ドイル恵美さん・京都大学経営管理大学院国際メガ・インフラマネジメント政策講座特定講師(工学博士)

ドイル恵美さん・京都大学経営管理大学院国際メガ・インフラマネジメント政策講座特定講師(工学博士)

JICAの海外インフラ支援で培った、ドイル恵美さんの”しなやか”な生き方とは?

元JICA技術者のユニークな生き様

ドイル恵美さんという女性がいる。

大学卒業後、ゼネコンに就職したが、「海外に行きたい」の一念から、青年海外協力隊に参加。単身ラオスに渡る。以降、JICA(国際協力機構)のインフラ企画調査員として、約15年間にわたり、アジア各国のインフラ開発プロジェクトに関わった。

帰国後は、京都大学の小林潔司教授(現京都大学名誉教授/京都大学経営管理大学院特任教授)に師事し、博士号(工学)を取得。現在は、京都大学の経営管理大学院で特定講師として、海外インフラ輸出にかかる調査研究に従事している。工学系の女性技術者としては、ユニークなキャリアパスの持ち主だ。

プライベートでは、アメリカ人の夫と結婚。一児の母という顔も持つ。女性としての生き様、技術者としてのキャリアアップなどについて、話を聞いてきた。


インフラ技術の海外輸出の調査研究に従事

――現在はどのようなお仕事をしているのですか?

ドイル恵美さん 2019年4月から、京都大学経営管理大学院の国際メガ・インフラアセットマネジメント政策寄附講座で特定講師として働いています。

この講座では、「我が国のインフラ・マネジメント技術の継承・発展のための実践的研究」をテーマに、日本のインフラ技術を海外に輸出するときに、どういう手法が良いかとか、どういう人材を育てたら良いかなどを調査研究しています。ほかには、京都市内にある女子大学で「構造力学」、京都大学では「プロジェクトマネジメント」の講義を行っています。

その前は、2014年から経営管理大学院経営管理センターの特定研究員として、博士課程と並行して、仕事をしていました。そのときは、内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」という枠組みのもと、橋梁のアセットマネジメントに関する調査研究に従事していました。工学博士を取得したのは2018年です。6年かかりました(笑)。

国際協力は「毎日がアドベンチャー」

――建設、建築の世界にどのようなカタチで入ったのですか?

ドイル恵美さん 私は奈良出身で、大阪工業大学の建築学科で地震工学を学びました。その後、大阪の株式会社藤木工務店というゼネコンに就職し、構造設計の仕事をしていましたが、入社4年目の時に辞職して青年海外協力隊として、地震工学を教えるため、2年半ほどラオスの大学に派遣されました。小さいころから「海外に行きたい」という強い思いがあったからです。

当初は「地震工学を教えてほしい」と言われたのですが、当時、現地にはコンクリート基準すらなかったので、まずは「基本のコンクリートづくりでしょ」ということで、暑中コンクリートの実験を行いながら、地震工学も教えていました。

――教えるのは英語で?

ドイル恵美さん それがラオス語だったんです(笑)。ラオスに行く前に3ヶ月間ぐらいラオス語のトレーニングを受けたのですが、それだけでは専門的な会話はできません。実際には、英語を使って教えていました。幸運にも、学校の先生や生徒は、一部英語ができたので、かれらが通訳してくれました。

実際に発展途上国に行ってみると、日本より肌に合っていて、とても楽しかったのを覚えています。「毎日がアドベンチャー」みたいな感じで(笑)。

――「肌に合う」とは?

ドイル恵美さん 日本だと「みんなに合わせなきゃ」という「ワク」みたいなものがあったのですが、「外国人でいる」ということは、そういう文化風習に縛りがなく、自分らしく、自由に振る舞うことができました。もちろん、その国の文化風習を尊重はしますが、空気を読まなくてよいのです。

そして、基本ボランティアなので、自分が「こうしたい」と思うこと、提案することは、ドンドン受け入れてもらえました。当時のJICAには研究費というのがあって、それを支援していただき、コンクリートの研究プロジェクトを実施することができました。青年海外協力隊は、心が強くなるので若い人にはオススメです。うまくいかないことの連続なので、逆境に強くなれます(笑)。

日本の場合、工期までにきっちり仕事するのが普通です。海外では、工期の直前なのに、なにもしていないということがちょくちょくあります。私自身「大丈夫なの?」と何度もヤキモキしたことがありますが、最終的には、なぜか工期に間に合うんです(笑)。現地の人の「底力がスゴイな」と不思議でした。もちろん、本当に工期に間に合わなかったこともありましたけど(笑)。


修士号取得のため、アジア工科大学に入学

――青年海外協力隊で国際協力の面白さに目覚めたわけですね。

ドイル恵美さん そうです。ただ、青年海外協力隊はあくまでボランティアだったので、物足りないところがありました。もっと責任のある、大きな仕事がしたかったので、JICAで専門家として働きたいと考えるようになりました。

ところが、そのころは学士しか持っていませんでした。JICAで働くためには、最低限、修士号が必要になります。それで、タイにあるアジア工科大学の修士課程に入りました。クラスメイトは多国籍で10カ国ぐらいいたでしょうか。全寮制で、毎晩夜中まで図書館で一緒に勉強をしたり、グループ課題に取り組んでいました。とても楽しかったですし、各国に散らばった今も強い友情で繋がっています。そこで、交渉力も鍛えられましたね。

修士課程修了前に、JICAの経済基盤開発企画調査員として任用されました。ちょうどJICAとJBIC(国際協力銀行)の統合の時期で、インフラ関係の仕事が一気に増えた頃でした。工学系かつ英語で交渉可能な女性は、当時JICAには少なかったからでしょうか、運よくポストを得ることができました。

アジア工科大学卒業式に出席したドイル恵美さん(右から3人目)

――海外で大変だった思い出はありますか?

ドイル恵美さん 幸せの国ブータンの後、インドに赴任したときの話です。着任して数日後に、現地技術者10名が日本に来ることになっていたのですが、出発直前になって、大臣が「日本には行かせない」と言い出したのです。ビザの関係で日本大使館にお願いにいったり、大臣に直談判しに行きました。

結果的には、出発の2時間前になってOKが出て、無事日本には来たのですが、このときは本当に眠れないほどドキドキしましたね(笑)。ただ、こういう大変な事態になればなるほど、脳にアドレナリンが出るんです。いろいろな対策を考えて、それがうまくいったときの快感は例えようがないです。強いて言えば、「ゲームみたいな感覚」ですかね(笑)。

建設の世界は、海外も男社会

――京都大学の博士課程に進んだ理由は?

ドイル恵美さん 建設の世界は、日本に限らず、男社会です。年配の方も多いので、女性だとなかなか「戦えない」のです。海外でも、交渉の場に出たときに「お前、女なんだから黙っていろよ」みたいな雰囲気は必ずあるんです。名前を呼ばれるときも「Miss」、「お嬢さん」って感じですね。この歳でも(笑)。

ブータンにいたとき、博士号をお持ちの女性技術者の方とご一緒する機会がありました。彼女は現地政府の高官だったのですが、周りの男性の対応が明らかに違っていたんです。名前を呼ぶときも、ちゃんと「Dr.」を付けていました。

無償資金協力によって架替えられたブータンの橋梁。現地関係者にジョイントの清掃を支持するドイル恵美さん。

「やっぱり博士号がないと、対等に付き合えないかな」と思い、一念発起して京都大学の博士課程に入学しました。博士課程ではコンストラクション・マネジメントを研究したかったので、日本で第一人者である小林潔司先生がいる京都大学を選び、結果的にはアカウンタビリティ論で博士号を取りました。


子供ができた後、国連を辞めて専業主夫になった夫

――ご結婚はいつ?

ドイル恵美さん 主人とは、ラオスで出会いました。彼はアメリカ人で、当時国連職員でした。知り合ってからしばらくして、彼が、アメリカ政府の要員として、東ティモールで働くことになり、彼に付いていきました(笑)。東ティモールではずっとテント生活でツラくって、「責任取って」と迫り、その後、結婚しました(笑)。

子どもができる前は、タイとブータンの遠距離結婚をしていましたが、子どもができた後、夫婦で協議し、主人は国連を辞め、ブータン赴任に同行してくれました。そのとき、主人は「僕にはキャリアがあるけど、君にはキャリアがないから、今は自分のキャリアを大事にしなさい」と言われて、「素晴らしい人と結婚した」と思ったのですが、それから12年間ずっと専業主夫で、私の赴任先に付いてきています。あれは、彼の作戦だったのかもしれません(笑)。

――お子さんは?

ドイル恵美さん 今年13歳になる娘がいます。物心ついた時から、「母が外で働き、父が家で」という環境だったこと、また、途上国育ちなので「女は外で働くもの」というのが、自然に身についてますね。

インド駐在だったとき、休暇でプロジェクト近くの都市に行くことがあり、宿泊先のそばにサイト(浄水施設)があったので、娘を連れて視察した思い出があります。娘は「JICAで働くママは、カッコ良かった」と今でも言っています(笑)。

インドの浄水施設を視察する娘さん(中央下)

「海外、特に途上国の子育ては大変では?」とよく言われましたが、健康・安全さえ気をつけていれば、とても楽です。日本に帰国して6年ほど経ちますが、娘はすでに強靭な体力と精神力を身につけており、インフルや風邪で学校を休んだことは一度もありません。どこでも友達をすぐに作り、楽しく生きていける強い子に成長しています。

海外赴任は、女性技術者にもオススメ

――また海外に行きたいとは思いませんか?

ドイル恵美さん 最近は、あまり思わないですね。以前は「昔のようにプロジェクトを立ち上げたい。日本では、やりたいことができない」と考えていましたが、今は「日本にいても、やりたいことができるんじゃないか」と考えるようになっています。これから海外に行こうとしている会社をサポートするとか。これからの若い人材を育てるとか。

最近は中国のインフラ輸出の勢いが強く、日本企業はなかなか海外で仕事を取れない状況にあります。そこをどう支援するかに興味があります。JICAという立場ではなく、同じ技術者仲間としてサポートしたいと考えているところです。

日本企業は、いろいろなリスクがあるので、海外に出たがらないところがあります。インフラ輸出を提唱している日本政府と足並みが揃わないこともあります。一方で、実際にインフラをつくったことがない技術者は年々増えています。

私としては、若い技術者がどんどん海外に出て行って、モノをつくる経験を積んでもらうと良いと考えています。メンテナンスの仕事だけだと、やはり、技術者はワクワクしませんよね。モノづくりの経験は、必ずメンテナンスにも必要だと思います。

海外赴任は、女性技術者にもオススメです。発展途上国の場合、お手伝いさんや、調理師さん、ベビーシッターさんを安価で雇えるからです。家事・子育てはすべて任せられるので、日本のお母さんに比べて余暇は意外とあるんですよ(笑)。運転手さんも付くので、渋滞中でも、車の中で仕事をしたりできますし、平日は、仕事と家族と過ごす時間以外は何もしなくて良いのです。

週末も、洗濯・掃除なしで、子供と遊びに行ったり、一人でマッサージに行ったり、お買い物に行ったりできました。子供預けて、夫婦で旅行とかもよく行きましたね。日本では、金銭的にも難しいので、女性の技術者の方には一度経験して欲しいですね(笑)。

今、私は通勤時間に、「今日の晩御飯どうしよう」と考えるのがつらいんです。家に帰っても、洗濯や掃除が待っている。週末も、マッサージに行く自分の時間なんてないので、そんな時は「また海外赴任したいなぁ」と思うときはあります(笑)。


貧しい国では、インフラは社会や経済活動の前提条件

――ドイル恵美さんにとって、インフラとはどのようなものですか?

ドイル恵美さん インフラとは、経済・社会活動の前提条件でしょうか。最近は書類仕事が多いので、時々自分が何を目指しているのか見失う時も多いですが、たまに現場に行くと、やはり楽しいですね。

途上国の場合、水道のプロジェクトなんかで、水道水が出て子どもたちが喜んでいる姿を見ると「頑張って良かったな」と実感することができます。日本だと水道はあって当たり前なので、そういう姿を見ることはまずできませんが、やはり現場の緊張感は好きです。

修士課程では、「貧困と農村道路」について研究しました。貧しい人は、新しく道路ができたとしても、自動車を持っていないので、直接的に大きな恩恵を受けるわけではありません。

ただ、それまで山道を歩いて学校に通っていた子どもにとっては、より楽に学校に歩いて行けるようになり、村にトラックがやってきて、多くの農作物を売ることができるようになります。

特に貧しい国では、インフラはアクセシビリティという点で社会や経済活動の前提条件になると考えています。行き過ぎたインフラ開発は環境問題を引き起こしますが、基礎インフラはどんな国にとっても必要不可欠なものだと考えています。

日本は、すでにインフラが整っているので、誰もありがたみを感じなくなっているのかもしれませんね。

男だから女だからではなく、個々の特性を活かした生き方を

――建設業界で働く女性に対して、メッセージを。

ドイル恵美さん 日本は、建設業界に限らず、「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」という「べき論」が強いところがあります。日本では「旦那さんが働かないで、大丈夫ですか?」と言われることがありますが、私は外で働くのが好きで、主人は専業主夫が向いていて、そのほうがうまくいくので、そうしているんです。「男だから女だから」ではなく、得意なほうがすれば良いと考えています。

私は「国際化」という言葉は正直好きではありませんが、「多様化」という言葉は好きです。男女という枠組みにとらわれず、個々の特性を活かした生き方、働き方というものにもっとフォーカスすれば、「日本社会はもっと伸びていくのにな」と感じています。

建築や土木をやっていると、3次元でモノを考えられるようになります。これは、人生でも絶対に使えるスキルですね。建設業界で働く女性には、いろいろな障害があると思いますが、常にその3次元の可視化を活用しながら、しなやかに乗り越えていってほしいと思っています。

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