「しゃーないな」と言わせたらこっちの勝ち。京都市役所ドボジョが語る"処世術"

「しゃーないな」と言わせたらこっちの勝ち。京都市役所ドボジョが語る”処世術”

土木という仕事はどのように映っているのか

京都市役所で働く土木職女性職員3名(以下、ドボジョ)に取材する機会を得た。

京都市と言えば、「千年の都」として、古風で雅やかな観光都市というイメージが強いが、平安京が国家的な土木事業として造営されたことを踏まえると、極めて人工的で、先進的な都市として誕生した都市だと言える。

そんな京都のまちは、東京遷都に伴い一時凋落したが、再び息を吹き返した。そのきっかけになったのも、琵琶湖疏水という土木事業だった。つまるところ、京都というまちは、他都市と同等もしくはそれ以上に、土木によって支えられている都市なのではないか、という気がしてならない。

それはともかく、京都市役所の中堅ドボジョの目に、土木という仕事はどのように映っているのか、話を聞いてきた。

  • 沖田 茜衣さん
    京都市建設局土木管理部道路明示課(入庁18年目)
  • 鳥取 恵美さん
    京都市建設局自転車政策推進室(入庁17年目)
  • 野瀬 千春さん
    京都市建設局土木管理部河川整備課水辺環境計画担当(入庁16年目)

建築に進むなら、金は出さん

沖田さん

――土木に興味を持ったきっかけは?

沖田さん もともと土木に興味があったわけではありません。私の地元は舞鶴なのですが、高校進学するときに、「将来のことを何も考えず、普通に高校に進学して良いのかな」という漠然とした不安がありました。

そんなとき、母親から地元の高専のパンフレットを見せてもらいました。パンフレットには、土木の学科の紹介があり、主な就職先として官公庁が紹介されていました。それまで高専という存在そのものを知らなかったのですが、「官公庁で働ける」という言葉に惹かれて、土木の道を選びました。

鳥取さん

――鳥取さんはどうでしたか?

鳥取さん 私は岐阜出身です。父親が建築士だったので、はじめは「建築をやりたい」と考えていました。「早いこと働きたい」という思いがあったので、地元の高専に進学しました。当然建築の学科に進むつもりでしたが、父親に建築に進むことを反対されたので土木を選びました。

――お父さんが反対したと?

鳥取さん そうです。「建築に進むなら、金は出さん」と言われました(笑)。 当時は就職氷河期で、私が卒業するころには「建築業界も厳しくなる」というのが父親の意見でした。

――すんなり土木を選べましたか?

鳥取さん 土木はものづくりだし、専門性もあるので、大丈夫でした。ただ、当時は「環境とか、景観づくりができるかも」というフワッとしたイメージでした。

野瀬さん

――野瀬さんはどんな感じでしたか?

野瀬さん 私は京都府長岡京市出身で、京都市内の工業高校に進みました。最初は、土木の学科に進みたいと言うよりは、「普通科以外に進みたい」と漠然と考えていました。私の父親が大工だったので、建築学科に少し興味はありましたが、工 業高校を見学に行ったときに、土木の学科も見学したら、土木にスゴく力を入れている学校だったのと、官公庁の就職に強いという話もあったので、土木の学科を選びました。

――親御さんの反対などはとくになく?

野瀬さん そうですね。両親は「合ってるんちゃうか」と言ってくれました。ただ、学科名が建設工学科ではなく、土木学科だったら、選んでいなかったかもしれません(笑)。

――それはなぜですか?

野瀬さん 土木と聞くと、工事現場で肉体労働をしているようなイメージが強かったからです。学校の先生によると、学科名を変えてから、土木の学科の女子学生が増えたそうですが、その理由は良くわかる気がします。

鳥取さん 私も良くわかります(笑)。私の通った高専では、土木学科だったときは、女子は毎年1名いるかいないか程度でしたが、学科名を環境都市工学学科に変えたとたん、16名に増えました。名前にツラれるというのは、かなり大きいと思います。

――あるある?

全員 あるあるです(笑)。

女一人で働き続けるなら、公務員しかない

――京都市役所を選んだ理由は?

沖田さん 就職活動は官公庁一本でした。地元の市役所を含め、いくつかの自治体を受けました。京都市役所を選んだ理由は小さいころ京都市内に住んだことがあり、まちに馴染みや愛着があったからです。

――京都市役所でなにをやりたい、というのはあったのですか?

沖田さん 就職する前は、官公庁の土木の仕事にどのようなものがあるのか、よくわかっていませんでした。逆に言えば、「公務員になったら、どんな仕事でもやる」というつもりでいました。

――市役所には、建設局とか、上下水道局とか交通局とか、いろいろな組織がありますよね。

沖田さん 自分のイメージする土木の仕事は建設局でした。結果的に建設局に配属されて良かったです(笑)。

――鳥取さんはどうでしたか?

鳥取さん 女一人で働き続けるなら、その当時は「公務員しかない」と考えていまし た。公務員をするなら、愛着の持てるまちで、地方公務員が良いという思いもありました。

ただ、地元である岐阜市などに対して、正直そんなに愛着を持っていませんでした(笑)。この点、京都市は、「どこを歩いてもキレイで楽しいまち」ということで、愛着を感じていました。賑わいがありながらも、どこかコンパクトで、大都市にはない、京都ならではの「まちなかの田舎感」も魅力に感じていました。

その一方で、京都は古くからの街並みが形成されていて、歩道が狭く、横断勾配がきつい通りも多くて歩きにくいと感じる部分もありました。昔はハイヒールが大好きだったので、メッチャ歩きにくかったんです。「京都の歩道を歩きやすくしたい」ということで、京都市役所を選びました。

――野瀬さんは?

野瀬さん 私の通っていた学科では、公務員就職志望と民間企業就職志望の生徒がコースを分けて就職試験に挑みます。仮に公務員就職志望の生徒が公務員採用試験に落ちてしまうと、民間企業就職志望の生徒が受験しなかった企業しか受けることができません。

なので、進路コースを公務員就職志望に選択し、京都市役所の採用試験を受験するのは、ちょっと不安がありましたが、京都市立の工業高校で学んできたし、就職した先輩も多いし、小学生のころまで京都市に住んでいたこともあったので、 やはり、ここはチャレンジしてみるべきだと考えました。最終的になんとか採用してもらいました。京都市役所で「これをやりたい」というのはとくにありませんでしたが、政令市なので、「いろいろなことができるだろうな」ぐらいに考えていました。

なかなか書類を出さない業者さんに苦しめられた

――京都市役所ではどのようなお仕事をしてきましたか?

沖田さん 最初の配属先は西部土木事務所(中京区、右京区)でした。草刈りとか区画線補修とか照明灯設置工事とか、いろいろなことをやりました。その後、 本庁の道路計画課で、交通安全計画の担当として、国との窓口も担いました。私の発言が京都市の発言として国に捉えられるので、異動直後はかなりのプレッシャーを感じながら仕事をしたのが印象に残っています。

それから、道路環境整備課に異動して、無電柱化計画やバリアフリー計画などを担当した後、河川整備課で、河川改修や農業用水補償などを担当しました。道路河川管理課では道路占用の統括を担当しました。現在の道路明示課では、道路台帳の管理を担当しています。

――印象に残っている仕事は?

沖田さん 無電柱化計画を担当したときに、有識者や住民の方々と一緒に舗装や道路照明灯のデザインの検討をしたのですが、その事務局の一員として原案をとりまとめたことです。歴史ある町並みの景観づくりに携われたというのは、後々残るものなので、やりがいを感じました。

整備前の花見小路(写真提供:京都市建設局)

整備後の花見小路(写真提供:京都市建設局)

――ツラかったことは?

沖田さん 工事の監督員をしているときに、業者さんから必要な書類が上がって来なかったことです。工期末が近づいていたため、業者さんには何度も催促しましたが、それでも書類を出してもらえない業者さんもおられるので、苦しめられました(笑)。出産して仕事復帰した直後には、仕事と子育ての両立という意味でも大変な時期がありました。

――業者とのやりとりで苦労したことはありましたか?

沖田さん 年末年始は工事が中断する時期なので、われわれとしては、この間の安全対策をしっかりやるよう業者さんに指導することがあるのですが、「なんでそんなことせなあかんねん」とおっしゃる業者さんもいらっしゃいます(笑)。 そういう業者さんをしっかり指導するのに苦労したことはあります。

――住民に泣かされたことはありましたか?

沖田さん 詳しいことは言えませんが、精神的にかなり追い詰められたことがあります(笑)。

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アイデアを相談したら「やりましょか」と乗ってもらえた

――鳥取さん、これまでのお仕事を振り返っていただけますか?

鳥取さん 最初の配属先は北部土木事務所(北区、上京区)でした。道路建設課、河川整備課で勤務した後、建設局を離れて、都市計画局の歩くまち京都推進室というところで、バリアフリーに特化した仕事を担当しました。現在は、建設局に戻って、自転車政策推進室で駐車場、駐輪場管理の仕事に携わっているところです。

私の場合、基本的には自分が希望する部署に配属されてきました。土木事務所では土木構造物の維持修繕を主に担当したので、次は新しくものをつくりたいという希望を出しました。希望が通って、道路建設課という道路を新設する部署に行くことができました。道路をやったので、次は河川をやりたいという希望を出したら、希望通り河川整備課に配属されました。建設局以外の仕事も経験してみたいと希望を出したら、都市計画局に異動になりました。ただ、今の職場については、正直、希望したわけではありません(笑)。新しいことにチャレンジさせてもらっています。

――印象に残っている仕事は?

鳥取さん 土木事務所で寺町通の舗装復旧工事を担当したことです。その歩道は横断勾配がきつく、非常に歩きにくい歩道だったので、業者さんの協力を得ながら、復旧工事に合わせて勾配改善を行うなど、以前より歩きやすい歩道に改善できたのではないかと思っています。ものすごく歩きやすい、とまではいかないかもしれませんが(笑)。

歩道を歩きやすくしたいということで、京都市役所に入ったようなところがあるので、いきなり自分がやりたい仕事ができたこと、ちょっとでも歩道を改善できたことに、満足しています。

整備前の二年坂(写真提供:京都市建設局)

整備後の二年坂(写真提供:京都市建設局)

――鳥取さんのアイデアが活かされたということですか?

鳥取さん 私が業者さんに「なんとかなら〜ん?」と相談したら、「やりましょか」と乗っていただいたということです。基本的には舗装の復旧工事で、沿道の家などもあるので、大きな変更はできませんが、全体のバランスをみながら、歩道や車道の高さを部分的に変更することで、歩道の勾配を改善できました。そういった思いを現場に反映することは、担当職員の裁量でもできるんです。

――ツラかったことはありますか?

鳥取さん プレッシャーを感じたり、追い込まれたり、面倒くさいことなどはありましたが、ツラい思い出として残っていることはないです。むしろ、良い経験になっています。

――じゃあ、泣いたことはないですか?

鳥取さん それは…、あります(笑)。土木の仕事とは関係のないところでしたけど。

この公園、ママが担当したんやで

野瀬さんが整備した幡枝御反田公園のすべり台(写真提供:京都市建設局)

――野瀬さん、これまでのお仕事は?

野瀬さん 最初の配属先は道路明示課でした。道路と民有地の境界を決める仕事を担当しました。その次が緑政課(現:みどり政策推進室)で、公園の整備工事や新しく整備する公園について、地元の方を交えたワークショップの運営を担当しました。その後、この職場で3年間の育休を取りました。仕事復帰後は西京土木事務所で、道路補修工事などに従事しました。現在は河川整備課にいて、治水に係る計画や河川事業の補助金の申請などを担当しています。

――印象に残っている仕事は?

野瀬さん 緑政課で幡枝御反田公園の整備工事を担当したことです。公園工事は遊具や植物、ベンチの配置など内容が多いので、アスファルトとコンクリートがメインの道路工事よりも楽しかったからです。設備の配置やすべり台の色を決めるなど、「こうしたらより素敵な公園ができるかな」と思う自分のエッセンスを盛り込むことができました。ちなみに、すべり台の色は、私の好きな緑にしました(笑)。後日、自分の子どもを公園に連れて行って、「この公園、ママが担当したんやで」と自慢することができました(笑)。

土木事務所で災害対応したことも印象に残っています。夜間パトロールに出たり、いろいろ大変でしたが、「この台風を乗り越えよう」ということで、職員が 一丸となって事に当たる空気感が良かったです。スゴくやりがいを感じました。

――ツラかったことは?

野瀬さん ツラかったと言うか、私の場合、怒ったり感情がグーッとなると、ついつい泣いてしまうので、それが悔しいというのがあります(笑)。年下の女性から物知り顔で言われると、スゴく腹を立てる方が時々いらっしゃるように感じています。「お前じゃ話にならん」と言われ、同じ内容を男性上司が説明するとすんなり理解されることがあり、「自分の言い方が横柄だったからかな」、「説明が丁寧でなかったかな」と反省することもありますが、悔しいと思ったことがあります。

業務ということで、「なめられないように」とピリピリしていても、お互いにとってイヤな関係が続くだけなので、できるだけ関係をほぐせるように日々心がけてはいます。コミュニケーションの基本は、やはり「笑顔で挨拶から」です (笑)。もちろん発注者としての立場があるので、「仲良くなる」のではなく、 いい距離でいい関係性を築きたいと考えています。ただ、心の中では「負けたらあかん」と思っていますけど(笑)。

景観に対する住民の思いが強く染み付いている

――京都市で土木の仕事をしていて、「京都ならではだな」と感じることはありますか?

鳥取さん 住民の方々の地域を形成する町並みに対する思いが非常に強いと感じ ます。京都市主導で「こうする」「ああする」ではなく、住民の方々の思いを受け止めて、住民に寄り添いながら、一緒にまちづくりを進めていくところがあると感じています。

沖田さん 私たちが思ってもいなかったご意見をいただくこともあります。例えば、「町並みの見え方」とか。「こんなに見え方が違うんや」と驚いたことがあります。

――例えば、先斗町の路地を整備するといった場合、周辺住民などの思いを最大限尊重しながら、整備を進めていく、ということですね?

鳥取さん そうですね。先斗町や祇園、嵐山といった地域では、土木構造物を整備するには、まちづくり協議会との協議が必須になっています。例えば、舗装をやりかえる場合には、舗装の材質やデザインなどについて、協議会との意見交換が必要です。協議会との協議などが必要な地域は、他都市にもあると思いますが、京都市は、そういう地域が市内各所に多数散らばっています。この点、京都ならではのことなのかなと思っています。ちなみに、先斗町は昨年、四条から三条にかけて、やっと電線共同溝の整備が終わり、電柱が取り払われたところです。

沖田さん 景観に対する住民の思いが強く染み付いている地域では、なるべく人工物に見えないような、それを整備することで景観が良くなるような手法を採用しようという思いが、施工業者さんを含めて、根底にあります。これがまちづくりのスタートラインになっていると思います。

整備前の先斗町(写真提供:京都市建設局)

整備後の先斗町(写真提供:京都市建設局)

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「ありがとう」という言葉をいただける仕事

――公務員系土木技術者のやりがい、魅力はなんだとお考えですか?

沖田さん やはり発注者であることだと思います。コンサルさんや施工業者さんは、設計、施工という分野でそれぞれ優れた専門知識や技術、ノウハウをお持ちですが、最終的になにをどうするか決定するのは、私たち発注者です。同じ土木技術者でも、この点は大きな違いだと思っています。小さなことから大きなことまで物事を決めて、すべてを前に進めていく。私は、この発注者しかできない仕事に対して、ものスゴくやりがいを感じています。

――働きやすさについてはどうですか?

沖田さん 若いころは、京都市役所で働くことのありがたみを意識したことはありませんでした。ありがたみを感じるようになったのは、子どもが生まれて、 ワークライフバランスを意識し始めてからです。市役所という組織の一員である私に寄り添ってくれているという実感があります。

土木の世界では、女子だと不利な場面がありますが、一方で、女子が有利な場面もあります。うまく相手の懐に入りこめれば、通常なら難色を示される仕事でも 「しゃーないな」という感じで受け入れてくれたりするんです。「しゃーないな」と言わせたら、こっちの勝ちです(笑)。

――野瀬さんにとってやりがい、魅力どうですか?

野瀬さん 私は入庁4年目という割と早い段階で、子どもを産みました。来年、上の子は中学生になります。子育てに手がかかる時期も仕事とプライベートを両立できたのは、やはり公務員だからこそだと思っています。民間企業に就職した学校の友だちの話を聞くと、この両立がなかなかうまくいかず、退職してしまった人が多いです。

土木の施設は、みんなが使うもので、生きていく上で必要なものです。そういう施設を新しくつくったり、守っていく仕事は、やりがいのある仕事だと思っています。住民の方々から「ありがとう」という言葉をいただける仕事でもあります。

――鳥取さん、仕事のやりがいなどは?

鳥取さん 沖田さんや野瀬さんと同じく、ずっと残る土木施設を発注者として、「決めて、つくる」ことに非常にやりがいを感じています。また、公務員の魅力は、男性と同じお給料がもらえて、福利厚生がしっかりしていることです。

コンサルやゼネコンに就職した高専の友だちは、子どもができてしまうと、働きづらい、 職場で肩身が狭いと感じている子もいました。仕事を辞めた友だちもいます。今は民間企業の働く環境も変わりつつあると思いますが、私が入庁する前から、働いてこられた女性職員の皆さんが働きやすい職場づくりに尽力いただいた結果だと思います。

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