土木の世界に30年。ベテラン社員が語る土木の魅力とは
宮崎県日向市に本社を置く旭建設株式会社。前回の黒木繁人社長のほかに、土木部長を務める河野義博さんにも取材をしていた。
河野さんは土木の世界に入って30年のベテランで、ICTを駆使した無人化施工を手がけるなど、豊富な知識と経験を持つ。そんな河野さんに土木人生を振り返っていただきながら、土木の魅力などについてお話を伺った。
実は旭建設は出戻り
――ご出身は?
河野さん 日向市のとなりの門川町です。今は日向市に住んでいます。
――旭建設は入社何年目ですか?
河野さん 中途入社なんですが、平成10年入社なので、一応26年目です。ただ、この間に3年間ほど別の建設会社にいました。
――ああ、そうでしたか。
河野さん いろいろありまして、旭建設の近くにある建設会社に転職したのですが、その会社が倒産しまして(笑)。
倒産した2日後ぐらいに、旭建設の社長から「戻って来んか」というお話がありました。それでまた旭建設に移ったわけです。
旭建設に戻ったとき、社長から「違う会社にちょっと出向していたようなもんだ」と言われました。それを聞いて、「この会社でずっとやっていこう」と思いました。
エンピツ仕事より、ものづくりがしたかった
――旭建設の前はどこで働いていたのですか?
河野さん 高校卒業して、地元の測量会社に1年ほどいました。その後、大阪の建設コンサルタント会社に4年ほどいました。徳島のほうで港湾の設計関係の仕事をしていました。そこでいろいろあって、宮崎に帰ることになりました。
――コンサルはもういいかなと思ったからとか?
河野さん エンピツ仕事も楽しかったのですが、やっぱり「モノづくり」をしたかったんですね。もともと橋梁をやりたかったんですけどね。
――それで旭建設に中途で入ったと。
河野さん たまたまコンサル会社の人と旭建設の人が知り合いだったので、その縁で旭建設に入った感じですね。
当時は、今と違って、自分と同世代の土木技術者っていっぱいいたので、簡単に建設会社に就職できる状況ではありませんでした。そういう意味では、地元日向の旭建設に入社できたのはラッキーでした。
実際に現場仕事に携わってみると、土木にはいろいろな工種があることがわかりました。すべての工種をマスターするのは、一生かかっても難しそうだなと思いました。
たた、自分は技術的にできないことができるようになることで成長を実感できることに喜びを覚える性格で、「一生勉強できるな」と思いました。あと、自分の地元で働けるのも大きかったです。
人に使われるのが好きではなかった(笑)
――最初に入った現場はなんでしたか?
河野さん 県道拡幅の現場です。当時のことなので、現場仕事はなかなかキビしかったです。
――そのころは残業禁止令もなかったでしょうからね。
河野さん そのころは残業しているという認識がなかったです。昼間現場に出て、夜に書類をつくるのが当たり前でした。休みに関しても、日曜日休めれば良いほうだという感じでしたね。盆休みや正月休み返上ということもありました。
――そこは大丈夫でしたか。
河野さん そんなもんかなという感覚でしたね。コンサルはもっとブラックだったので(笑)。若かったこともあり、コンサルの仕事ってゴールがよくわからず、エンドレスな終わりの見えない仕事のように感じていました。
――最初に任された現場はなんでしたか?
河野さん 県発注の地滑り現場で抑止杭の工事です。椎葉村の山奥の現場です。入社2年目で任されたので、けっこう早いタイミングでした。
ダウンザホールハンマーという工法を使って地中に鋼管杭を埋める工事なのですが、工事が終わってしまえば工事目的物はほぼほぼ見えなくなるので、完成したときの感動は少なかったですが、施工中の仮設、安全管理がかなり大変でした。先輩に聞きながら、慎重に作業を進めたわけですが、初めての自分の現場ということで、楽しくてしょうがなかったですね。
――仮設が大変だったというお話ですが。
河野さん 50tクレーンや10tボーリングマシーンといったデカい機械を近くに置いて作業しているし、櫓は立っているし、足場も組むしという感じでした。
――大変だけど、その分楽しくてしょうがなかったということですか?
河野さん 正直、人に使われるのがあまり好きではなかったので(笑)、とにかく自分でやりたいという思いが強くありました。当時はかなり苦労したはずですが、今となっては、ワクワクしながら仕事した記憶しかないですね。
仮設は自分の技術力の見せどころ
――工種的には、これまでいろいろ経験してきたのですか?
河野さん そうですね。道路工事、河川護岸工事、橋梁下部工事、橋梁耐震補強工事、地すべり防止工事、トンネル工事などに携わってきました。
――得意な工種はありますか?
河野さん 工種と言うか、仮設を考えるのが好きですね。たとえば、擁壁とか橋脚は図面通りつくるだけですが、任意仮設は、確固として決められたモノがないので、自分の技術力の見せどころだと思っているんです。
たとえば、仮設を最適化することで、お金を浮かして、利益を出すというようなことは、現場の技術者しかできないことです。自分が考えた仮設がうまくいくと、非常に楽しいです。
――仮設が一番うまくいった現場はありますか?
河野さん 設計がなかった工事用道路を自分で計画し施工した、都城の道路改良工事の現場ですかね。計画から施工まで発注者に提案しながらやりました。ダンプの動きの最適化も含め、かなりうまくいきました。仮設がうまくいくと、現場そのものもすべてうまくいくんです。安全も確保できますし、残業も少なくなります。
残業禁止令への対応はめちゃくちゃ大変だった
――残業禁止令への対応はどうでしたか?
河野さん 発令当初はめちゃくちゃ大変でした。仕事量は変わらないのに、時間量だけ減るわけですから。発令前は邪魔が入らない夜の時間に書類作成していたのですが、その時間がゼロになってしまいました。現場を動かしながら書類づくりをやらざるを得ません。それがめちゃくちゃ大変でした。とにかく現場が気になるからです。
そこで、測量の機器を自動追尾式にしたり、現場に遠隔カメラを付け、現場事務所から現場が見れるようにしたり、ICT機器を入れたり、ムダな時間を削るために、できる限りの工夫をやり始めました。残業禁止令に完全に対応するまでは結構な期間を要しました。
――簡単なことではないでしょうね。
河野さん 対応する上で大きかったのは、やはり社長の「やるぞ」という決意でした。周りの他社を見渡すと、いまだに長時間残業している会社はゴロゴロありますから。
時間を削るために、あれが欲しいこれが欲しいと会社にお願いしたわけですが、必要なモノは買ってくれました。これはありがたかったですね。とくにスゴいなと思ったのは、国土交通省がi-constructionの施策を打ち出す前から1台200~300万円する3Dのソフトをいち早く購入してくれたことです。
ウチの社長は昔から、新しいツールに対して、購入の判断が早いんです。写真管理なんかも、近隣の会社でどこもデジカメすら導入していないときに、最新のデジカメや、施工管理ソフトをいち早く導入していました。そういう社長なので、現場をあずかる者としては、凄くやりやすいです。
ジオラマ好き。趣味で3DCADをイジっていた
――河野さんはもともと3Dに興味があったのですか?
河野さん 興味がありました。3DCADで現場をモデリングすると、設計図面通りでは道路の幅員が確保できない箇所が判明したり、ここは擦りつかないとか、設計上の問題が一目瞭然でわかるんです。発注者との変更協議や住民説明会も、意図するところが相手に伝わりやすいので、すぐに話がつきます。
――当時、趣味的に3DCADをイジっていたということですか?
河野さん そうですね。最初は現場の模型をつくったんです。ジオラマが好きだったので(笑)。発泡スチロールなどを使って、河川の護岸工事の模型なんかをつくっていました。ただ、模型だと持ち運びが面倒なんですよね。データならパソコンに入れておけば、いちいち持ち運ばずとも、メールなどで送ることも可能です。
当時Googleが無料の3Dソフトを公開していたので、それを使ってやっていました。3Dプリンターの登場で、データを模型化するのも簡単になりました。なんとも便利な世の中になったものです。
――パソコンも良いスペックのものを買ってもらったわけですね。
河野さん ウチの会社では、現場の人間のパソコンはその人の持ち物という扱いになっています。その人が好きなパソコンを自腹で買うんです。会社からは半額分の補助が出るというカタチになります。
無人化施工は自分の集大成の仕事になった
無人化施工の様子(河野さん写真提供)
――最近実施した無人化施工は河野さんが担当したのですか?
河野さん ええ、たまたまですけど、私が担当しました。総合評価落札方式で入札があって、たまたまウチがとりました。それが無人化施工だったんです。それから施工計画書を出して、工事に入りました。
無人で遠隔操作できるバックホウなら安心みたいな考え方があります。確かにオペレーターは無人になりますが、構造物を造る前提の掘削には正確な形状で掘削する必要があるので、目印となる丁張りを設置する必要があります。そのためには人が現場に立ち入って測量をする必要があるため、本当の意味での無人施工にはなり得ません。
完全に無人化施工を実現するには、無人バックホウとICTを融合させる必要があると考え、計画書をまとめました。5ヶ月ほどかけて無人化施工をやり切りました。
――土木屋としてのチカラの見せどころという意味では、最高の現場だったのではないですか?
河野さん かなりの達成感はありましたね(笑)。土木の世界に入って30年ほど経ちますが、自分の集大成の仕事だと自負していますし自信になりました。自分が経験したことは、絶対に盗まれることはない、一生モノだということを実感しています。若い社員にはそのことを伝えようとしているところです。
土木はクリエイティブな仕事
――世間にはAIは万能だと煽る向きもありますが、人にしかできない仕事は厳然としてあるということですね。
河野さん AIは確かに便利なツールでかなり省人化できる優れたツールだと思いますが、万能であるというところには現在は至っていないと思います。まだまだ人の力は必要だと思っています。
ウチの会社でも言われていることですが、仕事には「作業系」の仕事と「思考系」の仕事があるんです。作業系の仕事はAIや建設ディレクターに担ってもらう。現場の最前線にいる技術者は思考系の仕事、クリエイティブな仕事に専念する。そういう分業制にすると、仕事がうまく回るんじゃないかと思っています。
――土木はクリエイティブな仕事であると?
河野さん そう思っています。大地にデザインしていくような仕事ですから。図面通りにつくっていれば良いという仕事ではありません。
むしろ、最初の図面とまったく違うモノができあがることも珍しくないと思っています。社長も言っていましたが、土木構造物は3Dです。3Dのモノをつくるのに、図面は2Dでやってきたわけです。控えめに言って、意味がわかりません(笑)。土木技術者の頭の中にあるのも3Dなのです。2Dが必要であれば、3Dを輪切りにすれば良いだけなので簡単です。
心のコップを立てる
――若手の育成で気をつけていることはありますか?
河野さん まず「心のコップを立てる」ということを心がけています。コップに水を入れるには、まずはコップを立てないといけません。若い社員も同じで、心のコップを立ててないと、何を言っても中に入っていかないんです。
心のコップを立てるとは、仕事に慣れさせ、仕事に対し前向きにヤル気を持ってもらうことです。そうすれば、水はどんどん入っていきます。なので、ボクの仕事は心のコップを立てることなんです。それさえしておけば、あとは誰がなにを教えても、自然に中に入っていきますし、自分から学ぶようになります。
――長時間残業して、棍をつめて仕事することによってこそ、得られるスキル、経験もあるという話を聞いたことがあるのですが。
河野さん それはある意味正しいと思います。若いうちこそ残業したほうが良いと思います。こう聞くと働き方改革を推進している近年の動きとしては悪い事のように思えますが、成果は能力×時間です。これは紛れもない事実だと思います。
意味のない残業や付き合い残業は悪であると断言します。なので会社の方針に従って残業はしません。その分、時間があるので自己研鑽に励むことができます。自己研鑽に励む人は自分の時間を使って勉強しています。優秀な人だから自分の時間を使って勉強するのではなく、自分の時間を使って学ぶから優秀なのだと思っています。勘違いされやすい表現ですが、残業したほうが良いとはそういう意味です。
ヤル気のある人間は自分で勝手にやるものです。自分のお金を使って専門書を買い、試験も自主的に受験します。研修なんかも自腹で行きます。逆に、会社でお金を出して無理に研修に行かせても、だいたい寝てますよ(笑)。そういうものなんです。
自然の上にジオラマをつくる感覚
――土木の魅力について、どうお考えですか?
河野さん 天職だと思っています。私は中学3年生のとき、進路指導の先生に「土木の仕事がしたい」とすでに言ってるんです。先生には「そんなことを言った生徒は初めてだ」と言われましたが(笑)。それぐらいから、ずっと土木の世界に憧れていたわけです。
さきほどジオラマ好きと言いましたが、それも関係しています。私にとって土木の仕事は、現実世界の自然の上に実物大のジオラマをつくっているようなものです。しかも、地域の役に立って、感謝されて、さらにお金までもらえて、テクニカルなスキルも身につくんです。こんな良い仕事はないですよ(笑)。
――旭建設の魅力はなんですか?
河野さん 新しいことを始めるのに対し、会社に抵抗感がないところです。社員からすれば、やりたいことができるところが魅力だと思います。社員同士の仲も良いですし、働きやすい環境です。