流域治水の推進へ「多段階リスク明示型の浸水想定図」の活用を
土木学会は4月9日、九州地方を中心に甚大な被害をもたらした2020年7月豪雨を踏まえ、激甚化する豪雨の対応に後れを取っている事実を認識した上で、洪水を軽減するに当たり流域治水推進のツールとして「多段階リスク明示型の浸水想定図」の作成・活用を目的とした技術開発を急ぐべきと声明を発表した。
また、同声明では流域治水に関わる全てのステークホルダーが実施すべきことを具体化するため、土木技術の活用を図り、土木技術者は流域のステートホルダーと連携し、地域に根差した活動を推進することも強調した。
4月9日に開催された声明発表での記者会見のもよう。会見に当たった、土木学会豪雨災害対策総合検討委員会の家田仁委員長(土木学会会長)、塚原健一幹事長(九州大学工学部土木工学科教授)、廣瀬隆正委員(三菱地所株式会社顧問)、福岡捷二委員(中央大学研究開発機構教授)
なぜ今「流域治水」への転換なのか
まず、これまで国や土木学会が取り組んできた「流域治水」について解説する。
「令和元年東日本台風」による豪雨では、河川整備基本方針で目標としている計画雨量を上回る風水害が全国各地で多発、142箇所の地点で河川堤防が決壊した。この事態を受け、土木学会は2020年1月に「流域治水」への転換を唱えた防災・減災に関する提言を行っている。
さらに、翌年に発生した2020年7月の球磨川洪水による被害も踏まえ、国の社会資本整備審議会でも流域治水の転換を唱えた答申を行い、流域治水は本格的に動き出した。同答申では、流域治水について従来の「河川、下水道、砂防、海岸等」の管理者が主体となって行う対策に加えて、河川区域や氾濫域も含めて一つの流域と捉え、その流域全体が協働し、①氾濫をできるだけ防ぐ・減らす対策、②被害対象を減少させるための対策、③被害の軽減、早期復旧・復興のための対策までを多層的に取り組むことと定義した。いわば、流域全体で治水を行う総力戦へと転換したのである。
流域治水の概念図 / 出典:国土交通省
また、2021年2月2日には「流域治水関連法案」が閣議決定された。法案の概要は、①流域治水の計画・体制の強化(特定都市河川法)、②氾濫をできるだけ防ぐための対策(河川法、下水道法、特定都市河川法、都市計画法、都市緑地法)、③被害対象を減少させるための対策(特定都市河川法、都市計画法、防災集団移転特別措置法、建築基準法)、④被害の軽減、早期復旧・復興のための対策(水防法、土砂災害防止法、河川法)などを束ねる。
「流域治水関連法案」の内容 / 出典:国土交通省
国土交通省でも、2021年3月に全国109の一般水系と12の二級水系で策定された「流域治水プロジェクト」を一斉公表、事前防災推進に向けて本格的に始動した。
今回の土木学会の流域治水の声明は、国全体で流域治水に取り組もうとしている中、行われたのである。
国土交通省が取り組む「流域治水プロジェクト」 / 出典:国土交通省
球磨川洪水の教訓は「ライフラインの強靭性確保」
塚原幹事長による声明の趣旨説明では、まず球磨川洪水の教訓が述べられた。
球磨川洪水では、治水能力に対してあまりにも洪水の規模や流量が大きく、流域全体が浸水するという今まで経験したことがない被害形態であり、これからの気象の狂暴化を考えると「今後も起こりうる」と指摘。特に被災が大きかった人吉・球磨地域では、一般道はほぼ遮断されたものの、この地域は九州自動車道が完成四車線で貫通していたことが、復旧・復興に大きく貢献、ライフラインの強靭性確保の重要性が改めて教訓として上がった。
地域の強靭性は治水だけで達成できるものではなく、交通や通信インフラがなければ、安全性が担保できないことが分かりやすいカタチで明示された意味は大きかった。
塚原幹事長による声明の趣旨説明
次に、流域治水対策の目指すべき方向について、超過洪水に対してもできうる限り「生命も財産も守る」ことが必要との考えを提示。そこで強靭性の高い治水施設の位置づけを見直し、実現を図っていくべきとした。
一方、「流域治水」のさらなる推進として、流域の保水能力を高めるため、農地・山地との連携を提起した。最近でも「田んぼダム」や森林の保水能力を最大限活かすため、定量的に科学的エビデンスを活用する意味は大きく、関係機関との連携を図ることも明らかにした。
以上が、土木学会の「流域治水」に対する考え方だ。
「多段階リスク明示型浸水想定図」による河川整備
次に、土木学会の具体的なアクションとして、「多段階リスク明示型浸水想定図」による河川整備と流域の状況の把握を上げた。これは、どの領域がどの程度氾濫するかという”段階的な治水安全度”が分かるものだ。
背景としては、これまで河川整備についてはダムがどの程度完成したかといったアウトプットの情報は広報され、流域住民も共有されてきた。一方で、今後は自分たちの生活がどれだけ安全になったかというアウトカム指標を提示していくことも重要になり、そのための技術開発がポイントとなる。アウトカム指標をもとに一目でわかる「多段階リスク明示型浸水想定図」を作成する必要性を示した。
「多段階リスク明示型浸水想定図」は、洪水ハザード情報、地域の曝露量、脆弱性の情報を統合する内容で、整備にあたっては土木工学等の総合的な知見が必要であるため、河川管理者、流域市町村、流域の土木技術者や関係学会が連携し、技術開発や普及を図るべきとした。
国の直轄管理している大河川は相当な技術的蓄積があり、「多段階リスク明示型浸水想定図」の作成は可能であるとした一方、しかし、全国2万河川といわれる中小河川で作成するのは、現在の体制では困難であるとし、技術的・財政的支援については、地方自治体を通じて国等への支援を求めるという問題意識を明らかにした。
浸水の危険度で土地価格が異なる市場メカニズムを活用
また、流域治水と土地利用の観点からは、市場メカニズムを活用した流域治水の推進を盛り込んだ。すなわち、行政がいくらここの土地が危険であるから、個人や法人等に移転を促進しても現状、うまく進展していないことが実情だ。そこで定量的に浸水の危険度により、土地の価値が異なることを示すことにより、損害保険に使用するような科学的情報を提供していくとした。
たとえば、立地行動を促す水害保険の適切な料金設定をするために、河川管理者には、「多段階リスク明示型浸水想定図」等の情報提供の充実を求める一方、土地利用と一体となった都市河川の整備や貯留浸透施設の設備については、民間資金導入のための制度づくりが必要で、その効果の評価手法の研究開発に、土木学会等は取り組む必要があるとした。
課題として挙がった「地域の脆弱性」
さらに流域社会の課題として、脆弱性も上げた。災害応急復旧活動に携わる市町村の土木部門の職員は、1996年をピークに約30%減少し、技術系職員が存在しない市町村が全体の地方自治体の3割に上るという懸念すべき事態となっている。技術者の減少は地方全体に及んでおり、いざ災害が発生した際、地域の災害対応能力が減少していることは大きな問題だ。
最近では、大災害が発生すると国が地方をサポートする「直轄の権限代行」を実施するケースがあるが、仮に全国で広域的な大災害が発生した場合、この方式で対応できるかの疑問の声が上がった。
そこで地方自治体や地域建設業の技術力を維持、向上していく必要があり、国に頼らずとも地方自治体の相互の支援体制の構築も含め、災害対応力の強化をはかるべきとした。地域に必要な技術者、オペレーター、作業員が適切に維持できる公共事業の長期的なビジョンこそが地域の強靭性につながるという視点も示した。
「着実な流域治水推進のための長期計画」を
とりまとめでは、流域治水の現場にも目が向けられた。
流域治水のステークホルダーの積極的な取組みに期待した。流域治水対策を具体的に推進すると、利害対立が発生する。そのために、土木学会は科学的エビデンスに基づいた情報を流域関係者に提供し、それをもとに流域関係者全員で検討していく体制が肝要であるとした。そこで土木技術者は実践で培ってきた経験知識を調査、研究し、流域治水推進のための必要な制度を提案していくべきだろう。
もう一つ重要な提案としては、「着実な流域治水推進のための長期計画」だ。かつて昭和では、財政的や法律的に裏付けのある治水の長中期計画が実行されてきたが、第9次治水事業七箇年計画を最後に、治水事業の長期計画は失われた。
しかし、平成の終盤から令和にかけて、激甚な水害が発生する時代を迎えた。そこで再度、長期的視野に立った財政的、制度的バックボーンを確保する「河川事業」のみならず、流域の強靭化のための都市計画事業等に適応するための制度の必要性を問うた。
以上が塚原幹事長からの声明の骨子内容の説明だが、声明でのメニューは非常に豊富で中には実行に移すにはいくつかの財政的、制度的な障害も予想される内容もあった。
しかし、豪雨災害が激甚化していくなかでは、いずれも重要項目と言えるものであり、今後、どう実行していくかは政府や行政の役割に移ることだろう。
家田会長「土木技術者と市民グループの連携の姿」
今後、土木技術者は「流域治水」の現場施工にあたり、多様なステークホルダーと協業していく局面が求められる。特に、土木と市民の関係が一層強化されていくのではないか。会見中、その点について質問したところ、家田会長は次のように回答した。
「我々土木学会会員は4万人の会員がおり、技術者の集団だ。地方自治体には120万人の土木・建築系の技術者がいる。国土のインフラは施設の管理者側だけでやっているわけではない。
日本の全人口が国土の上で生活しているわけで、そのうちの中には河川の掃除をされるなど、実に多くの方々が国土のインフラを愛してくださっている。こうした市民クループ等をパートナーと位置づけ、『インフラパートナー制度』も開始したばかりで、土木学会と協定を結び、良い国土とインフラをつくる決意を示している。
土木技術者と市民との連携はスタートしたばかりだが、橋やダム等を愛する市民も多く、それが近年のインフラツーリズムにつながっている。現在、インフラパートナー制度第一陣として、16団体と協定を結んでいる」。
また、豪雨災害対策総合検討委員会の2委員は次のような意見を示した。
次に福岡委員は「『令和元年東日本台風』や『球磨川洪水』で得られた知見では、河川の減災をつきつめて言えば、『流域治水』に相当する。これから河川工学の技術を動員し、『多段階リスク明示型浸水想定図』を作成し、まちづくりに寄与していくことが重要になる」とコメントした。
球磨川「流域治水プロジェクト」に関する「学識経験者等の意見を聴く場」の座長もつとめた福岡捷二委員(中央大学研究開発機構教授)
また、廣瀬委員は、球磨川洪水等で多くの高齢者ら災害弱者が亡くなったことに言及。「被災した高齢者施設は治水上、リスクがあったことは認識されていたと思うが、従来のハザードマップだけでは本当のリスクの高さを理解されなかったのではないか。今回のリスクを明示した『多段階リスク明示型浸水想定図』ができれば、学校や高齢者施設を建設することを止められる可能性があり、こういう活動が『流域治水』の基本になる」と強調した。
廣瀬隆正委員(三菱地所株式会社顧問)
土木学会では今回、「豪雨激甚化と水害の実情を踏まえた流域治水の具体的な推進に向けた学会声明」として、最新の知見をもとにとりまとめた。「豪雨災害対策総合検討会」を今後とも継続し、流域治水における科学的エビデンスを広く訴える方針だ。
今、大震災や激甚化する水害や洪水を目の当たりにして、国土保全の機運が高まっている。そこで土木学会は専門家集団として活動しつつ、前へ進める潤滑剤やコーディネーターとしての仕事を担わなければならないと家田会長は土木学会の覚悟を示した。