首都高若手社員シリーズ第2弾【入社5年目 濱口さん】
前回、首都高若手社員シリーズ第1弾を掲載したが、第2弾となる今回は、入社5年目で、現在は日本橋区間地下化事業に携わる濱口隼人さんだ。
社会にインパクトを与える仕事をしたい
――首都高に入社した理由は?
濱口さん 社会にとってインパクトのある仕事をしたいという思いがありました。それがあったので、大学では土木を学びました。就活では、道路とか鉄道といったインフラ系の仕事に関心を持っていました。私は東京生まれ東京育ちなので、地元で働きたいという思いもありました。そういったことを踏まえて、結果的に首都高を選んだという感じです。
――首都高で具体的にこの仕事をやりたいというのはあったのですか。
濱口さん そういうのはとくにありませんでした。今も同じで、これをやりたいと言うより、いろいろやってみたいというのがベースです。
――なぜ土木を学ぼうと思ったのですか。
濱口さん 先ほども言いましたが、社会に影響を与えるインパクトのあることを学びたいと思ったからです。高校生のころは、物理系を学ぶのかなとザックリ考えていたのですが、大学で土木という学門領域に辿り着いた感じです。土木には、構造力学や地盤工学といった、モノをつくる上でベースとなるハード系の知識を学ぶ授業だけではなく、意思決定論とか国土学といった、社会の大枠をつくるための知識・手法を学ぶソフト系の授業もあります。そういう授業もあることにひかれて、土木を学ぼうと思いました。
――土木のなにを学んだのですか?
濱口さん そういった授業から基礎的なことを学びつつ、学部4年から修士課程の3年間は、土質地盤系の研究室で、杭基礎の研究をしていました。
――土木を学ぶことに対する周りの反応はどうでした?
濱口さん 拒絶反応を示されるようなことはありませんでしたが、土木についてちょっと変なことを言われたときに、「土木は社会に必要な学問なんだよ」と言い返したことはありました(笑)。
最初の仕事には良い思い出しかない
――最初の仕事はどんなものでしたか?
濱口さん 神奈川建設局の調査環境課で、北西線、馬場出入口、高速大師橋の建設に関する調査系業務を担当しました。高速大師橋で言うと、河川での工事になるので、河川環境調査をやりました。馬場出入口は、首都高で初めてのETC専用の出入口だったので、どういうふうに広報するかとか、案内表示はどうするかといったことの検討などを行いました。あとは、供用を開始するにあたり、構造物の完了検査のとりまとめなんかもやりました。
――すんなり仕事に入れましたか。
濱口さん そうですね。周りの先輩方が優しかったので、わからないことは相談しながら、仕事を覚えていきました。失敗したとか、これは困ったと感じることもとくにありませんでした。良い思い出しかありません。強いて言えば、通勤時間が1時間半ほどかかったのが、ちょっとツラかったということはありましたけど(笑)。