荒井 明夫さん(グリーン・コンサルタント株式会社 代表取締役社長)

荒井 明夫さん(グリーン・コンサルタント株式会社 代表取締役社長)

【グリコンシリーズ最終回】舗装の「第一人者になった」という自負がある

グリコンシリーズ最終回【荒井明夫 代表取締役】

グリコンシリーズ最終回は、第1弾で登場してもらったグリーン・コンサルタント株式会社(以下、グリコン)の荒井明夫さんだ。

荒井さんは、株式会社NIPPOの前身の日本鋪道株式会社に入社。以来45年間にわたり、首都高速道路をはじめ、難施工現場で陣頭指揮を執りつつ、新技術の開発などにも辣腕を振るってきた。自他ともに認める「舗装のプロ」だ。

前回はグリコン社長としての登場だったが、今回は「舗装屋」として登場してもらい、その半生を振り返ってもらいながら、舗装屋としての思いを語ってもらう。

グリコンシリーズ第1弾【荒井明夫 代表取締役】の記事はコチラから

辞めた先輩の後釜として、日本鋪道に入社

21才のころの荒井さん(画像提供:荒井さん)

――ご出身は?

荒井さん 東京の武蔵野市です。

――学生のころはどんな感じでしたか?

荒井さん 父親が配筋工だったこともあって、なんとなく建築関係をやりたいと思っていました。ただ頭が悪かったので(笑)、工業高校へ行くことにしましたが、志望校に建築科と建設科があり、中学の先生聞くと「たぶんスケールが違う程度だろう」といわれ、「建築科は倍率が高いから、倍率の低い建設科にしとけ」と言われ受験して入りました(笑)。

母親が、安定しない職人の仕事を嫌って、再三「公務員になれ」と言うので、高校3年になるときクラス分けがあり「設計コース」を選びました。地元の武蔵野市役所を受けようとしていたとき、先生から「日本鋪道に行ってくれないか」と言われたんです。私の1年先輩が日本鋪道に入社したのですが、半年で辞めてしまったんですね。学校として困っていたところに、私に白羽の矢が立ったようです。思いがけないカタチで日本鋪道に入社したわけです。

34才でとった技術士が人生の転機に

――日本鋪道ではどのようなお仕事を?

荒井さん 入社したら「測量して道路をつくるのかな」と思っていたら、これも思いがけず、「試験屋になれ」ということで、技術研究所というところに配属されました。研究所なんてアカデミックなところで、最初は戸惑いましたね。でもよくよく考えると、当時は高速道路の工事も多く、アスファルト合材工場もドンドンつくっていたころだったので、品質管理要員が足りなかったのだと思います。

そこから10年近く、全国の高速道路や空港の現場品質を担当しました。その後の4年ほどは研究開発の部署にいました。

荒井さんが従事した東北自動車道黒磯PA付近での舗装工事の完成写真。日本初の高速道路コンクリート舗装だった。(画像提供:荒井さん)

私のサラリーマン人生の転機になったのは、34才で技術士に合格したことですかね。当時社内最年少の合格でした。これで会社の私を見る目が変わったんです(笑)。「コイツ、なかなかやるじゃないか」と。

そして36才で試験所長に抜擢されました。当時、社内的には試験所長というのは50歳位でなるのが普通でしたし、しかも一番大きな首都圏の支店の試験所長です。技術士に合格したことで、会社の評価がガラッと変わったことを実感しました。

ちなみに、私の合格をきっかけに、あいつが受かったんならと思ったか、多くの社員がこぞって技術士を受験するようになりましたので、NIPPOの技術士数が多いのは少なからず私の成果だと思っています(笑)。

――なぜ技術士を取ろうと思ったのですか?

荒井さん 技術士補という資格ができた年に、自分は出張していたんですが、先輩が私の分まで願書を取り寄せてくれていたので、受けてみるかと。そしたら、たまたま合格したんです。じゃあということで、ついでに技術士の試験も受けようかということになりました。「受かるわけないだろう」と思っていたのですが、受かってしまったというわけです。その前にもいろいろ資格を取っていました。実は私、この手の資格試験は一度も落ちたことがないんです(笑)。

――それは素晴らしいですね。

荒井さん たぶん「満点を取ろう」という気がないからだと思います(笑)。60点取れば良いわけですから。

――技術士を取ってどうですか?

荒井さん いろいろと自分の視野も広がったので、取って良かったと思っています。

――社外の見る目も変わったでしょう?

荒井さん そうですね。自分に対する評価は、社内だけでなく、社外の評価も大事だということに気づいたのもこのころです。直接的な利害関係のない第三者であるお客様から「彼は良いよ」と言ってもらうことは、スゴく大事なことです。会社の上司は、目に見えるところしか評価できませんからね。ですから部下を持つようになってからも、部下を第三者がどう見ているかを重視するようになりました。

NIPPOの技術部門の責任者まで上り詰める

――試験所長の後はどのようなお仕事を?

荒井さん 支店の技術課長、本社の技術課長をやって、支店の技術部長になりました。技術部長になったとき、母が大変喜んでくれましたが、その母もその年の暮れに亡くなりました。

首都高の現場でコンクリートを打設しているときに、秘書室長から「社長が会いたいと言っているので本社に来るように」と電話を受けて、2日後に行くと社長から執行役員、総合技術部長にすると言われ、青天の霹靂という言葉は知っていましたが、自分がそれを人生で使うとは夢にも思いませんでした。

そこから、常務執行役員、技術副本部長、取締役常務執行役員技術本部長を経て、昨年6月にNIPPOを退職し、グリコンの社長に就任しました。

記憶に残る研究開発

――NIPPOでは主に技術、開発畑をやってきた感じですか?

荒井さん そうですね。若いころは、コンクリート舗装を多く手掛けた関係で、「コンクリート舗装の専門家」的な位置づけでしたが、支店に転勤してからは、首都高や東京都を担当したことで、鋼床版やコンクリート床版の橋面舗装を多く手掛けるようになりました。

橋面舗装分野の民間技術者としては、「第一人者になった」という自負があります。本社の技術部門の責任者となってから、過去の経験と人脈に助けられ、また自らもSIPに参画するなどして、多くの橋面舗装技術開発の陣頭指揮をとり、開発を行って成果を上げました。

今年度の土木学会技術開発賞を受賞したPCM舗装は、役員をやりながら自らの研究テーマとしたものです。

――思い出に残る研究開発はありますか?

荒井さん 本社役員時代に関与した重機の自動停止システムの開発ですね。開発のきっかけは、新入社員時代からよく知っていた社員がローラに轢かれて亡くなったことです。これを受け、部下に対し、期中テーマそして開発を指示しました。

すると、わずか半年で画期的な「WSS(Worker Safety System)」をつくり上げてくれました。システムの原理はRFIDを活用し、「知らせる技術」から「止める技術」へ変えたもので、部下の頑張りが思い出に残る技術開発でした。

WSSの「W」は、亡くなった社員の頭文字をとったもので、社員への「鎮魂」と「あなたを忘れない」という意味を込めました。


首都高の仕事は、技術的、肉体的にも過酷だった

首都高横浜ベイブリッジでの施工の様子(画像提供:荒井さん)

――首都高との関わりが長いんですよね。

荒井さん そうですね、トータルで30年ほど担当し、この間、300名ほどの方々とお付き合いさせていただきました。私の知る限り、全国の都市高速の中で、首都高さんが最も供用条件、施工条件が過酷だと思います。

都市高速によっては、集中工事を行う際、全面通行止めにしますが、首都高さんはまず全面通行止めにすることはありません。過去に1回しか通行止めにしていないと思います。首都高さんが集中工事を行う際には、必ず車線を確保した上で、実施しています。通行止めすると、車両通行に対する影響が非常に大きいからです。常に首都高さんはお客さん第一ですから。

工事も夜間だけであり、時間的な制約も厳しいです。これは技術的にも肉体的にも過酷なことであり、かなり難しいことなんです。一般的な補修工事は夜間で行い、朝の5時には開放が条件です。また集中工事では朝の5時に工事を始めて、翌日の朝5時に終えるといった感じで、非常にシビれるような工事です。私はそういう工事に舗装業者の技術屋として長年関わってきました。首都高さんから「知恵を出せ」と言われて、なんとかひねり出してきたんです。

――首都高は舗装も傷みやすいのでしょうか?

荒井さん それは傷みやすいですね。昔は過積載も多かったですし。そもそも幅員が狭く、通行車両はほぼ同じところを走るので、わだちができやすいということもあります。首都高で一番狭いところは幅員が3.25mしかないんです。すぐ横を車が走る中、コーン1つ置いて、工事をやるわけです。

――予定通り工事を終えられなかったこともあったわけですか?

荒井さん それは何回もありました。急に雨が降ってきて、工事を止めざるを得なかったとか。そういうときは、予備合材で埋めて、仮復旧させておいて、翌日再チャレンジしましたね。

舗装は現場を見ないと始まらない

首都高レインボーブリッジでの施工の様子(画像提供:荒井さん)

――現場に出ていたんですね。

荒井さん それは当然です。舗装には、「現場を見ないと始まらない」ところがどうしてもあります。私はおそらく、舗装会社の技術屋としては、首都高の現場に一番多く立った人間だと思います。首都高2号線以外はすべての路線の現場に立ってきました。役員になるまで、ずっと現場でしたから。

材料会社でも現場に多く出ている技術者の方々がいらっしゃいますが、会社は違えど、そういう方々は「戦友」だと思っています。また首都高さんにも舗装を熟知された方がいて、その方と現場で課題を一緒に解決しながら規制解除を迎える時は達成感がありますね。

――首都高で思い出に残っている現場は?

荒井さん 首都高の鋼床版SFRC工事でしょうかね。アスファルト舗装を撤去して、鋼床版面を露出させ、ショットブラストで鋼床版面を研掃し、その後接着剤を塗布してその上に超速硬コンクリートを打設。その上に防水層施工後、表層舗装を施工して開放。これを24時間で3工区同時にやる。

隣を一般車が走行する中で、各工区を技術指導していく。5年間で延べ60回参加しましたが、総勢100名以上の人々が時間を見ながら作業を行うわけです。疲労困憊の中で交通開放を迎える。この仕事が一番思い出深いですね。

経験を積むと、「解」に近づける

――舗装工事の魅力は?

荒井さん 「舗装に同じものはない」ところですかね。舗装は、気象条件、施工条件、交通条件のどれかが異なると、まったく別のものになります。似たようなものであっても、違うものなんです。過去にやった「工事の引き出し」を開けながら、ドンドンやっていくんですけど、条件が常に違うので、間違えたり、失敗したりします。毎回、「解」が違うわけです。ただ、経験を積むと、「解」に近づくようなところがあります。それが舗装の面白いところですね。

――舗装がキレイに仕上がったら、達成感を感じるということはありますか?

荒井さん もちろん、舗装の平坦性は良いに越したことはありませんが、平坦性に多少難があったとしても、耐久性には問題はありません。舗装の見た目の仕上がりのキレイさだけを重視するのは、なにか違う感じがします。あとで問題が起きる可能性があるからです。

極論すれば、ラインがキレイなら、舗装もキレイに見えるんです。逆に、ラインを間違えると、舗装も汚く見えます。でも舗装の耐久性は変わりません。

ちゃんと基準に入っている材料でも、検査員によっては「粗過ぎる。やり直せ」と言われることがあるんです。でも、舗装の耐久性でいけば、交通荷重を考えると、その材料のほうが間違いなく良かったりするんです。しかし、見栄えは悪い。そういうこともあるんです。その辺は、正直ジレンマがありますね。

――プライベートでも舗装が気になったりすることはありますか?

荒井さん それはありますね。悪い舗装を見ると、その原因がだいたい分かるので、「ここでフィニッシャが止まったんだな」とか、「ここは合材が冷えて大変だったんだな」とか、「現場監督はここをこうすることで、なんとか切り抜けたんだな」とか感じることがあります。

「部分最適」ではなく、「全体最適」へのシフトが必要

――ちょっといじわるな質問になりますが、新橋建設などの場合、舗装の仕事は、「最後の付け足し」みたいな感じで言われることがありますが、その点どうですか?

荒井さん 土工屋さんからは、舗装屋は「塗装屋」と言われてたりするわけです。ただ、橋梁の上部工の仕上がりがヒドくて、舗装厚がとれないケースもあったりするわけです。(もちろん規格に入っていますが)舗装厚は75ミリが標準なのですが、20ミリしか厚がつかないことがあります。逆に、100ミリ以上舗装をもらないと、高さが合わないケースもあったりするわけです。そういうものも含め、全部背負ってやるのが舗装の仕事なんです。

日大の岩城先生の発案で、少し前に「三位一体研究会」というのをやったんです。発注者、橋梁メーカー、防水メーカー、舗装会社が一緒になって勉強会を開いたんです。橋梁メーカーさんは、良かれと思って、コンクリート養生のためにポリマーをいっぱい噴霧します。ところが、舗装会社にしてみれば、その上に高機能防水を施工する場合、ポリマーが悪影響を及ぼすので、わざわざポリマーをブラストで除去した上で、舗装することがあります。

結局、それぞれの立場で「部分最適」をやっているわけです。しかし、大事なのは構造物全体が持つかどうかという「全体最適」なのです。原点に立ち返って、それをもう一度勉強しましょうというのが研究会の趣旨でした。

構造物全体から見れば、舗装は添え物に見えるかもしれませんが、供用すれば舗装が車との接点になるわけです。大事なことは、道路管理者に負担をかけないことです。それをちゃんとやるためには、橋梁メーカーと舗装会社などが意見を交わす必要があると考えています。

例えば、上部工の床版が不陸のままでは、舗装厚がちゃんとつかないことがあります。そういうことがないよう、発注者を含め、橋梁メーカー、舗装会社が一緒になって問題解決できる仕組みづくりが必要だと考えています。また、そもそも、舗装を上面に施工する必要のない平滑なコンクリート床版ができれば、そのほうが道路管理者にはメリットがあるかもしれません。そのような検討をそろそろしていかないと、いつまで経っても「部分最適」のままが続くと危惧しています。

ここは、「私がもうちょっと若ければ」と歯がゆい思いをしているところなんですよ(笑)。

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基本的には従順ですが、たまに噛みつきます。
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