田村工業株式会社の鉄筋加工工場で働くベトナム人たち

「スプーンが消えても気にしない」 日本人68人の鉄筋工事業者が、60人のベトナム人を戦力化できた秘訣

60人のベトナム人と68人の日本人が協力し合う鉄筋工事業者

鉄筋工事業の田村工業株式会社(大阪府門真市)では、2012年からベトナム人を受け入れている。

その数は60人。内訳は、鉄筋加工工場で35人(技能実習生24人、建設就労者11人)、現場で25人(技能実習生6人、建設就労者19人)。現在では、ベトナム人60人に対し、日本人68人とほぼ同数となっている。

ベトナム人の戦力化に成功した秘訣は何か? 2012年の1期生からベトナム人を管理してきた工場長の渡邊信広さんに話を伺った。

渡邊信広さん(田村工業株式会社 加工事業部次長兼工場長)


誤訳で実習生から笑顔が消えた

渡邊さんが最初に苦労したのは、言葉だった。「『オーケー』も通用しません。英語でのコミュニケーションがとれないので、彼らは日本語を覚えて、こちらはベトナム語のコミュニケーションの言葉を、まず学びました」。

7年前、ベトナム人受け入れ初期の頃の出来事だ。渡邊さんは8人のベトナム人に、通訳を通して、昼に鉄筋を現場に届ける「昼着」をきちんと実施するように伝えた。

その日を境に、ベトナム人のモチベーションが一気に下がった。「わかりやすく元気が無くなったんです。いつも笑っていた子が、私に対して笑わなくなった」。

心配した渡邊さんは、3日後にもう一度、通訳に来てもらった。悩みごとがあるのか?いやなことがあったのか?率直に訊いた。ベトナム人たちは、やがて重い口を開いた。

実習生 僕たちは、一生懸命に実習をしているのに、渡邊さんに『横着(おうちゃく)』と言われた…

渡邉さん え? 横着?

「昼着」と「横着」が、間違えて通訳されていたのだ。

「私と通訳との間のミスでした。誤解がとけて、もちろん笑顔が戻りました」と、当時のことを振り返る。

ベトナム人は「おはよう」、日本人は「シンチャオ」

この誤解がとけたのは、悩みごとがあるのかと、人と人として接する渡邊さんの心づかいがあったからだ。その背景にあるのは、田村工業の社風だ。

「『おはようございます』とベトナム人が言って、私たちが『シンチャオ』とベトナム語で言う。手探りでコミュニケーションをとってきました。社長方針を受け、みんなで言葉を交わして行こうと、全従業員で決めたのです」

管理部総務課長の木下美直さんは、ベトナム人たちへの配慮について次のように語る。

「現場の子、工場の子、普段会わない人がいます。会社としては、会える機会を作る。バス旅行とか花見とか、釣りに行ったり、サッカーチームを作ったり。イベントを多く設定しています。

帰国の際も、彼らの文化での送別会で、料理もすべてベトナム料理です。そして、日本人も全員参加です。社長方針です」

木下美直さん(田村工業株式会社 管理部総務課長)


ベトナム人管理職登用という英断

田村工業では、7年前からベトナム人実習生を受け入れ、2年前から外国人建設就労者も受け入れている。2019年4月に入管法が変わったが、特定技能の受け入れ予定はないそうだ。逆に言えば、今の体制で充足しているということだろう。

ターニングポイントの一つとなったのが、渡邊さんによるベトナム人管理職登用という英断だ。

加工事業部の加工班長として、実習生の指導に当たるファン・ザ・チェウさんは、ファンが苗字、チェウが名前で、田村工業では親しみを込めて下の名前で呼ぶ。勤続5年。24歳のときに語学留学生として来日し、東京で1年間日本語学校で学んだ。来日2カ月後に、フェイスブックで大阪在住の日本人女性と知り合い、25歳で結婚。子どもは2人いる。

ファン・ザ・チェウさん(田村工業株式会社 加工事業部加工班長(実習生指導員))

渡邊さんは、チェウさんについて「働きはじめてすぐに、管理職として安心感のある人間性だと分かりました。チェウさんに実習生指導員になってもらってから、コミュニケーションがよりスムーズになりました。誤訳の問題もありません」と信頼を寄せる。

ベトナム人が来るとスプーンが消える?

チェウさんは、実習生への教育のポイントを「来日当初は、日本では当たり前のこと、仕事より先に文化を教える必要があります。業務内容、製品加工などはその後の話です」と説明する。

例えば、ベトナム人はしんどいからと、連絡無しで休む。「ベトナム人は『しんどい体で働くのはおかしい』と思っています。どれほどしんどいのかと聞かれたらいやなので、黙って休むほうが楽だと思っています」という。

その他にも、ベトナム人は社員寮の近所に柿などが生っていると、勝手に食べてしまう。「ベトナムの田舎では、畑の野菜を取っても、問題にならないんです。ご近所は家族同様なので」

つまり、これら一つ一つについて、教えていかなければならないわけだ。

こうした文化の違いについて、渡邉さんも「ベトナム人が来ると、食堂のスプーンが消えます。半年ごとに5人を受け入れますが、スプーンが20本ぐらい無くなるんです。持って帰るんですよ。悪気はなく、ちょっと借りるという感覚で(笑)」と話す。

小さなことではあっても、この一事で信頼関係が崩れてもおかしくはない。だが、渡邊さんは「半年ごとに、スプーンを買い足しています」と笑い飛ばす。


消えたスプーンは気にしない、消えた笑顔は気にかける

外国人労働者については「使い捨ての労働力」「安価な労働力」ではなく、「育成するべき人材」とみなし、異文化交流により企業を発展させるべきであるという議論がある。

しかし、渡邊さんは、その議論を超えて、日本人もベトナム人もフラットと言い切る。

「社員として、僕もそこに含まれてのフラットです。責任者という立場はあるにせよ、一人の人間として、同じということですね。言葉の反応が少し遅いだけ、それだけです。それ以外はまったく同じです」

やり方をこう変えた方が効率が上がるのじゃないか、といった意見を挙げてくるのもベトナム人だという。

「日本人の若い子は物静かな子が多い。私の若い頃は、意見を言って怒られるのが日常だったんですよ。蹴られたり、どつかれたりして強くなってきました(笑)。いまの時代は、そんなことはあり得ないのですが(笑)」

渡邉さんは入社前、まだ10代だった頃のことを「人の道を踏みはずしていました(笑)」と振り返る。当時の価値観は「先輩は絶対。横のつながりは大切にする。喧嘩になっても相手が動かなくなれば何もしない」。

人の道を外れていた、とは言いながら、人と人としてのルールを守る。人を尊重する。消えたスプーンは気にしない、消えた笑顔は気にかける。

「いまの私がそう思えるのは、田村工業に育てられたからです。話を聞いてくれる、意見を採用してくれる、チャンスをくれる、包容力がある、笑いがある。会社には、感謝の気持ちでいっぱいです」

ベトナム人戦力化成功のポイントは、田村工業で養われた工場長の人間力だった。

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