経営危機から脱し、100億円以上を売り上げる小竹興業
小竹興業株式会社(香川県高松市)は、創業120年を超える建築会社だ。
民間建築の老舗として、香川県内の得意先相手の仕事をメインに受注していたが、バブル崩壊の影響により仕事量が減少。売り上げが40%減小するなど経営危機に陥った。
そこで小竹興業は経営の大改革に着手。「手堅い商売」から方向転換し、それまで手を出していなかったマンション建築の仕事や、県外の仕事などの受注に乗り出した。その結果、10年後には、売上100億円を超えるまでに会社の業績はV字回復を果たす。
小竹興業の強みは「生産性の良さ」。従業員70名で100億円以上を売り上げている。従業員1人当たりで換算すると、売り上げ高は約1.5億円となり、大手ゼネコン並みの数字を誇る。
競争の激しい地域の民間建築の分野で、なぜこれほどの高い生産性を保てるのか?
大改革の陣頭指揮を執ってきた小竹和夫社長をはじめ、村上博文氏(取締役建築部部長)、越智俊介氏(購買部課長)にいろいろと話を聞いてきた。
小竹興業株式会社 小竹和夫社長
「建築だけはやりたくなかった」
小竹興業のルーツは、小竹和夫社長の曽祖父が1895年に設立した小竹組にさかのぼる。
詳しい記録は残っていないが、宮大工を抱える大工一家として、江戸時代から商売を続けてきたらしい。昭和の時代になって早々に、祖父達兄弟が大工一家から建築会社として法人設立をした。
小竹社長は「建築屋の息子」として、生まれ育ったが、「家業を継ぐのは嫌だ」という思いから、早稲田大学法学部に進学する。
「不動産屋にでもなろうか」と就職活動を行っていたとき、当時会長だった祖父が病で倒れたという一報が届く。病院に見舞いに行くと、祖父から「小竹興業に帰ってこい」と一言。
すでに不動産会社から内定をもらっていたが、祖父の一言には逆らえず、不本意ながら小竹興業に入社する。
小竹興業の社屋
小竹社長は「余命宣告された病人から、枕元で言われたら、断れない。うまくやられた(笑)」と振り返る。
一族役員を切り捨て、営業の報告は一切しない
小竹興業に入社後は、総務経理などの仕事を任された。
与えられた仕事は半日あれば充分こなせたので、残りの時間は「ゴルフなどして遊んでばかりいた」と言う。しょっちゅう「辞めよう」と考えていた。
転機が訪れたのは、1999年。それまで地元銀行や医者などのお得意さん相手の仕事を中心に、例年25億円程度の売上げをコンスタントに続けていたが、地域の景気が悪くなり、売り上げが15億円までに大きく減少した。
「このままだと、この会社は潰れるな」と考えていたとき、当時会長だった父親に呼ばれ、「お前、営業せえ」と言われる。仕事も適当にこなすだけで大半遊んで過ごしてきたが、その分人脈には自信があったので、何とかできるだろうと引き受けた。
ただ、その際、二つの条件を出した。一つ目が「父親をはじめとする大半の一族役員の退任」。二つ目が「営業の報告や相談は一切しない」というもの。「営業結果が気に食わなければ、すぐにクビにしてもらって構わない」とまで言い放った。
親父の返事は「それでかまわん」。さらに、「父親の従兄弟のうち、一番年下の専務を社長に、私が専務という体制でやる」と父親に提言し、新たな経営体制のもと、経営の大改革に乗り出した。
小竹社長、48歳のことだった。
凄まじい営業力「8〜9割の仕事は俺が取ってきた」
大改革には、経営コンサルタントを入れ、全社的に取り組んだ。その手始めは「人の入れ替え」。当時の小竹興業は、従業員50名程度だったが、役員は11名。そのうち小竹一族が8名も名を連ねていた。
「小竹一族であることは罪悪だ」という厳しい姿勢で、まずは身内をバッサリと切っていった。残った人間の「頭の中を変える」ことにも注力した。
次に仕掛けたのが新たな受注先の開拓。それまでマンションには手を出していなかったが、ガンガン仕事を取っていった。他社から「小竹さん、マンションなんて安っぽい仕事せんでも」などと嫌味を言われたが、意に介さなかった。営業の責任者として、「全体の8〜9割の仕事は俺が取ってきた」と言うほどの凄まじい営業を実践した。
大改革に際し、小竹社長は「10年間で売り上げを100億円にする」と宣言していた。翌年には、早速29億円まで回復。結果的に、10年後に100億円に達した。IT系の新興企業並みの急成長、急回復を成し遂げた。ここ数年は、民間工事8割、公共工事2割程度で推移している。
売上100億円を達成した「効率の良い施工体制づくり」
「建築の仕事をとるのは、実は簡単。安ければ取れる。難しいのは、いかに利益を出すかだ」と指摘する。では、どうやって利益を出すのか。その一つの手段が、「効率の良い施工体制づくり」だ。
以前は、1億円程度の現場に、ベテランの現場監督以下、常時3〜4名の社員が入っていた。「これではダメだ」ということで、現場監督の若返りに着手。ドンドン若い技術者を採用し、現場で経験を積ませていった。
最近では、5億円の現場に30歳代の現場所長を配置し、サポートにあと1~2名程度という体制でも、現場が回るようになった。
馴染みの下請けを作り、仕事を出し続けるという方法もある。同じ仕事内容であっても、「めったに仕事が出ない元請け」と「また次の仕事がある元請け」では、下請けの反応は大きく異なり、それは発注金額に反映される。
下請けにとって「仕事がはかどる」など、魅力的な仕事にできるかどうかによって、会社の利益にも大きな違いが出る。たんなる「下請け叩き」とは似て非なる関係づくりだ。
ただ、それを実現するためには、常にある程度の仕事量を確保しておく必要はある。
ウチに一番合っていた原価管理システムが「インパクトコンストラクション」
効率の良い施工体制のためには、原価管理などのシステム構築も必要になる。
小竹興業は、静岡県三島市にある加和太建設が開発したクラウド型の建築施工原価管理システム「インパクトコンストラクション」をプロトタイプの段階からいち早く導入している。
導入当時、インパクトコンストラクションの納入実績はなかった。しかし、小竹興業は「会社の規模、工事の規模を考えると、数千万円規模の投資を伴うオーダーメイドのパッケージのシステムより、インパクトコンストラクションが一番ウチに合っていた」ことから、導入に踏み切った。
インパクトコンストラクションのメリットとしては、見積もりや発注などの書類づくりに要する時間が短縮されたことが挙げられる。従来は、過去の受注金額などのデータは、書庫で書類を探す必要があったが、インパクトコンストラクションによって、短時間で検索できるようになったからだ。
「書類づくりの時間は3分の1程度に短縮された」と越智俊介・購買部課長は言う。初心者や年配の技術者でもすぐに操作を覚えられる「使いやすさ」も特長だ。
越智俊介・小竹興業株式会社購買部課長。もともとは、大学で海洋工学を学び、橋梁メーカーでの現場経験もある土木出身の技術者
「インパクトコンストラクションはとにかく操作が簡単。年寄りでもすぐに操作を覚えられる」(村上博文・取締役建築部部長)と評価は高い。
インパクト導入後、現場監督の原価管理に対する意識が目に見えて向上した。インパクト導入前は、仕事を早く納めるのが最優先で、金は後からついてくる程度の意識しかないどんぶり勘定の現場監督もいた。
最悪の場合、儲かるはずの現場なのに、最終的に思ったほど利益の出なかった現場もあったが、インパクトコンストラクションを入れて以降、若手の監督の現場でも、キッチリ狙った利益を出せるようになってきている。
インパクトコンストラクションで作業中の越智課長
ただ、インパクトコンストラクションにも課題はある。情報漏洩の恐れ、不可抗力による改ざんなどのリスクを回避するには、システム任せでは不十分。社内ルールづくりなど、使う側の工夫が必要になる。
インパクトコンストラクションでは、データへのアクセス権限を任意に付与できるが、閲覧のみの設定ができない。複数名で同じ入力作業をする場合、誰かが先にデータを保存すると、その他の人間の作業は全て保存できず、消えてしまうリスクもある。
「検討事項として挙げてくれてはいるが、なかなか改善されない」(越智課長)という不満もある。
小竹興業では、全てのデータを閲覧できる人間を、本社スタッフの一部に限定するなどの対策を講じているが、アカウント情報などの社内管理体制まだまだ不十分だ。システム運用の根本に関わる部分のため、わずかなリスクも看過することはできない。
導入から約3年。まだまだ不満はあるものの、「全体としては、社内でデータ共有ができる使いやすい良いシステム。今後は注文書、発注書の電子化に対応して欲しい」(越智課長)と期待を寄せる。
現場監督には「賢さとアホさ」が必要だ
小竹社長の最大の悩みが、技術者の確保。ここ数年は、採用計画の半分の人数しか採用できていない状況がある。
応募人数自体が少ないので、会社として、人を見極め、選んでいる余裕がない。「とりあえず入れとけ」で入社させた人間なので、何かあると、スグ辞める。「やっぱり辞めたか」と驚きもない。
「建築業界は、全ての業界の中でも一番人に恵まれていない業界」とぼやく。小竹興業では今、20才代の技術者が不足している。再度人の入れ替えを進めるため、採用を増やすとともに、採用方法の再検討も計画しているが、今のところ、先行きは問題山積だ。
小竹社長が現場監督に求めるものは、「賢さとアホさ」。仕事をする上では、「賢さ」と「アホさ」の両方が必要だという意味だ。
建築という仕事はアホではできない。技術屋(エンジニア)としての知識や経験や才覚がなければ、成り立たない仕事、つまり「賢さ」が大事な仕事だ。しかし一方で、パソコンや電卓ではできない答えを出すことを求められることがある。
世の中には、ルールやロジック、数字では割り切れないものがある。「賢さ」に目をつぶって、「アホ」に徹しなければ、解決できないときもある。つまり「アホさ」が求められる仕事でもあり、どちらが欠けても、仕事はうまく回らないということだ。
「当社は、『賢さ』と『アホさ』の両方を兼ね備えた、いや、今はなくても、将来の可能性を感じられる人材を求め続けていかなければならないと覚悟している」と力を込める。
「次の10年間の目標は『売り上げ200億円』といきたいところだが、残念ながら、そうはならなん」と笑う。当面の目標には、コンスタントに売上げ100億円を続ける「安定感のある会社」を掲げる。人が増えるメドが立たない以上、むやみに仕事を取りにいくわけにはいかないという判断だろう。
小竹興業に限らず、地方の中小企業の成長のボトルネックは、仕事量の確保というより、人材の確保にあるようだ。やはり「企業は人なり」ということか。
原価管理の徹底って難しいよね