タバコを吸う面接官に怒る
「業界を活性させる一大ムーブメントを興す」——。建設コンサルタンツ協会 若手の会を立ち上げた背景には、伊藤さん自身のキャリアが濃く関係している。
伊藤さんは日本大学理工学部 海洋建築工学科を卒業後、オリエンタルコンサルタンツに入社した。建築畑で育ったが、仕事は土木の道を選んだ。
「建築事務所に就職しても、一部のセンスある人しか成功できないイメージだったし、その土俵で勝負できる自信はなかった。かといって、ゼネコンで施工をやりたいわけでもない。就活では建設コンサルタントしか受けなかった」。
学生時代の伊藤さんは、日本各地の島々を歩き回って、漁師の家の図面を採らせてもらうなど漁村の建築について研究していた。「漁村の家や街並みは、その土地の風習や自然環境に対応してつくられていて、そんなところから、街づくりそのものへの興味が湧いた。だから就職先は建設コンサルタント一択だった」。
とはいえ、当時は就職氷河期で、内定はなかなか貰えなかった。「学歴じゃ売れないし、基礎学力もないし、筆記試験で落ちることが多かった。面接で勝負しないと合格できそうにない」と焦った。
しかし、せっかく筆記試験を通過しても、面接でタバコを吸いながら質問してくる面接官に怒り、途中で席を立ったこともあった。当然、大学の指導教授には叱られた。
そんな折、幸運にもオリエンタルコンサルタンツの入社試験は、筆記と面接が同日の実施だった。筆記試験の出来を補うべく、面接で必死に自分を売り込んだ。
「自分の信念は、現地に行くこと。現場に答えがある!」「机上の設計は本質じゃない。現地を歩き回ってきたので本質を分かっています!」というスタンスで自分を売った。ようやく内定をもらい、2001年にオリエンタルコンサルタンツへ入社した。
Tシャツ・ジーンズで、カフェで仕事して怒られる
入社後は生意気だった。
新人研修中から会社に対していろいろ意見し、同期と一緒になって企画も提案しまくった。内定者間ネットワークやメール環境の整備、全国の社員がコミュニケーションを図れるイベントの開催など、新入社員なのにおとなしくしていられなかった。
入社3年目には、全国の社員を集めてフットサル大会を主催し、約200万円の費用を会社に捻出させた。当時から人を巻き込んで行動する「癖」が伊藤さんにはあった。
勤務時間中にカフェで仕事をしていて、上司からこっぴどく怒られたこともあった。「会社にいて集中できないときは、集中するために勝手にカフェで働いていた。しかも服装はジーンズにTシャツ姿。今考えれば自分でも嫌なヤツだけど、自分なりの理屈はあった。服装自由化とかリモートワークとか、20年近く経って、ようやく時代が自分に追いついてきた(笑)」。伊藤さんは入社当時から、効率にこだわる超がつくほどの「効率人間」だと自負する。
一方、挫折も味わった。東京勤務を希望していたが、配属先は大阪だった。扱う案件も自治体の小さなものばかりだった。本当は国の事業を担当したかったが、建築出身で土木を知らなかったため大きな仕事は任せてもらえなかった。
「大阪では数百万円規模の仕事が中心だった。駅周辺の道路から公共施設への動線、渋滞対策、バリアフリーなど、交通計画を立てて道路図面を書く仕事が多かった」。
配属先の上司は放任主義だったので、新人なのに一人で役人との打ち合わせに行かされ、「なんで管理技術者、上司が来ないんだ!」「若造のお前の資料なんて信用できない!」と、メチャクチャ怒られたこともあった。
30歳で技術士(建設部門)に一発合格
その後、社命で香川県高松市に異動することになる。「どんどん東京から遠のくのか」と意気消沈した。しかし、一日も早く管理技術者として「自分で仕事をコントロールしたい」という思いから猛勉強し、30歳で技術士(建設部門)に一発合格する。会社でもかなり若い年齢で、技術士を取得した。
すると、すぐにプロポーザルで管理技術者を任された。「四国は技術士の人数が少ないから、経験がなくてもやらせてもらえた。東京だったら技術士も多いし、こんなに早く管理技術者は経験できなかった。そういう意味では四国勤務で良かった」と振り返る。
管理技術者になりたての頃は、年に10本ぐらい計画を書いて、そのうち受注できたのは5件ぐらいだったが、次第に特定率も上がるようになった。「オリエンタルコンサルタンツの過去の提案書を読み込み、先輩の技術士たちにヒアリングしまくった。全国の類似事例を勉強して、勝てるコツをつかんだ」。
しかし、ある先輩技術士からは猛烈に批判された。「技術士たるもの、自分で苦労して身につけた技術が一番大事だ」「お前に技術力はない。効率性とコミュニケーションだけでやっている」「お前のやり方は絶対に認めない」。パワハラまがいのことも言われた。
だが、伊藤さんは効率人間である。反省するフリをしつつ、内心では「納得できない」と思っていた。「オリエンタルコンサルタンツという業界トップの会社にいるのだから、その情報をフルに使い、その上をいく提案に時間をかけるべき。技術士の試験だって経験論文の書き方を学べば誰でも合格できる」。
伊藤さんは「仕事をいかに効率的にこなすか」という点については自信があった。オリエンタルコンサルタンツの経営層にも「伊藤は仕事が早い」と驚かれるほどだ。
マジで共感。自分たちの会社を実際に変え始めているというのが実に凄いと思いました。簡単そうで難しい。私も某学会に所属していますが熱意、行動力が違いますね。本当に業界全体の雰囲気を変えていってほしいです。
共感いただきありがとうございます!
会社から個へとパワーシフトしている今だからこそ、個が集合体となれば会社も変えていけるはずですね!リアルにそう実感しております!!
コンサルじゃなくても若手の会は参加できるのでしょうか?
若手の会は建コン企業限定だけど、別途無理オンラインサロンの建コンアップデート研究所を立ち上げています。
ぜひ、申し込みください!!
逆に考えると、この方が立ち上がらなかったら建コン業界はずっと何も変わらないままだったのかもしれないんですね。
業界は違いますが、同じ若手として頑張ってほしいです。
タイミングがよかったのです。
会社から個へパワーシフトしている中、業界も会社も無視できないんです。
これからもっと加速するはずです!!
チャらそうに見えてめちゃくちゃ頭いいタイプの人だな
チャラそうですよねー笑笑。
今の会社で服装自由化したからですよ!
頭いいというか、一歩踏み出すことにこだわってるだけですよー!!
魅力しか伝えちゃダメみたいな暗黙の圧力
↑
凄く分かります。
どことは言いませんけど、きれいごとばかりですよね。
ぜひ上っ面の人たちの鼻っぱしをひんまげてやってください。
活動に注視していきたいと思います。
ありがとうございます!
いくら闇を隠そうと思ってもムダですよね。というか、光だけの世界なんてなくて闇があるから光が映えるはず。
光と闇のリアルを感じ取ってもらうことこそが共感を呼ぶのだと信じています!!
出過ぎだ杭、出過ぎたら斬られるのよね〰️笑笑
だよねー笑
私もどこかで斬られるかもです笑笑
大体のそうゆう人は現場内の事なんて知らずに口達者が多いけど分かってんの??って言いたい。
わからんだろーけどね笑
一人で何かを成せるわけはなく、同じ熱量持った仲間と一緒にアクションしてますー!!
口だけの無能がでしゃばる業界、建設コンサルwww。
リクナビに表彰されたら批判が減ったは笑った
手のひら返した人も多そう
対外的に評価されることはインパクトありますね!特に閉鎖的な業界ではその効果は大きい。
まさにブランディング効果です!!
日建連をどうにかしてほしい。業界団体もおかしい。大手中心主義はやめてほしい。大手を支えているのは誰なのか現実を知ってほしい。この業界に長くいるほどおかしい事に慣れていく。他業種へ転職するしかない。どうにかしたい。問題はどこにあるのか。
ゼネコン若手より、建コン若手の方が現状に危機感を持ってますね。やはり業界規模、業界体力が圧倒的に違いますから、余力があるんだと。あと、ゼネコンは業績良いから今のままで生き延びられると思っている人が多いのではないですかね?たぶん。でも、業界、会社が変わらないと嘆いても時間がもったいないだけなのでいかに自分をアップデートするかを考えた方が得策の気がします!!
業界団体がおかしいと思うなら、新しい業界団体を作ってもいいかもしれませんね。
結局規模の大きい団体が少ないから、競争にならなくておかしくても変わらないと言う。
複数団体が切磋琢磨するのが理想的な状態かなと。
自分の会社のビックデーターを活用している点に強く共感いたしました。私は震災で建築・プラントから土木施工管理に転職しました。転職して土木は無理・無駄・ムラがほかの多業種に比べて多いような気がします。
クリティカルシンキングとは無縁ですし、何よりも日本人の生命・財産守る仕事ですから。もっと現場出て工事報告書ぐらい当日に出来ない人間が多いような気がします。
もっとかき回してほしいですね応援しとる
古臭い業界こそスクラップアンドビルドすべき
個人的な思いは、これまでのものを大切にしつつ最新のものに更新する=アップデートしたい。
大石久和先生が提唱されている国土学の思想に立脚しております!!
昨今の建設コンサルタント業界が変わりつつあるのは感じていますが、業界外から来た身としては、地方ほど業界の習わしが残っているようにも感じますし、社外の人(発注者以外)と会う機会が少なく、社内ルールに囚われている若手も多いように感じます。
そうした現状を打破できるよう頑張っていきましょう!
今は気になることは、外国人技術者と海外における建設コンサルタント業です。
中国地方の30代技術者
>上司は放任主義だったので、新人なのに一人で役人との打ち合わせに行かされ
生意気なので放置されたんでしょう
邪魔されて潰されないだけラッキーだったですね ^ ^