安全で安心な港づくりを目指す
――最後に、お二人の経歴をお聞かせください。

呉市産業部港湾漁港課 管理グループ 浦島知司主査。呉市出身、46歳
浦島 私は地元、呉市の出身で平成8年度に入庁し、中央公民館への勤務を経て、22年に港湾漁港課に配属されました。以後、課内のグループ間で異動もありましたが、所属して9年目になります。
現在はグループ名の通り、管理業務が主体でデスクワークと併せて大型貨物船などが入港する公共ふ頭をメーンに現地の視察も行っています。
視察現場では、管理者として市域内の港湾を「災害に強く、事故の少ない港」に保つ必要があり、常に細心の注意を払わなければなりません。「護岸や周辺の様子がいつもと違っていないか?」「施設の異常はないか?」など、様々なポイントに目を配りますが、趣味のアウトドアを通じて野外で安全確認や状況判断をするのは慣れているので、その経験も意外と役に立っています。
生まれ育った故郷だけに呉の街への思いもひとしおです。今夏の豪雨災害では私自身も被災地の人間として悲惨な現状を目の当たりにしましたが、入浴支援などの活動により、市民の皆さんから感謝の手紙や平素では聞かれない言葉もいただき、自分たちの仕事の意義を改めて感じることができました。
今回の経験を大きな教訓に、引き続き安全で安心して利用できる港づくりに貢献していきたいですね。
——佐藤さんは?

呉市産業部港湾漁港課 企画振興グループ 佐藤稔久主事。福山市出身、25歳
佐藤 私は今春入庁した新入職員で、予備知識も何もないまま港湾漁港課に配属されたので、まだまだ勉強の日々です。着任して早々、豪雨被害の支援に対応することになり、阿賀マリノポリス地区はじめ、支援現場には毎日のように足を運びました。
津波などの災害対策とは、また違った豪雨災害に対して我々が行うべき任務を身をもって知る機会となり、多くを学べた気がします。
普段は、デスクワークと現場が半々といったところです。管理する港の現状は常に把握しておかないといけないので、現場の視察は欠かせません。呉市域内の港湾と漁港は広範囲に点在しており、ひとつひとつチェックするのは大変ですが、いろいろな刺激もあって、やり甲斐を感じますね。
福山市出身の私からすると呉は規模が大きすぎず、住みやすい街だと思います。宝町地区整備事業が行われた時は自分もまだ小学生でしたし、この事業に携わられた方の多くはすでに退職されているので、資料を集めて当時の様子を調べていると、整備する前の街の状況や抱えていた問題などを改めて知ることができました。私もしっかり経験を積んで呉市、そして呉港の更なる発展に向け、全力を尽くしていきます。
◆
呉港の管理者として振興施策・整備・維持工事から災害支援まで、守備範囲の広い呉市産業部港湾振興課。
西日本豪雨災害の重大な被災地として全国に知られることになった呉市にあって、港湾が持つ機能を活かした彼らの活動が少なからず地域に貢献したことは言うまでもない。
一般的に知られてはいないが、港の安全を守りつつ、市民のくらしを手助けする頼もしい存在である。
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地元で暮らす我々も知らない大切な呉の歴史が非常に読みやすく描かれていると感じました。ぜひ多くの方にこういった呉の特性取り組みを目にしてほしいです。
良い記事、こういう記事こそ報道すべき