呉市産業部 港湾漁港課の仕事とは?
海軍、海軍工廠のまちとして知られ、戦後は瀬戸内海有数の臨海工業都市として発展した広島県呉市。
この街に平成17年4月のオープン以来、国内外から延べ1,200万人以上の来館者が訪れ、市はもとより県の観光資源の目玉となった博物館「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」がある。
「大和ミュージアム」「てつのくじら館」などが並ぶ“海の玄関口”宝町地区
「大和ミュージアム」の周辺には、海上自衛隊の退艦潜水艦と関連資料を展示する「てつのくじら館」や、大型商業施設「ゆめタウン」などが集積し、呉港ベイエリアの賑わいを創出しているが、その昔、地域一体は「宝町ポンド(※船だまり)」と呼ばれる海だったという。つまり埋立地を整備したのである。
臨海部の交流拠点機能整備を目的に「宝町地区整備事業」と銘打たれたこのエリアなど、呉市の港湾振興施策の企画や、港湾の整備・維持工事、漁港施設の整備・維持工事から港湾・海面・漁港施設の使用許可までの業務を担っているのが「呉市産業部 港湾漁港課」だ。
呉市産業部港湾漁港課 管理グループ浦島知司主査(左)と企画振興グループ佐藤稔久主事
今回、港湾漁港課の仕事について、呉市産業部港湾漁港課の管理グループ浦島知司主査と、企画振興グループ佐藤稔久主事に話を聞いてきた。
三港区で成り立つ重要港湾・呉港
――呉港の概要についてお聞かせください。
浦島 呉市を港湾管理者とする呉港は、瀬戸内海のほぼ中央部、広島湾の東側入口に位置して、呉・広・仁方の三港区から成り立っています。前面に浮かぶ江田島や倉橋島などの地形が天然の防波堤となり、水深にも恵まれた天然の良港です。
歴史を紐解くと、明治時代に第二海軍区鎮守府が設置されたのを機に第二次世界大戦終結まで軍港として栄え、戦後は鉄鋼・造船・機械などの臨海工業を支える貿易港として機能するとともに、地域海上交通の要所として重要な役割を果たしてきました。1951年には港湾法上の「重要港湾」に指定され、工業港としての整備に取り組んでいます。
佐藤 現在は、国内外とつながる海上物流の拠点として食料やエネルギーなどの生活物資、原材料・製品などの産業物資といった様々な貨物を取り扱っており、海上出入貨物量は年間約1,800t、平成28年の実績では第全国38位です。
一方、呉と松山、江田島など島々を結ぶ定期便フェリーや旅客船が就航する海上交通の拠点としては、船舶乗降人員年間約76万人と、全国第36位(※平成28年実績)の港となっています。近年は呉中央桟橋ターミナルに隣接する大和ミュージアムなどに多くの人が集うようになり、交流する場としての機能も加わりました。
また、呉港の臨海部「川原石地区」「昭和地区」「阿賀マリノポリス地区」「広地区」には鉄鋼、造船、製紙など多くの工場が分布して地域を支える産業・生産拠点を形成しています。まさに呉市の未来を担う大切な港なんですよ。この呉港に関する施策の計画から整備・維持工事、施設等の許認可業務まで担当するのが私たちの部署です。
船溜まりを埋立てた宝町地区
――港湾振興施策として手掛けられたのが、大和ミュージアムなどが観光名所となり、賑わいをみせる「宝町地区整備事業」ですね。
佐藤 海に面した市の一等地での大型整備となったこの事業は、平成6年~12年にかけて完成したものです。呉駅と呉中央桟橋の陸海の交通結節点である地理的利点を活かし、若者が集う賑わいのある交流空間の整備を図るため、商業・娯楽・文化教育などの高次元都市機能の集積を促進することが目的でした。
宝町ポンド(○部分)埋立前。効率の良い埋立事業として計画が始動
埋立地となったのは、かつて「宝町ポンド」と呼ばれていた港に入る船が風波を避けて停泊したり、碇をおろして休止する湾の“船溜まり”です。当時の資料によると、入口が狭く中が広がった形状であったため、効率の良い埋立事業として計画されました。
具体的には入口の70mの護岸整備により埋立が可能で、3.5haの土地を造成したところ、地盤が良かったこともあり、造成地の売却収入は工事費をかなり上回ったようです。
宝町ポンド埋立後。呉港ベイエリアの賑わい空間を整備
造成後、都市計画街路や呉駅・中央桟橋・商業施設などと連絡する自由通路、大和ミュージアムの建設を呉市が整備し、「てつのくじら館」や「ゆめタウン」の建設もあり、現在の呉港ベイエリアの賑わい空間が創出されたので、結論としてこの埋立計画は大成功でした。
計画を策定する際に様々な角度から細かく調査し、適地で事業を展開することが成功の秘訣だと、つくづく思いますね。
宝町地区整備事業概要(港湾事業関連)
- 宝町地区臨海土地造成事業
開発用地(3.5ha)の創出のため,物揚場、岸壁のあったポンド(池)の埋立 - 旅客ターミナル整備事業
老朽化したターミナル施設・周辺の再整備 - 人工地盤整備事業
旅客ターミナルと大和ミュージアム・呉駅を結ぶ自由通路(延長80m)の整備 - 宝町緑地整備事業
大和ミュージアムと一体となった緑地(0.7ha)の整備 - 豪雨災害で物資輸送と入浴支援
呉港の整備・維持・管理・修繕
――埋立前と埋立後では港の景色が様変わりしたようです。このような整備事業に携わられる一方、普段はどんな活動をしておられますか?
浦島 中央、広、仁方の3港区で構成される重要港湾である呉港の安全にかかわる整備・維持・管理・修繕が主業務です。例えば、護岸や岸壁などを常にチェックしています。ひび割れなどがあれば、すぐに改修して災害に耐えうる岸壁にしておかないと有事の際に対応できませんからね。
呉市の場合、重要港湾である呉港を市が管理しています。これは全国でも珍しいケースであり、施設の数も多いことから、それぞれの地区に合わせて配慮すべき点や業務の幅も広く、安全を守るのはなかなか大変です。
今夏、呉市に甚大な被害をもたらした西日本豪雨災害では、国土交通省と連携して災害で生じた流木など漂流物の回収や、埋立地に被災地から排出された土砂の仮置き場を開設するなど、災害時に港湾が果たす役割は少なくありません。
国土交通省が所有する浚渫船兼油回収船「清龍丸」
――豪雨災害による支援活動で他にも港湾漁港課が手掛けられたことは?
佐藤 同じ呉港阿賀マリノポリス地区で東日本大震災や熊本地震の緊急物資輸送、入浴支援などで活躍した国土交通省中部地方整備局名古屋港湾事務所が所有する浚渫(しゅんせつ)船兼油回収船「清龍丸」と連携し、7月12日から7日間、物資輸送および給水と被災者の入浴支援をサポートしました。
被災地への物資輸送のほか、入浴設備として4人程度が入れる浴槽と洗い場がある浴室を2部屋備え、会議室や食堂を利用して約80人収容可能な待合室を確保できる清龍丸を港に停泊し、断水や倒壊により入浴できなくなった市民に入浴場所を提供するのが目的です。
臨海事業用地・阿賀マリノポリス地区で入浴支援
現場での直接の対応は、船員と船舶所管の国交省職員が主に行い、私たち市職員は、ふ頭利用などの各種調整とSOLAS(制限区域)内での活動に伴う案内や誘導、その他の補助活動を担当しました。
期間中は男性489人、女性710人の計1,199人に入浴していただけると同時に、清龍丸に装備された洗濯機と乾燥機を活用し、被災地で不便が生じていた洗濯場所も提供することができたので、地域のお役に立てたと思います。
被災地の復旧とは結びつきにくい港ですが、災害時には輸送から入浴まで、船から対処できる様々な支援活動があるんですよ。
安全で安心な港づくりを目指す
――最後に、お二人の経歴をお聞かせください。
呉市産業部港湾漁港課 管理グループ 浦島知司主査。呉市出身、46歳
浦島 私は地元、呉市の出身で平成8年度に入庁し、中央公民館への勤務を経て、22年に港湾漁港課に配属されました。以後、課内のグループ間で異動もありましたが、所属して9年目になります。
現在はグループ名の通り、管理業務が主体でデスクワークと併せて大型貨物船などが入港する公共ふ頭をメーンに現地の視察も行っています。
視察現場では、管理者として市域内の港湾を「災害に強く、事故の少ない港」に保つ必要があり、常に細心の注意を払わなければなりません。「護岸や周辺の様子がいつもと違っていないか?」「施設の異常はないか?」など、様々なポイントに目を配りますが、趣味のアウトドアを通じて野外で安全確認や状況判断をするのは慣れているので、その経験も意外と役に立っています。
生まれ育った故郷だけに呉の街への思いもひとしおです。今夏の豪雨災害では私自身も被災地の人間として悲惨な現状を目の当たりにしましたが、入浴支援などの活動により、市民の皆さんから感謝の手紙や平素では聞かれない言葉もいただき、自分たちの仕事の意義を改めて感じることができました。
今回の経験を大きな教訓に、引き続き安全で安心して利用できる港づくりに貢献していきたいですね。
——佐藤さんは?
呉市産業部港湾漁港課 企画振興グループ 佐藤稔久主事。福山市出身、25歳
佐藤 私は今春入庁した新入職員で、予備知識も何もないまま港湾漁港課に配属されたので、まだまだ勉強の日々です。着任して早々、豪雨被害の支援に対応することになり、阿賀マリノポリス地区はじめ、支援現場には毎日のように足を運びました。
津波などの災害対策とは、また違った豪雨災害に対して我々が行うべき任務を身をもって知る機会となり、多くを学べた気がします。
普段は、デスクワークと現場が半々といったところです。管理する港の現状は常に把握しておかないといけないので、現場の視察は欠かせません。呉市域内の港湾と漁港は広範囲に点在しており、ひとつひとつチェックするのは大変ですが、いろいろな刺激もあって、やり甲斐を感じますね。
福山市出身の私からすると呉は規模が大きすぎず、住みやすい街だと思います。宝町地区整備事業が行われた時は自分もまだ小学生でしたし、この事業に携わられた方の多くはすでに退職されているので、資料を集めて当時の様子を調べていると、整備する前の街の状況や抱えていた問題などを改めて知ることができました。私もしっかり経験を積んで呉市、そして呉港の更なる発展に向け、全力を尽くしていきます。
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呉港の管理者として振興施策・整備・維持工事から災害支援まで、守備範囲の広い呉市産業部港湾振興課。
西日本豪雨災害の重大な被災地として全国に知られることになった呉市にあって、港湾が持つ機能を活かした彼らの活動が少なからず地域に貢献したことは言うまでもない。
一般的に知られてはいないが、港の安全を守りつつ、市民のくらしを手助けする頼もしい存在である。