建設コンサルタンツ協会 若手の会代表 伊藤昌明
一般社団法人 建設コンサルタンツ協会の中に、「業界展望を考える若手技術者の会」(通称:若手の会)という内部組織がある。
若手ゆえの過激な内容を含んだ「魂のメルマガ」や、業界批判とも受け取れる「若手シゴト観アンケート」、レゲエ調のテーマソング制作など、周囲から反感を買うことも多い。
しかし、発起人で代表を務める伊藤昌明さん(株式会社オリエンタルコンサルタンツ)は「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」と笑い飛ばす。
活動を自粛するどころか、むしろ、Googleやリクルート、サイボウズなど土木以外の企業とも積極的に交流するなど、土木の業界団体らしからぬアクションをどんどん仕掛けている。
早稲田大学や日本大学の学生たちに建設コンサルタントのリアルを伝える「JOBカフェ」を主催
そもそも、建設コンサルタンツ協会 若手の会は、伊藤さんが一人で企画して創設にこぎつけた組織だ。協会内部からの様々な批判を乗り越え、今では2,000名以上の若手が参加するネットワークに成長した。
メンバーは建設コンサルタント会社に勤務する土木技術者が中心だが、そのネットワークは他の土木団体(土木学会)や大学生たち(ツナガルドボク)にも絶賛拡大中である。
「学生も含めた土木の若手の最大ネットワークを作りたい」というのが、伊藤さんの最近の口癖だ。
こいつは、ただ者じゃない、新たな土木の風雲児の登場か、ということで、伊藤さんのキャリアや土木業界の課題について、いろいろ話を聞いてきた。
タバコを吸う面接官に怒る
「業界を活性させる一大ムーブメントを興す」——。建設コンサルタンツ協会 若手の会を立ち上げた背景には、伊藤さん自身のキャリアが濃く関係している。
伊藤さんは日本大学理工学部 海洋建築工学科を卒業後、オリエンタルコンサルタンツに入社した。建築畑で育ったが、仕事は土木の道を選んだ。
「建築事務所に就職しても、一部のセンスある人しか成功できないイメージだったし、その土俵で勝負できる自信はなかった。かといって、ゼネコンで施工をやりたいわけでもない。就活では建設コンサルタントしか受けなかった」。
学生時代の伊藤さんは、日本各地の島々を歩き回って、漁師の家の図面を採らせてもらうなど漁村の建築について研究していた。「漁村の家や街並みは、その土地の風習や自然環境に対応してつくられていて、そんなところから、街づくりそのものへの興味が湧いた。だから就職先は建設コンサルタント一択だった」。
とはいえ、当時は就職氷河期で、内定はなかなか貰えなかった。「学歴じゃ売れないし、基礎学力もないし、筆記試験で落ちることが多かった。面接で勝負しないと合格できそうにない」と焦った。
しかし、せっかく筆記試験を通過しても、面接でタバコを吸いながら質問してくる面接官に怒り、途中で席を立ったこともあった。当然、大学の指導教授には叱られた。
そんな折、幸運にもオリエンタルコンサルタンツの入社試験は、筆記と面接が同日の実施だった。筆記試験の出来を補うべく、面接で必死に自分を売り込んだ。
「自分の信念は、現地に行くこと。現場に答えがある!」「机上の設計は本質じゃない。現地を歩き回ってきたので本質を分かっています!」というスタンスで自分を売った。ようやく内定をもらい、2001年にオリエンタルコンサルタンツへ入社した。
Tシャツ・ジーンズで、カフェで仕事して怒られる
入社後は生意気だった。
新人研修中から会社に対していろいろ意見し、同期と一緒になって企画も提案しまくった。内定者間ネットワークやメール環境の整備、全国の社員がコミュニケーションを図れるイベントの開催など、新入社員なのにおとなしくしていられなかった。
入社3年目には、全国の社員を集めてフットサル大会を主催し、約200万円の費用を会社に捻出させた。当時から人を巻き込んで行動する「癖」が伊藤さんにはあった。
勤務時間中にカフェで仕事をしていて、上司からこっぴどく怒られたこともあった。「会社にいて集中できないときは、集中するために勝手にカフェで働いていた。しかも服装はジーンズにTシャツ姿。今考えれば自分でも嫌なヤツだけど、自分なりの理屈はあった。服装自由化とかリモートワークとか、20年近く経って、ようやく時代が自分に追いついてきた(笑)」。伊藤さんは入社当時から、効率にこだわる超がつくほどの「効率人間」だと自負する。
一方、挫折も味わった。東京勤務を希望していたが、配属先は大阪だった。扱う案件も自治体の小さなものばかりだった。本当は国の事業を担当したかったが、建築出身で土木を知らなかったため大きな仕事は任せてもらえなかった。
「大阪では数百万円規模の仕事が中心だった。駅周辺の道路から公共施設への動線、渋滞対策、バリアフリーなど、交通計画を立てて道路図面を書く仕事が多かった」。
配属先の上司は放任主義だったので、新人なのに一人で役人との打ち合わせに行かされ、「なんで管理技術者、上司が来ないんだ!」「若造のお前の資料なんて信用できない!」と、メチャクチャ怒られたこともあった。
30歳で技術士(建設部門)に一発合格
その後、社命で香川県高松市に異動することになる。「どんどん東京から遠のくのか」と意気消沈した。しかし、一日も早く管理技術者として「自分で仕事をコントロールしたい」という思いから猛勉強し、30歳で技術士(建設部門)に一発合格する。会社でもかなり若い年齢で、技術士を取得した。
すると、すぐにプロポーザルで管理技術者を任された。「四国は技術士の人数が少ないから、経験がなくてもやらせてもらえた。東京だったら技術士も多いし、こんなに早く管理技術者は経験できなかった。そういう意味では四国勤務で良かった」と振り返る。
管理技術者になりたての頃は、年に10本ぐらい計画を書いて、そのうち受注できたのは5件ぐらいだったが、次第に特定率も上がるようになった。「オリエンタルコンサルタンツの過去の提案書を読み込み、先輩の技術士たちにヒアリングしまくった。全国の類似事例を勉強して、勝てるコツをつかんだ」。
しかし、ある先輩技術士からは猛烈に批判された。「技術士たるもの、自分で苦労して身につけた技術が一番大事だ」「お前に技術力はない。効率性とコミュニケーションだけでやっている」「お前のやり方は絶対に認めない」。パワハラまがいのことも言われた。
だが、伊藤さんは効率人間である。反省するフリをしつつ、内心では「納得できない」と思っていた。「オリエンタルコンサルタンツという業界トップの会社にいるのだから、その情報をフルに使い、その上をいく提案に時間をかけるべき。技術士の試験だって経験論文の書き方を学べば誰でも合格できる」。
伊藤さんは「仕事をいかに効率的にこなすか」という点については自信があった。オリエンタルコンサルタンツの経営層にも「伊藤は仕事が早い」と驚かれるほどだ。
決定的な転機 建設コンサルタントの理不尽は変えるべき
32歳、四国に勤務して4年目(入社8年目)を迎えると、伊藤さんは会社の援助を受けて、高知工科大学の社会人コースに入学する。これが決定的な転機となった。
それまで他社の技術者との接点はなかったが、大学では建設コンサルタントだけでなく、大手ゼネコン、国交省、地場ゼネコンの2世など土木関係者が集まり、彼らと土木議論を交わすことになった。東大の教授や日銀支社長、政治家なども登壇し、これからの土木のあり方や、海外から見た日本の土木業界の課題について講義を受けた。
伊藤さんは、はじめて「外」を知ることになる。
「現状を変えようとしている人たちの意見に触れて、視座が高くなっていくのを感じた。たとえば建設コンサルの実務でも、日常的に発注者の理不尽さを感じていたが、それが当然と思っていた。しかし外の世界を知ってから、それは当然ではなく、変えるべきなのだと気づいた」。
金曜日の夜に仕事を依頼され、月曜日までに提出してと言われたり、帰宅しようとしたら電話が来て、明日までに出せと命令されたり。そんなのは序の口で、承認を得た報告書まで作ったのに、完成後に担当者の上長が出てきて、ダメ出しを食らうこともあった。
しかし、海外ではゼネコンの甲乙と同様、建設コンサルタントと発注者も対等だということを知って、日本のコンサルは変わらなければいけないと悟った。「それまでは自分の目先の業務だけしか見ていなかったが、大学の2年間で業界全体を俯瞰的に見ることの重大さを痛感した」。
オリエンタルコンサルタンツの本社に異動し、未熟さを知る
大学修了後、再び大阪へ異動となる。自分で仕事は取れるし、業務もできるようになったが、ずっと現場の仕事していて良いのかと自問自答し、悶々としていた。いつの間にか、業界全体や会社全体のために何かできないかと思うようになっていたからだ。
「会社の仕組みにも違和感があるし、建設コンサルタント業界の全体的な問題についても、現場にいると情報量が少ないから分からない」。そこで伊藤さんは「東京本社に行きたい」と社長に直談判した。
社長に訴え続けた末、「そこまで言うなら来い」と言われ、34歳で東京本社の経営企画部に配属となった。「社内でも初めてのルートだったし、技術畑から外れてしまうためキャリア的な不安もあった。それでも、自分はこのまま技術だけやっていていいのか、という問題意識のほうが強かった」と振り返る。
本社に異動した後は、社長と一緒に行動する機会が増えた。土木学会や国交省などの会合に頻繁に同行した。
「地方の技術屋時代は、国交省の課長レベルと話すのがせいぜいだったが、急に国交省トップの事務次官と会ったり、京大の藤井聡先生や元国土交通省技監の大石久和先生などといった土木業界の重鎮と話したりする機会にも恵まれた。彼らは日本全体の土木を考えていて、レベルが違った。話を聞いているだけで興奮し、自分が小さく見えた」。
会社についても、自分自身の未熟さを思い知らされた。本社の経営側の思いやデータを知ることで「自分は会社のことを何も知らないで、ただ文句ばかり言っていた」と反省した。
社長からは「もっと高い視座で見ろ!常にアンテナ張っておきなさい」と言われ続け、本社で刺激を受けるうちに「会社のことも、建設コンサルタント業界のことも、自分事として考えるようになっていくのを実感した」。
前例のない「業界展望を考える若手技術者の会」(若手の会)の立ち上げ
本社に異動後、伊藤さんは社命で建設コンサルタンツ協会の総務委員会にも参加するようになっていた。
建設コンサルタンツ協会では、加盟企業の経営層たちが建設コンサルタント業界の未来について真剣に議論していた。それを見た伊藤さんは「業界の将来を担うのは若手世代。50~60代だけでなく、若手世代自らが明るい未来を思い描き、その実現に向けて今から行動すべきではないか」と危機感を覚えた。
その際、ヒントになったのが、土木学会の将来ビジョン特別小委員会だった。伊藤さんは同会にも会社を通じて所属しており、ゼネコンや国交省の若手技術者たちが集まる議論に参加した経験があった。「建設コンサルタンツ協会でも若手が集まったら、もっと建コン業界に特化した、純度の高い刺激的な団体を作れる」と思いついた。
そこで企画したのが、建設コンサルタンツ協会の内部における「業界展望を考える若手技術者の会」(通称:若手の会)の立ち上げだった。
しかし、当時(2014年4月)の建設コンサルタンツ協会には、若手のネットワークは皆無だった。そもそも若手が協会活動に参加していなかった。若手の会を設立するために、総務委員会を通じて嘆願書を提出しても「若手が集まって何の成果あるの?」「前例がないし、何がしたいの?」と拒まれた。
それでも、伊藤さんはしつこく作りたいと訴え続け、1年後(2015年4月)にようやく設立にこぎつけた。その間、ずっと一人での活動だった。
しかし、伊藤さんは「どんなに文句を言われても、協会の内部組織として設立する」ことにこだわった。なぜなら「協会のお墨付きをもらえば、協会経由で会員企業から選りすぐりの優秀な若手メンバーを集められる」と考えたからだ。
案の定、協会からメンバーの公募が出されると、全国の会員企業から若手メンバーが30名ほど集まった。「仲間集めは協会の力を使った。しかも各社のエース級ばかりを集めてもらった」。
そして2015年4月、「業界展望を考える若手技術者の会」(通称:若手の会)が正式に始動した。
「みんな、この業界を変えたいと悶々としていた。でも、その変化の一歩を踏み出させないでいただけだと分かった」。
建設コンサルタンツ協会 若手の会の活動内容
これまでの、若手の会の主な活動内容は下記の通りである。
- 建設コンサルタント協会の全国9支部すべてに若手組織を設立
- 「建コン業界の30年後ビジョン」の策定
- 「若手から業界へ10の提案と要望」を建設コンサルタント協会へ提言
- 「全国の若手技術者交流会」の開催
- 「建コンアカデミア」(経営者との座談会)の開催
- 「異業種企業勉強会」(働き方アイデアソン等)の開催
- 「土木学生とのJOBカフェ」の開催
- 「魂のメルマガ」を月2回配信
- テーマソング「MOVEMENT」の制作
- リクナビ主催「GoodAction Award 2017」を受賞
- Webサイト「Kenconnect」の制作
- オンラインサロン「建コンアップデート研究所(仮)」の運営
若手の会の立ち上げ2年後、リクナビ主催「GoodAction Award 2017」を受賞。受賞後、批判は減ってきた。
若手の会は、受け身の組織ではない。立ち上げの経緯や対外活動の多さが、それを物語っている。そして、「提言するだけで終わる組織」とも一線を画す。
「会議室にこもっているのは若手らしくないし、問題提起だけなら誰でもできる。問題を解決するために実行し、ムーブメントを起こしたい。そのためには、具体的に業界や会社を変えていくアクションをしなければいけない」。
実際、若手の会に参加するメンバーたちは、働き方の先進企業であるサイボウズなど、異業種との交流で得たメソッドを所属企業に持ち帰り、自社に変革をもたらし始めている。
- A社:リモートワーク、服装自由化、働き方の多様(選択肢を増やす)
- B社:ワークフローの電子承認化、生産性の向上(ムダの排除)
- C社:社内働き方ワーキングを設立、全社的なムーブメントに拡大
- D社:企業内若手有志組織の設立、タテ・ヨコ・ナナメの交流
2018年10〜12月には、働き方先進企業のサイボウズから働き方改革に関するサポートを受け、今年9月からはGoogleの「Grow with Google」(デジタルスキルトレーニングプログラム)のパートナーとして、生産性の高い働き方を目指す。
テーマソング「MOVEMENT」のタイトルは「業界を活性させる一大ムーブメントを興す」からとった。
日本最大の土木若手ネットワークを作りたい
「アクションなくしてリアクションなし」を標榜している若手の会の活動は、どんどん「若手」の域を超えてしまい、協会も困惑気味だ。
2019年6月、土木を学んでいる学生を集めて、建コン業界のリアルを伝えた「JOBカフェ」というイベントでは、リアルな内容を話しすぎて、後日、協会から指摘を受けた。
しかし伊藤さんは「建設コンサルタンツ協会だけに限らず、最近の土木界隈では、魅力しか伝えちゃダメみたいな暗黙の圧力みたいなものがある。でも、隠すのは無駄で、それが本質であり、本質を伝えることこそが共感を呼ぶ」と一刀両断。
今年10月には「JOBカフェ」の規模をさらに拡大し、土木学会の若手パワーアップ小委員会、ツナガルドボク、早稲田大学・日本大学の土木学生たちと共催することが決定している。
「古い考えの人たちが土木や建コン業界を支配しているのはおかしい」という伊藤さんの姿勢に共鳴する仲間は増え続けている。
「魂のメルマガ」。上層部を批判して怒られたこともあった。
若手の会は、まだ創設4年目。
抱負については「日本最大の土木若手ネットワークを作りたい」「学生に長期インターンシップを経験させ、リアルを知った上で就職できる仕組みを作りたい」「土木の魅力を発信している人と対談し、上っ面だけは違うぞと、本質のドロドロしたところを聞いてみたい」など、キリがない。
今後も建コン業界、土木業界をざわつかせてくれそうだ。
※編集部注:建設コンサルタント業界をめぐる課題やアクションについては、今後、「施工の神様」にて伊藤さんご自身が執筆予定です。
逆に考えると、この方が立ち上がらなかったら建コン業界はずっと何も変わらないままだったのかもしれないんですね。業界は違いますが、同じ若手として頑張ってほしいです。