3つの分野を得意とする「珍しい研究者」
あるとき、日本大学工学部(郡山キャンパス)に「舗装を専門とする研究者がいる」という話を聞いた。前島拓(まえしま・たくや)先生だ。舗装の研究者は、全国的にも数が少なく、かなりレアな存在だと言う。
それを聞いて、該当する研究室のHPをのぞいてみたが、どういうわけか、コンクリート関係の話ばかりで、舗装に関する記述がほとんど見当たらなかった。「ん、どういうことだ?」と当惑したが、いろいろ確認してみると、その研究室の中にもう一つ研究室があり、そこで舗装の研究をしているのだが、HPに情報をまだ出していないということがわかった。
「レアな存在だけあって、なかなか謎のベールに包まれているな」と妙に感心した。それはともかく、前島先生とはどのような人物なのか、舗装の研究のやりがいはなんなのかなどについて、話を聞いてきた。
東日本大震災を経験し、大学教員を志す
――土木に興味を持ったきっかけはどのようなものでしたか?
前島さん 高校生のころは、土木に特段の興味はありませんでした。ボクは埼玉出身ですが、大学進学の際には、とにかく「一人暮らししたい」という強い気持ちがありました。それをもとに、ボクの学力で行ける学部学科を選択した結果、郡山にある日本大学工学部土木工学科になったという感じです。
研究室は、自分で希望して、コンクリート工学研究室を選びました。指導教授は、岩城一郎先生と子田康弘先生でした。学部卒業後、就職しようと思ったのですが、ちょうど就職氷河期でした。「今就職するよりは、もう少し知識や経験を深めてから、社会に出たい」と考えて、大学院に進むことにしました。
大学4年のとき、東日本大震災が起きました。大学キャンパスも被災地になりました。私のキャリアにとって、最も大きな影響を与えた経験でした。現場仕事に就いて、壊れたインフラ、構造物を直すことにも興味を持ちましたが、それ以上に、土木の研究活動を通して、震災からの復興、社会貢献することに惹かれました。
加えて、そういった活動の重要性を若い世代に伝えることにも魅力を感じました。それで、将来は「大学の教員になりたい」と考えるようになりました。
「三位一体」の研究をするため、NIPPOに就職
――それで教員になったのですか?
前島さん いえ、ちょっと紆余曲折がありました。
大学院では、橋梁のコンクリート床版の破壊メカニズムの研究をしていました。平たく言えば、どうやったら床版が壊れるのかについて、研究していました。これがわかると、どうすれば床版を長持ちさせることができるかもわかるわけです。この研究で博士の学位を取りました。
床版の上には、コンクリートに水が触れないようにする防水層があり、さらにその上にアスファルト舗装があります。床版、防水層、アスファルトの3層構造で成り立っているのですが、私は床版だけの研究をしていたわけです。
あるとき、私の指導教授の岩城先生が委員長をしていた土木学会の委員会に、オブザーバーとして参加しました。委員会には、床版のプロフェッショナルの方もいれば、防水、アスファルトのプロの方々もいました。そこで、床版、防水、アスファルトの3層構造を「1つの構造物として考え、維持管理していかなければならない」という議論を初めて耳にしました。
議論で衝撃的だったのは、「床版のプロは舗装のことを知らない」、「舗装のプロは床版のことを知らない」ということでした。極端に言えば、床版の専門家にとっては、床版以外はどうでも良いんです。一つの構造物なのにもかかわらず、層ごとに、見事にタテ割りになっているわけです。そのとき、「不可思議な構造物だなあ」と感じました。
そこで、床版、防水、アスファルトの3層構造を「三位一体として研究できる研究者になりたい」と考えました。そのためにはどうすれば良いかを考えたときに、ボクはそれまで床版の研究をやっていたので、「舗装と防水を勉強する必要がある」と考えました。
この委員会に、株式会社NIPPOの方がいらっしゃったので、いろいろとお話をする中で、そのまま教員になるのではなく、NIPPOさんに就職することになりました。