研究成果を社会に還元させるのが、研究者のやりがい
社会インフラと言えば、ダムや橋などの構造物を連想しがちですが、電気や水道、ガス、通信なども日常生活に欠かせない社会インフラです。
これらのインフラは「ライフライン」と呼ばれており、このライフラインの耐震性評価や機能確保のための方策などについて研究しているのが、「ライフライン地震工学」という学問領域になります。
今回、神戸大学でライフライン地震工学を研究する鍬田泰子准教授に、研究内容、研究者としてのワークライフバランスなどについてお話を伺いました。
ライフラインシステムの信頼性などを研究
茨城県ひたちなか市での液状化被災現地調査(写真提供:鍬田准教授)
――ライフライン地震工学とは?
鍬田 日本における地震工学は、耐震設計の震度法ができた100年以上前から研究されてきた学問です。その後、地中構造物の耐震設計法が確立されるのは、1960〜1970年代です。成田空港建設のときに、地中埋設物である輸送パイプラインの耐震設計を考えたのが最初です。地中構造物に合理的な設計法が導入されて、まだ50年くらいしか経っていないのです。
その後、都市部では、電力、ガス、通信などのライフラインは密に分布しているので、地中構造物の耐震性だけでなく、ネットワークやシステムの信頼性や、サービスなどの社会工学的な面も検討されるようになりました。
阪神淡路大震災以前は、ライフラインという言葉は社会に十分認識されていなかったですが、震災を契機に広まっていき、最近では地震などの自然災害が起こるたびに、ライフラインという言葉がニュースに出てくるようになっています。今ではライフラインという言葉は社会で広く認識されていると感じています。
――鍬田研究室では、具体的にどのような研究をしているのですか?
鍬田 研究室ができて最初の頃は、ライフラインシステムの地震リスク評価であったり、地震被害データをGISで空間的に分析したり、地中管路網の地震応答解析を主に研究していました。東日本大震災以降は、地震の被害メカニズムを観測や解析等で分析する研究をよくやりました。最近では、大阪市内に地震計を設置して地震観測をしたり、大学に振動台が導入されたので土槽に管路を埋設して地盤摩擦力を計測する実験をしたりしています。
――東日本大震災の現地調査も行われたようですが、どうでしたか?
鍬田 兵庫県南部地震以降、国内の地震の被害調査を行ってきましたが、東日本大震災の時はこれまで調査してきた被害と比べて甚大で、影響のあった範囲も広く、何から調査をして行けば良いのかと考えました。ただ、地震被害はすぐに復旧されます。そこで、とにかく被害情報をできるだけ多く得るため、自分の目で被害を確認するように何度も調査に出かけました。また、研究者は被災地に出かけていっても何も役に立たないと言われますが、なるべく調査した内容はレポートにして発信してきました。
構造物ではなく、都市構造全体のシステムに興味を持った
――なぜライフライン地震工学を学ぼうと思った?
鍬田 私が大学4回生になって、研究室を選ぶときに、「生活に密接に関係したものを研究したい」と考えていました。それで、電気、水道、ガスなどのライフラインを対象に地震工学を研究している高田至郎先生の研究室を訪問し、ライフライン地震工学を選んだわけです。
――橋や大きな構造物を作りたいとは考えなかった?
鍬田 大学に入学したときは、私も「大きな構造物を作りたい」という思いはありました。ただ、大学で勉強している間に、単体の構造物ではなく、都市構造全体に関わる広域的なシステムに興味を持つようになりました。
――最初から研究者志望だったのですか?
鍬田 学生の頃は、海外の現場に出てものづくりに関わりたい、と漠然とですが、そのようなことを考えていたと思います。ただ、私の卒業時は就職氷河期で、女性で採用されても現場(とくに海外の現場)に配属されるのは難しい、という卒業生のアドバイスを受けて進路を悩みました。
ただ、研究者であれば、海外に調査にいくこともできるし、海外の共同研究であれば、その国に関わる成果を出すこともできる。アプローチは違えども、やりたいことは達成できると思い、大学院の指導教員の先生にそのまま博士課程を指導してもらいました。
東日本大震災以降、学生の半分がゼネコンに就職
――ライフライン地震工学を学んだ学生の進路は?
鍬田 ここ数年間は、研究室の学生の半分くらいはゼネコンに就職しています。東日本大震災の影響もあると思います。5〜6年前にゼネコンへの就職が内定した学生がいて、それをきっかけに、ゼネコンの仕事や働き方の情報が後輩の学生にも入るようになった感じがあります。ゼネコン以外では、電力やガス、高速道路関係に就職しています。それ以前は、「SEになりたい」という学生が多かったです。
――SE?
鍬田 10年ほど前は、建設業界全体の採用も少なかった時期で、学生の意識も土木から少し離れていました。IT系のシステムエンジニア(SE)とかシンクタンクとか、土木以外の業種に就職する学生が多かったです。東日本大震災をきっかけに、学生の建設業への回帰が増えてきた印象です。
ーー就職指導はしているのですか?
鍬田 学会や研究などで、企業や事業体の方と学生が会う時には、企業の仕事などについて説明したりします。学生の能力や性格などから、このような業種に合っているのではないかというようなことは話しますが、最終的に学生が決めています。最近では、学内推薦を利用しない自由応募する企業が増えてきましたので、知らないうちに複数の企業に応募しています。
2児を出産後、半年で職場に復帰。自宅で卒論指導
――大学の研究者のワークライフバランスは?
鍬田 子どもができてからは、大学にいる時間も研究に携わる時間も減りました。今2人の子どもがいるのですが、それぞれの出産後、半年で職場に復帰しています。
――半年で戻るルール?
鍬田 ルールではないんですが、大学を1年間休むと、その間の授業を誰かにお願いしなければなりませんが、なかなか適当な人を探すのが難しいです。非常勤講師の方を探して、1年間だけその人にお願いするよりは、半年休んで、開講時期を出産前か後の学期に移動させれば、学生には不利にはならないです。
また、これまで就職してから出産するまで、一度も主婦という生活をしたことがなかったわけです。家事には終わりがないといわれますが、中々、家の中で子供と一日過ごしながら、家のことをするのは大変でした。半年で戻ったのは、授業のこともありますが、後者の理由もあります。
――出産前は?
鍬田 出産1ヶ月前まで授業をしていました。お腹が大きい状態で(笑)。大学のルールでは、出産の1ヶ月半前から産休を取れるのですが、卒論の発表会などがあったので、出産の1ヶ月前まで働いていました。出産時期が3月末と9月末で、ちょうど前期後期のタイミングと重なったので、良かったんですけどね。授業もそうですが、研究室の学生指導もあります。産休中、育休中は、学生を家の近くの喫茶店や自宅に呼んで、卒論、修論などの指導していました。学生も苦労したと思いますね(笑)。
――出産後は?
鍬田 今、上の子が3才半、下の子が1才2ヶ月です。子どもができてからは、子どもの送り迎えの時間があるので、研究室にいる時間は限られてしまいます。
――地震の現地調査などの活動は?
鍬田 熊本の地震のときは、お腹が大きかったので、すぐには現地に行けなかったです。東京での会議の出張などもだいぶ絞りました。出張する場合には、極力宿泊のないように先方にスケジュールを調整してもらったりしました。
ただ、それは長い研究生活から考えれば、ほんの少しの期間のことであって、まったく悲観していません。研究者という仕事は、民間企業などに比べて、時間の調整はしやすいので、その点は助かっています。また、近くに母がいるので、子どもを預けて世話してもらったりもできたことも、幸いでした。
――産休を取るに際し、大学の同僚女性からアドバイスを受けたりとかは?
鍬田 この学科で産休を取ったのは私だけですが、建築学科には産休を取った先生がいたので、授業の振替や保育所探しの保活についても、色々聞きました。
――論文数なども減った?
鍬田 以前に比べれば、論文数は減りました。出産前は現地調査などをベースにした研究もありましたが、フィールド活動の時間はなかなか取れないです。研究室での実験など、時間的に支障のない研究テーマが増えました。
土木工学は研究成果を社会に還元しやすい
――目指す研究者像は?
鍬田 大学の研究と実務とは違います。ただ、土木工学という学問分野は、社会や現場と非常に接点が大きい学問領域であって、研究成果を社会に還元しやすい分野だと思います。
そもそも、社会に還元すること。それこそ、サイエンスではなく、工学の目的だと考えています。自分たちの研究は「社会に還元できる」「役に立つ」学問であり、それに「やりがい」を感じます。大学の研究は基礎研究が多いですが、自分たちの研究成果が、国の指針や基準に採用されるなど、目に見える形で社会に還元されるのは、研究者としての大きな喜びです。
――研究者になって良かったと思ったエピソードは?
鍬田 「研究者になりたい」と思ったきっかけは、調査で被災地を歩いていたときに、「被害の軽減につながることをしたい」と思ったことです。その思いは、今も変わっていませんが、これまでの研究者生活の中で、「本当にそれができたか」については、今はまだ言えません。自分が目標としているところに対して、大きな達成感を得られたかというと、そこにはまだまだ遠いです。
――今後の目標は?
鍬田 当面の目標は、色々な研究を進めて、研究成果を色々な指針や基準に反映されるようになることです。日本の建設業界は、基準等に明記されれば、それに準拠して設計・施工が進みます。逆に、それらに明記されないと研究を積み重ねても、その成果が社会で使ってもらえないということを最近ヒシヒシと感じています。自分たちの研究を「研究室レベル」で終わらさず、世の中に還元するにはどうするか、ということを踏まえて、今後研究を続けていきたいと思っています。