「すいませーん!!! 写真、撮らせてください!!!」
切羽の前で、私は叫んでいました。相手は重機の上。トンネルの中はとにかくうるさくて、大声を出してもまず届きません。それでも撮らないと管理が進まないので、とにかく叫ぶ。やっと気づいてくれたと思ったら、返ってきたのは一言です。
「はやくしろ!!」
現場では走ってはいけない。誰しもが最初に教わることです。でも、あの瞬間はそんなことは頭から吹き飛んでいました。
私は切羽までダッシュして、地面にでかい黒板を置き、撮影して、黒板を抱えてまた走って戻る。電子黒板なんてない時代です。
「写真、撮り終わりました!! ありがとうございました!!!」
そう頭を下げながら、心の中ではこう思っていました。
――終わってる、と。
これが、1年目に山岳NATMのトンネル現場へ「元請」として入った私の、ごく普通の一日でした。
切羽写真、1枚撮るまでの手順
落ち着いて手順を説明すると、こういう流れです。
発破をかけたら、出てきたずりをホイールローダーで重ダンプに積み込む。掃き終わったら、今度はブレーカーで浮石を落とす、いわゆる「こそく」に移ります。私が切羽の状態を写真に収められるのは、こそく後のずり出しも終わり、吹付に入る前の一瞬だけです。
中はうるさいので、まず重機の50mほど後ろで待機します。オペレーターから私の位置が見えるようになったら、手を大きく振って合図する。気づいたら重機を止めてくれるので、「すみません、写真撮らせてください」と声をかける。「さっさと行ってこい」が出たら、黒板を持ってダッシュです。一人で構えてパシャっと撮り、撮り終えたらすぐ黒板を片付けて、「撮りました、ありがとうございました」と言って切羽から下がる。
これでようやく一カットです。
念のために書いておくと、現場で走るのは本来あってはならないことで、今なら絶対にやりません。また、危険な切羽で作業の手を止めさせているのはこちらです。坑夫さんが「はやくしろ」と苛立つのも、今思えば当然でした。当時はそんなことを考える余裕もありませんでしたが・・・。
「すみません」と一声かけないと元請でも写真1枚撮れない
元請の施工管理と聞くと、図面と段取りで現場を動かす立場を想像するかもしれません。当時の私もそう思って入りました。
ところが現実にできたのは、坑夫さんに頭を下げて段取りをお願いし、機嫌を損ねないように立ち回ることくらいでした。
写真を1枚撮るだけでも「すみません」と一声かけないと進められない。元請という肩書きは、ここでは何の力も持ちませんでした。
今になって思えば、経験のない1年目の私が、気づかないうちに現場へ迷惑をかけていた場面もたくさんあったはずです。ただ当時は、それを考える余裕もないほど、毎日をこなすだけで必死でした。
切羽チームと覆工チームの空気は正反対
ただ、これは現場の全部ではありません。同じトンネルでも、切羽のチームと覆工のチームではメンバーがまるで違っていて、現場の空気も正反対でした。
切羽のチームは、正直しんどかったです。坑夫さんたちはそれぞれ癖があって、何をするにもとにかく怒られる。本来なら私が直接ではなく一次協力会社を通すのが筋ですが、その職長さんとは、どうしても噛み合いませんでした。私には嘘としか思えない説明をされたこともあります。
もっとも、これも1年目だった私の受け取り方かもしれません。理解不足や伝え方のまずさが、そう感じさせた面もあったでしょう。ただ、当時の私には、確かにそう感じる出来事がありました。
極めつけは朝6時の朝礼で、「あいつがこう言ってたぞ」とありもしない話を吹き込まれ、みんなの前で吊るし上げられることもありました。公開処刑、という言葉がいちばんしっくりきます。「言ってないです」と返しても、その場では何も始まりません。
一方で、覆工のチームは違いました。職長さんが本当に仕事のできる人で、こちらの話もちゃんと聞いてくれる。とはいえ私は1年目です。箱抜きの高さや、セントルをセットするときの高さの読み違いを連発して、こっぴどく怒られました。今思えば当たり前のことで叱られていただけですが、当時は必死でした。
覆工はその工事で100ブロックを超える長い工程です。顔を突き合わせる回数が積み重なるうちに、後半はすっかり仲良くやれるようになっていました。
おもしろいのは、この覆工のチームでも、結局は職長さんと私が一次協力会社を通さず直接やり取りするようになっていたことです。
一次協力会社の覆工担当は、セントルの2階の隅に立って「ふーん」とこちらを見ているだけで、何もしない。良いチームでも悪いチームでも、間に入って整理してくれるはずの人は、結局あてにできませんでした。
こりごりだと思った現場が、今の土台になっている
この現場ではっきり学んだことが一つあります。図面や工程がどれだけ正しくても、人がかみ合わなければ現場は回らないということです。
そして、その「人」は一次協力会社の階層図の通りには動いてくれない。最後は自分が職長さんと直接、信頼をつくるしかありませんでした。
チーム次第で現場の空気がまるごと変わるというのは、その後いくつかトンネル現場に関わって、確信に変わりました。正直に言えば、私の中では今も「トンネルはもうこりごりだ」という思いが強いです。
もう10年近く前の話なので、今はもっと変わっているのかもしれません。電子黒板も当たり前になって、あの切羽ダッシュもしなくていいのでしょう。
それでも、あの毎日で叩き込まれた「人をどう動かすか」という感覚は、今の自分の土台になっています。
1年目で味わうにはしんどすぎましたが、振り返れば、間違いなく財産になった現場でした。



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