なかなか書類を出さない業者さんに苦しめられた
――京都市役所ではどのようなお仕事をしてきましたか?
沖田さん 最初の配属先は西部土木事務所(中京区、右京区)でした。草刈りとか区画線補修とか照明灯設置工事とか、いろいろなことをやりました。その後、 本庁の道路計画課で、交通安全計画の担当として、国との窓口も担いました。私の発言が京都市の発言として国に捉えられるので、異動直後はかなりのプレッシャーを感じながら仕事をしたのが印象に残っています。
それから、道路環境整備課に異動して、無電柱化計画やバリアフリー計画などを担当した後、河川整備課で、河川改修や農業用水補償などを担当しました。道路河川管理課では道路占用の統括を担当しました。現在の道路明示課では、道路台帳の管理を担当しています。
――印象に残っている仕事は?
沖田さん 無電柱化計画を担当したときに、有識者や住民の方々と一緒に舗装や道路照明灯のデザインの検討をしたのですが、その事務局の一員として原案をとりまとめたことです。歴史ある町並みの景観づくりに携われたというのは、後々残るものなので、やりがいを感じました。

整備前の花見小路(写真提供:京都市建設局)

整備後の花見小路(写真提供:京都市建設局)
――ツラかったことは?
沖田さん 工事の監督員をしているときに、業者さんから必要な書類が上がって来なかったことです。工期末が近づいていたため、業者さんには何度も催促しましたが、それでも書類を出してもらえない業者さんもおられるので、苦しめられました(笑)。出産して仕事復帰した直後には、仕事と子育ての両立という意味でも大変な時期がありました。
――業者とのやりとりで苦労したことはありましたか?
沖田さん 年末年始は工事が中断する時期なので、われわれとしては、この間の安全対策をしっかりやるよう業者さんに指導することがあるのですが、「なんでそんなことせなあかんねん」とおっしゃる業者さんもいらっしゃいます(笑)。 そういう業者さんをしっかり指導するのに苦労したことはあります。
――住民に泣かされたことはありましたか?
沖田さん 詳しいことは言えませんが、精神的にかなり追い詰められたことがあります(笑)。
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アイデアを相談したら「やりましょか」と乗ってもらえた
――鳥取さん、これまでのお仕事を振り返っていただけますか?
鳥取さん 最初の配属先は北部土木事務所(北区、上京区)でした。道路建設課、河川整備課で勤務した後、建設局を離れて、都市計画局の歩くまち京都推進室というところで、バリアフリーに特化した仕事を担当しました。現在は、建設局に戻って、自転車政策推進室で駐車場、駐輪場管理の仕事に携わっているところです。
私の場合、基本的には自分が希望する部署に配属されてきました。土木事務所では土木構造物の維持修繕を主に担当したので、次は新しくものをつくりたいという希望を出しました。希望が通って、道路建設課という道路を新設する部署に行くことができました。道路をやったので、次は河川をやりたいという希望を出したら、希望通り河川整備課に配属されました。建設局以外の仕事も経験してみたいと希望を出したら、都市計画局に異動になりました。ただ、今の職場については、正直、希望したわけではありません(笑)。新しいことにチャレンジさせてもらっています。
――印象に残っている仕事は?
鳥取さん 土木事務所で寺町通の舗装復旧工事を担当したことです。その歩道は横断勾配がきつく、非常に歩きにくい歩道だったので、業者さんの協力を得ながら、復旧工事に合わせて勾配改善を行うなど、以前より歩きやすい歩道に改善できたのではないかと思っています。ものすごく歩きやすい、とまではいかないかもしれませんが(笑)。
歩道を歩きやすくしたいということで、京都市役所に入ったようなところがあるので、いきなり自分がやりたい仕事ができたこと、ちょっとでも歩道を改善できたことに、満足しています。

整備前の二年坂(写真提供:京都市建設局)

整備後の二年坂(写真提供:京都市建設局)
――鳥取さんのアイデアが活かされたということですか?
鳥取さん 私が業者さんに「なんとかなら〜ん?」と相談したら、「やりましょか」と乗っていただいたということです。基本的には舗装の復旧工事で、沿道の家などもあるので、大きな変更はできませんが、全体のバランスをみながら、歩道や車道の高さを部分的に変更することで、歩道の勾配を改善できました。そういった思いを現場に反映することは、担当職員の裁量でもできるんです。
――ツラかったことはありますか?
鳥取さん プレッシャーを感じたり、追い込まれたり、面倒くさいことなどはありましたが、ツラい思い出として残っていることはないです。むしろ、良い経験になっています。
――じゃあ、泣いたことはないですか?
鳥取さん それは…、あります(笑)。土木の仕事とは関係のないところでしたけど。
この公園、ママが担当したんやで

野瀬さんが整備した幡枝御反田公園のすべり台(写真提供:京都市建設局)
――野瀬さん、これまでのお仕事は?
野瀬さん 最初の配属先は道路明示課でした。道路と民有地の境界を決める仕事を担当しました。その次が緑政課(現:みどり政策推進室)で、公園の整備工事や新しく整備する公園について、地元の方を交えたワークショップの運営を担当しました。その後、この職場で3年間の育休を取りました。仕事復帰後は西京土木事務所で、道路補修工事などに従事しました。現在は河川整備課にいて、治水に係る計画や河川事業の補助金の申請などを担当しています。
――印象に残っている仕事は?
野瀬さん 緑政課で幡枝御反田公園の整備工事を担当したことです。公園工事は遊具や植物、ベンチの配置など内容が多いので、アスファルトとコンクリートがメインの道路工事よりも楽しかったからです。設備の配置やすべり台の色を決めるなど、「こうしたらより素敵な公園ができるかな」と思う自分のエッセンスを盛り込むことができました。ちなみに、すべり台の色は、私の好きな緑にしました(笑)。後日、自分の子どもを公園に連れて行って、「この公園、ママが担当したんやで」と自慢することができました(笑)。
土木事務所で災害対応したことも印象に残っています。夜間パトロールに出たり、いろいろ大変でしたが、「この台風を乗り越えよう」ということで、職員が 一丸となって事に当たる空気感が良かったです。スゴくやりがいを感じました。
――ツラかったことは?
野瀬さん ツラかったと言うか、私の場合、怒ったり感情がグーッとなると、ついつい泣いてしまうので、それが悔しいというのがあります(笑)。年下の女性から物知り顔で言われると、スゴく腹を立てる方が時々いらっしゃるように感じています。「お前じゃ話にならん」と言われ、同じ内容を男性上司が説明するとすんなり理解されることがあり、「自分の言い方が横柄だったからかな」、「説明が丁寧でなかったかな」と反省することもありますが、悔しいと思ったことがあります。
業務ということで、「なめられないように」とピリピリしていても、お互いにとってイヤな関係が続くだけなので、できるだけ関係をほぐせるように日々心がけてはいます。コミュニケーションの基本は、やはり「笑顔で挨拶から」です (笑)。もちろん発注者としての立場があるので、「仲良くなる」のではなく、 いい距離でいい関係性を築きたいと考えています。ただ、心の中では「負けたらあかん」と思っていますけど(笑)。