孤立集落を解消せよ。緊急・救急車両を通行可能へ【八代支部】
八代支部が活動を開始したのは4日 午前5時。中山英朗支部長を筆頭に、幹部らが支部事務所に集まった。球磨川本川支流の前川沿いに社屋を構える中山支部長は、最初に川を見た時の様子をこう語る。
「今までに見たことのない状況でした。水位もそうですが、凄まじい濁流だったものですから。会社の前の堤防が切れそうだなと見ていたら、バラっと崩れまして。直ぐに対応して3時間後には復旧しました。決壊していれば八代市も水浸しだったかもしれません」。
八代地域振興局で協議に入ったのが4日昼頃。その後、現況を把握するために八代市坂本町に向かう球磨川本流沿いの巡回を開始した。しかし、球磨川本川左岸の国道219号、右岸の県道中津道八代線が共に寸断しており、この日の調査を終えた。
翌5日は早朝より徒歩での巡回。復旧個所やルートを協議して、夕方に支部会員30数社に召集をかけ復旧の段取りを手配した。
「国土交通省が管理する箇所の復旧に当たっている業者に対しては、そちらを優先するよう指示しました。とにかく孤立集落をなくすことと、緊急・救急車両の通行を可能にすることを確認できたと思います。1班4~5人の作業員を出すのに何社が対応できるのか。多くの会員が協力してくれたことで成果を上げることが出来ました」と中山支部長は緊急復旧に手をあげてくれた仲間に対し、感謝の気持ちを忘れない。
その結果、発災後5日目には八代市坂本支所まで道路を啓開。6日目には八代市南部にあたる二見地区から坂本町に侵入できるようにするなど、大型車両が上流部に通行できる道路を確保した。
今でも毎日1~2回、八代地域振興局との打ち合わせが続いている。道路だけではなく熊本県管理河川の復旧や海岸部での流木処理などの作業にも従事する。
その上、隣接する芦北地域振興局管内と球磨地域振興局管内でそれぞれ1カ所ずつの復旧に当たっている。共に孤立集落を解消する作業だ。
中山支部長は回想する。「発災当日の8時30分頃に球磨川上流の市房ダムから放流するという連絡がありました。その後、ちょっと水位が下がって結局、放流されなかったのですが、もし連絡どおりの結果になっていたならば、八代市も水没していたかもしれません」とこわばった表情を浮かべた。
応急復旧はあくまでも一時的なものですよね。
その後の本復旧は国と自治体が連携して被災地の安全確保を考えて焦らず計画的にやる必要があると思います。
東日本大震災の本復旧も道半ば、九州北部豪雨も含め、災害対応インフラの整備も難しいところ。
予算も見据えつつ対策を講じるのであれば防災ではなく減災に軸を置いた復旧にシフトしていく時期に来ていると感じてしまいます。