地元建設業の威信をかけ復旧・警戒
梅雨前線の影響で7月3日夜から4日朝にかけて猛烈な雨に見舞われた県南地域。熊本気象台によると、球磨村で1時間に83.5ミリと観測史上最大の雨量となった。
国土交通省では、今回の球磨川の氾濫は戦後最大の被害が出た1965年7月以来の規模という。同時に被害も広域化しており、球磨川本流が流れる人吉市、球磨村、八代市をはじめ芦北町、津奈木町まで及んだ。
被災地でスピーディーな活動を展開したのが、熊本建設業協会の八代支部、人吉支部、芦北支部の各メンバー。地元ならではの地の利と機動力を生かし、応急復旧を実施する前に救援ルートを確保する道路啓開作業に赴く。
ただ、猛烈な雨は降り続いており、常に危険と隣り合わせ。地元建設業の威信にかけて懸命に復旧、警戒にあたる現場では緊張の糸が張り詰めていた。(注、発災後7日間までの活動を伝えています)
SNS活用しスピーディーに情報共有【芦北支部】
熊本県建設業協会芦北支部 佐藤一夫支部長
発災から5日目となる7月9日、芦北支部の事務所では、騒々しくインパクトドライバーの音が鳴り響く。芦北支部では、事務所を移転するため仮事務所を設けていた。それが被災したのだ。
1メートル強、床上浸水し、後片付け作業が行われていた。芦北町中心市街地は海岸沿いに位置しており、ここに幹線道路となる国道3号が並行している。発災当初は豪雨に見舞われながら丁度、満潮時と重なった。
「4日の昼頃に近くの熊本県芦北地域振興局まで、膝上まで浸かりながら歩いていきました。そこで県の指示を受けての活動が始ったんです。ただ、既に復旧活動は行っていたのかな。芦北支部には防災委員会を設けていてその組織が機能していましたから」と佐藤一夫支部長は初動に素早く反応できたことを説明する。
芦北町大岩地区の被災個所。懸命な緊急復旧作業が続いている(7月9日)
芦北地区では、平成15年(2003年)7月に豪雨災害を経験している。防災委員会を設けたのは、その教訓から。情報を一本化させ、共有できる組織が緊急時に役立つことを肌で感じていた。
佐藤支部長は「〝あの時こうしておけば良かった〟との先輩たちの意思が受け継がれたものを具現化した体制」と自負している。さらに「県内ではうちだけの組織」と自信を覗かせる。
芦北町吉尾地区の被災個所(7月9日)
この防災委員会で特に活躍しているのがSNSだ。委員会では、ターゲットに向けて一斉に情報発信するプッシュ型WebメディアとなるLINEを使っており、タイムリーに情報共有が出来ていることに価値を見出している。
支部会員の技術屋をはじめ役所も個人の携帯で参加するなど、情報の共有化では抜けがない。防災情報システムと併用することで必要な情報を瞬時に取り込むことができる。芦北支部では、防災訓練時でもLINEを活用しているという。
「安全性という面で、これを推奨していいのかはわかりませんが、必要な情報をスピード感をもって共有する手段として今のところ何のトラブルもなく非常に助かっています。しかし闇雲に使ってもダメで、核になる人がいないと有効活用することが難しいでしょう。その点、芦北支部では防災委員長がその任を担っています」と佐藤支部長は信頼する仲間に対して誇りを感じている。
芦北町大岩地区の被災個所(7月9日)
未だ豪雨が続く中、緊急復旧のめどは見いだせないまま。こうした中、佐藤支部長は新たな試みを提案する。
「支部会員企業の従業員の中には、自らも被災した者もいます。当然、親戚にも多数いることでしょう。こうした人たちに休みを取ってもらうことが重要と考えています。本協会主導で休日の取得を指示して頂けるよう申し入れているところです。みんな後ろめたいんです。でも上からの指示があれば堂々と休むことが出来ます。そこで従業員の方々にはリフレッシュしてもらい、休むことで空いた資機材を有効に自分たちの支援に役立てることが出来ます。もちろん孤立集落や緊急の個所については例外ですし、今後新たな災害発生があればこの話は無しですが」。
孤立集落を解消せよ。緊急・救急車両を通行可能へ【八代支部】
熊本県建設業協会八代支部の中山英朗支部長
八代支部が活動を開始したのは4日 午前5時。中山英朗支部長を筆頭に、幹部らが支部事務所に集まった。球磨川本川支流の前川沿いに社屋を構える中山支部長は、最初に川を見た時の様子をこう語る。
「今までに見たことのない状況でした。水位もそうですが、凄まじい濁流だったものですから。会社の前の堤防が切れそうだなと見ていたら、バラっと崩れまして。直ぐに対応して3時間後には復旧しました。決壊していれば八代市も水浸しだったかもしれません」。
落橋した八代市坂本町の深水橋(7月10日)
八代地域振興局で協議に入ったのが4日昼頃。その後、現況を把握するために八代市坂本町に向かう球磨川本流沿いの巡回を開始した。しかし、球磨川本川左岸の国道219号、右岸の県道中津道八代線が共に寸断しており、この日の調査を終えた。
翌5日は早朝より徒歩での巡回。復旧個所やルートを協議して、夕方に支部会員30数社に召集をかけ復旧の段取りを手配した。
国道219号/坂本橋付近が崩壊。こちらも緊急復旧で片側通行可能(7月10日)
「国土交通省が管理する箇所の復旧に当たっている業者に対しては、そちらを優先するよう指示しました。とにかく孤立集落をなくすことと、緊急・救急車両の通行を可能にすることを確認できたと思います。1班4~5人の作業員を出すのに何社が対応できるのか。多くの会員が協力してくれたことで成果を上げることが出来ました」と中山支部長は緊急復旧に手をあげてくれた仲間に対し、感謝の気持ちを忘れない。
その結果、発災後5日目には八代市坂本支所まで道路を啓開。6日目には八代市南部にあたる二見地区から坂本町に侵入できるようにするなど、大型車両が上流部に通行できる道路を確保した。
崩壊した県道中津道八代線/本川左岸。応急復旧により片側通行が可能となっている(7月10日)
今でも毎日1~2回、八代地域振興局との打ち合わせが続いている。道路だけではなく熊本県管理河川の復旧や海岸部での流木処理などの作業にも従事する。
その上、隣接する芦北地域振興局管内と球磨地域振興局管内でそれぞれ1カ所ずつの復旧に当たっている。共に孤立集落を解消する作業だ。
八代市坂本町支所付近の被災現場。緊急復旧が続いている(7月10日)
中山支部長は回想する。「発災当日の8時30分頃に球磨川上流の市房ダムから放流するという連絡がありました。その後、ちょっと水位が下がって結局、放流されなかったのですが、もし連絡どおりの結果になっていたならば、八代市も水没していたかもしれません」とこわばった表情を浮かべた。
本復旧には抜本的な見直しが必要【人吉支部】
熊本県建設業協会の松村陽一郎副会長
人吉支部の幹部らは、国土交通省からの要請に応えるべく、豪雨の降り始め当初からその対応に追われていた。球磨川本川の水位が上がった段階で、災害の可能性あることから、いち早くポンプの設置に動いていたのだ。
そんな中、球磨川本川で人吉市街下流部の中神町で堤防決壊の一報が入る。人吉市中心街部では浸水、支川万江川、支川山田川が次々に氾濫。情報が錯綜しながらも冷静に指揮を執っていたのが熊本県建設業協会の松村陽一郎副会長だ。
落橋した人吉市市街部の西瀬橋(7月11日)
「どれだけ被害が拡大していくのかわからないのが実情でしたが、今やるべきことはきちんとやっていくことを考えていました。発災から2日間は、目の前の課題を解決するだけ。動くに動けない状況でした」。松村副会長は国土交通省や熊本県球磨地域振興局と連絡を取りながら情報収集に没頭していた。
それでも完全に情報を把握できてはいなかった。発災直後が週末だったこともあって町村からの情報が上がってこない。人吉市の球磨川本川下流部で隣接する球磨村は国道219号が寸断しており、何も見えていない状況。
国道219号の崩落現場。球磨村那良口地先(7月11日)
松村副会長は発災から3日目の早朝に熊本県のA1クラスに集まってもらい、球磨地域振興局と何を優先すべきかを協議すると同時に、応急復旧方針を固め各社に対応を割り振った。
松村副会長の方針はこうだ。「人吉支部の会員各社は被災した地元町村からの依頼もあり動いています。だから機動力のある数社に協力を求めて、国土交通省管理の被災個所や熊本県管理の大規模被災地、緊急復旧個所などに対応しているんです。みんな良くやってくれています」。
人吉市街部の被災個所では人吉支部協会員が住民の奮起を促す(7月11日)
発災から8日目には、国会議員や地元選出県議会議員らと被災地の巡回を行った。既に激甚災害指定も公表されており、被災の現状を政府に届くようにとの願いからだ。こうした地道な取り組みにも松村副会長は、懸命に骨を折る。人吉の将来がかかっているためだ。
「応急復旧は我々がやるので、本復旧の希望を聞いてほしいと願っています。仕事を下さいという事ではありません。国道219号は今の路線でいいのか、球磨村は今のまま復旧していいのか。抜本的な見直しが必要と考えているからです。それには国の力を借りないとできませんので」。
球磨村渡地区の被災個所。ほとんどの家が川に流された(7月11日)
ダム問題については、「今はそれを語る時ではないでしょう。多くの人たちが亡くなり、未だ不明者もいらっしゃる。不明者のめどがつかない限り、自衛隊や警察も引き上げられないのではないでしょうか。本格的な予算付けなどが始まった時でしょう。業界として意見が言えるのは」。松村副会長は物静かに呟いた。