建設現場ほど理不尽な職場はない?
ビジネスマンをやっていると多かれ少なかれ世の中理不尽だなと思うことは間々あるが、建設現場ほど理不尽さがまかり通る場所はないのではなかろうか。私が紹介する以下の3つの経験談は、私が入社して最初の現場で体験したものである。これらはパワハラの域を超え、人間としての品格が欠落しているとしか思えないものだ。
読者の中には、そんな愚痴のようなものを書いて、何の役に立つのかと思われるかもしれない。あるいは、そのような理不尽さは至極当たり前であり、私が感じた驚きは若さゆえのものなのかもしれない。しかしそれでも私が以下の経験談を紹介するのには理由がある。それは理不尽なことは是正されるべきだと固く信じているからだ。私は「世の中は理不尽なものだ」などという一般論でこの問題を片付けたくない。そのように考えるには私はまだ若すぎる。
そして以下の事例は理不尽というだけでなく、建設業の抱える根深い問題、監督の資質、品格の問題であると強く読者に感じてもらいたい。読者それぞれが理不尽さを問題と捉えれば、それを解消する動きがはじまるからである。前置きが長くなったが、私の体験談に話を戻そう。
下請け監督を土下座させる現場監督
私が赴任していた現場には周囲から「理不尽な現場監督」として恐れられている工事長がいた。その工事長は40代後半で、会話の半分が怒鳴り声で交わされるタイプだ。しかし怒鳴り声で終わればまだマシで、下請けがミスをすると気が静まるまで収拾がつかなくなる。
ある日、下請けのサブコンがミスをし、工期に影響が出た。といっても、それほど大きなミスではなく、工期の影響はサブコン側の工期が延びただけで、他の工種に影響が出るようなことはなかった。しかしそれでも工事長は案の定、激怒していた。
工事長は昼礼時にサブコンの担当者4名を呼び出し、横一列に立たせて、職長、職員が残ってる真っ只中で説教を始めた。言動はどんどん激しくなり、そのうち担当者に蹴りを入れ、図面で頭を叩き始めた。そして最後に「土下座しろ!」と一喝した。
担当者一同が黙ってその指示に従った。担当者は一番上が50代、他40代、30代と続く。当時の私は24歳の新入社員。土下座というものを初めて見た瞬間だった。普通の会社でこんなことをすれば、即刻パワハラでクビになるだろうが、現場では違う。世間の当たり前が全く通用しない不思議な世界だ。しかし、大の大人が腹立ちまぎれに取引相手を土下座させる行為はパワハラの域を超えて、品格に欠ける。これが1つの現場を預かる人の行いだろうか。
毎晩3時間の理不尽な説教
こんな現場でも、私には数少ないが、本音で話せる友人がいた。彼は高卒で入社し、現場の仮設工事を担当していた。彼は22歳で、私は大学院を卒業して入社したから24歳。入社歴では先輩だが、私より年下という関係にあった。私は彼を先輩だと思っていたし、彼も私を後輩だと思っていたが、実年齢の差の塩梅がちょうど良く、私たちは仲の良い友人となった。
しかし彼は周囲から哀れみの目を向けられていた。彼の直属の上司が毎晩遅くまで彼を説教するからだ。彼への説教は19時から20時の間に始まる。その声は遠く離れた私の席にまで聞こえてくる。そしてその声は上司が帰るまで、すなわち11時過ぎまで続くのが常であった。
なぜ毎晩彼が怒られるのか、私を含め周囲の人も理解していなかった。彼は入社5年目で、仕事は正確だった。建機のオペさんとも仲が良く、うまく業務を調整していた。私は何度か、彼がどんな理由で毎晩怒られているのか、盗み聞こうとしたことがある。しかし何度聞いても私は彼がなぜ怒られているのか理解できなかった。なぜなら聞こえてくるのは「お前、ホンマなんなん?」「何の役にもたってないやん」「お前なんかいてもいなくても変わらん」というセリフだけだったからだ。
そこである晩、私はその友人に直接なぜ怒られているのかと聞いてみた。すると「俺もようわからんねん。何しても怒られるし、何もせんでも怒られるから、もうわけわからんくなぁてもうた」という声が、喉の奥から漏れるように聞こえてきた。私はさっぱり分からないまま、もう少し答えを待った。「あの人はな、俺の後にここ来てん。それからずーっとあんな調子で俺怒られて…もう大阪帰りたい」。
結局彼がなぜ怒られているのかわからずじまいだった。しかし私は想像するのだが、その上司も友人も、なぜ自分が怒っているのか、あるいは怒られているのかわかっていなかったのだと思う。怒ることを目的として怒っているのだ。それが毎晩毎晩行われているのだ。
新人の若造監督が職長に怒鳴りちらす
ここでいう新人の若造監督とは紛れも無い私自身のことだ。私は優れた現場監督であったか?そんなはずはない。たくさん間違え、周りに迷惑をかけて過ごしてきた(今だってそうだ)。
しかしそんな私でさえ、しばしば現場で声を荒げ、理不尽なことをした。私の当時の担当は製造ラインの施工だった。だから建築とは毛色が違う。製造ラインの施工で一番緊張するのは大物の搬入時だ。製造設備は大きく、重く、繊細で高価だ。ちょっとした損傷で1億円が吹っ飛ぶ。そのため、搬入計画は入念にチェックする。事前の段取りも余裕を持って行う。なぜなら搬入時は搬入経路だけでなく、その周辺の工事も安全のために止める必要があるからだ。
私が激昂したのは、製造設備の中でも特大の大物(何の製品の製造ラインなのかわかってしまうので、あえて設備の名前は伏せる)を搬入しようとした時だ。その設備の搬入経路には普段、空調設備のサブコンが常駐しているエリアなのだが、搬入に合わせてその時間は工事を中断するよう調整していた。また床養生を行い、搬入エリアの立ち入りは極力行わず、やむをえず立ち入る際は靴を脱ぎ、専用の足袋を靴下につけて歩くよう徹底していた(それだけチリやホコリに敏感な設備だった)。
しかし搬入前に現場の下見に行くと何故か搬入口に高車が立往生している。徹底していた床養生もその高車が土足で踏みにじっている(文字通りの土足である)。高車が誰のものか調べると、そのエリアに常駐しているサブコンのものだった。しかも立往生の原因はバッテリー切れというお粗末なもの。さらにその高車を動かそうとした時に壁養生の一部も剥がされてしまっていた。
その時私は自分でもビックリするほどの大声で怒鳴りちらしていた。「なにやっとんじゃ!おまえら何にも用意出来てへんやないか!話にならん!職長呼べ!職長!」。すぐにサブコンの監督が駆け付けてきた。そのときの私はというと、会社の先輩に肩を抑えられ、落ち着け、落ち着け、となだめられていた。私は声を荒げた時、本当に頭に血が上っているのを感じた。そして怒鳴り声は私の意思とは無関係に発せられ、それをコントロールすることはもはや出来なかった。
現場監督の品格
では、今の私は当時のことを反省しているだろうか。全く反省していない。今でも私は当時の自分は職務に忠実であり、その行為は必要なことだったと思っている。ここが問題なのだ。怒鳴り、怒っている人は自分が真っ当だと信じ込んでいる。周囲がパワハラだといっても、本人はむしろ自分は誠実に仕事に打ち込んでいると思いこんでいる。土下座も、必要以上に長い説教も、暴力も怒っている張本人にとっては正当な行為だと思っているのである。
だが、どこかで一線を設けなければならない。それが現場監督の品格である。自分が正しいと思ったら何でもしていいという事にはならない。正当性の表現の手段を怒声や暴力に頼っていては、吠えて威嚇する野良犬と変わらないではないか。
現場の長である現場監督は、品格を持って仕事にあたるべきだ。そのためには常に自らを律し、自己問答を繰り返す必要がある。その行為は結果的により良い環境を作り出し、より生産性の高い、より愛される現場に変えていくことだろう。少なくとも私はそう信じている。