありますか。
永田さん(首都高技術) 伊豆急行では、すでに実証実験を通じて経験し、改善すべき点はもうわかっているので、淡々と準備を進めているところです。とくに緊張感はないですね(笑)。
田沢さん(首都高速道路) 私も永田さんがいるので安心しています(笑)。
――東急では伊豆急行での実用化をどう受け止めていますか。
森さん(東急) 東急グループにとっても、伊豆急行は重要な路線の1つです。インフラドクターの実用化によって、メンテナンス費用が大きく削減できることは、伊豆急行にとっても東急にとっても、非常に大きな意義があると考えています。従来に比べ、40%程度のコストカットが実現します。
鉄道版インフラドクターは、伊豆急行にとって必ず役に立つと確信しています。鉄道版インフラドクターについては、すでにいくつかの会社からお問い合わせをいただいています。伊豆急行での実績ができることによって、同じような課題を抱えている他社への導入も進んでいきやすくなると期待しています。
東急と首都高の4名は「運命共同体」
――「鉄道版インフラドクター」の普及促進はどういうカタチで展開しているのですか。
森さん(東急) 基本的には、首都高速道路さんと首都高技術さん、それとわれわれ東急の3者が中心になって進めていくことになると考えています。
――道路、鉄道以外の他のインフラへの支援はどうなっていますか。
田沢さん(首都高速道路) 富士山静岡空港で、すでに「空港版インフラドクター」の実用化に向けた取り組みを行っています。道路と空港は、舗装という部分が同じなんです。道路を大きくしたのが滑走路なので、実際に試してみたところ、道路の舗装点検のノウハウがほぼそのまま使えることがわかりました。空港の滑走路の管理基準は、道路よりもかなり厳しく、高い精度が求められますが、われわれは「インフラドクターは空港でもいける」という手応えを感じています。
日本国内には100箇所程度の空港がありますが、そのほとんどは自治体が管理する地方空港で、「ヒト・モノ・カネ」が不十分で、いかにコストを下げるかが課題になっている空港が多いんです。インフラドクターによって、安全確保とコストカットを両立し、空港のお困りごとを解決できると考えています。
われわれは、東南アジア、アフリカなどの発展途上国でのインフラドクターの展開も視野に入れています。首都高速道路はバンコクに駐在員事務所をもっているので、それを足がかりにする考えです。首都高グループでは、道路、鉄道、空港の点検に関するインフラドクター普及実証業務のJICA案件に応募することにしています。
――永田さんは海外にもよく出かけていますね。
永田さん(首都高技術) 私は常々、「インフラを守りたい」という信念を持っています。日本だけでなく、海外のインフラも守りたいと思っているわけです。インフラドクターは少人数で短時間でインフラの点検ができるシステムです。今、新型コロナウイルスが世界を席巻していますが、そういうタイミングだからこそ、私は、インフラドクターを普及させ、効率的に点検できる「CHANCE(好機)」であり、そのために「CHANGE(変える)」していくべきだと考えています。
インフラドクターを普及拡大していくうえで、東急さんというパートナーに出会えたことが非常に大きなチャンスだと考えています。東急さんを通じて、道路以外の鉄道分野に入っていったのがチェンジなんです。森さん、岩瀬さんという素晴らしいお二人がいらっしゃらなかったら、一緒にお仕事をしていなかったかもしれません。
森さん(東急) 最大級のお褒めのお言葉をいただきました。もしお互いにお金の話ばかりしていたら、今のような面白い仕事はできなかったと思います。志とか夢、人間に興味があるからこそ、生まれてくるものがあると考えています。例えば、田沢さん、永田さんとお話していると、世の中にある課題をすべて解決できるんじゃないかと思えてくるんです。
われわれは事業者の課題やニーズを踏まえ、このようにしたいといった想いはありますが、自分達だけで技術開発することはできないので、そこを一緒に考え実現してくれるお二人には感謝しかないです。このメンバーで数々の課題を解決してきていますので、このままいけば、われわれは、世の中のインフラに関する課題をすべて解決できる。本当にそう思っています。
岩瀬さん(東急) 私も、田沢さんと永田さんのお二人には本当に感謝しています。インフラドクターの仕事は、今まで仕事をしてきた中で、一番楽しいです。できれば、ずっとこの仕事をしていきたいと思っています。
森さん(東急) たとえ、それぞれの会社の立場が変わったとしても、この4人の関係は変わりません。すでに運命共同体なんです(笑)。
一同 (笑)。
永田さん(首都高技術) 「この人と一緒に仕事をしたい」という人とつながることが一番大事です。それが良いものが生まれる基本だと思います。
点検だけでなく、補修も行う「本当のドクターになりたい」
――インフラドクターを鉄道、空港以外のインフラにも普及していくお考えですか。
田沢さん(首都高速道路) そういう考えでいます。私の個人的な思いですが、次にやりたいのはダムです。日本のダムは違いますが、海外のダムは構造が弱いのが多いので、決壊するダムが少なくありません。ダムは、決壊する前に微妙に動くんです。事前にダムの点群データをとっておけば、その微妙な動きを検知することで、決壊を予測できるのではないかと考えています。
ダムが決壊すると、数千人、数万人の命が危険にさらされます。事前に予測して、避難させることができれば、それだけの命が助かるんです。ダムは大きな構造物ですが、点群のレーザーは200mまでは届くので、データはとれると思っています。ダメだったら、ドローンを飛ばしても良いんです。いずれにせよ、ダムの3次元点群データをとることは容易だと考えています。
同じように、インフラドクターを導入すれば、河川の堤防決壊も予想できると考えています。決壊リスクのある箇所を点群データでリアルモニタリングしておけば、水位の上昇を検知して、即座にアラートを飛ばすことができます。正確な情報をもとにアラートを出すので、「逃げなくても良かった避難」をなくすこともできます。
港湾での導入も考えています。港湾にはタワークレーンがありますが、台風などによって倒壊することがあります。クレーンの傾きの点群データをとっておくことで、微妙な傾きを検知し、倒壊を予測することができると考えています。石油プラントへの導入も可能です。石油プラントには設計図がありませんが、点群データをとっておけば、プラントのメンテナンスに役立つはずです。あるプラントメーカーでは海外でプラントを建設する際に、点群データを活用していると聞いています。プラントへの点群データ導入について、国内需要はあると思っています。
――文化財などの建築物にも活動できそうですね。
永田さん(首都高技術) できます。例えば、熊本城などの重要な建造物の3次元点群データをあらかじめとっておけば、瓦一枚一枚がどう並んでいるかまでデータとして残すことができるので、現状復旧するスピードが格段に向上します。
妙な話をするようですが、私は、自分自身が「インフラのドクターになりたい」と考えています。本当のお医者さん(ドクター)は考えることをやめない存在なんです。私も同じように考えることをやめません。インフラドクターによって、構造物の損傷を発見したとしても、そこで終わりではなく、補修する必要があります。
補修する材料がなければ、新たな材料をつくれば良いのです。お医者さんは、風邪だと診断したら、薬を処方しますよね。それと同じで、インフラを診断したら、補修の方法も提案(処方)するのが本当のインフラドクターなんです。私はそういう存在になりたい。だからずっと考え続けているんです。
山田さん(伊豆急行) われわれ鉄道事業者は、インフラのドクターからしてみれば、患者に当たるわけですが、患者としては、重症化する前にしっかりと検査を受け、適切に治療したいと思っています。
一同 (拍手)。