同じ現場に15年間居続けた
――大成建設に入った理由は?
村上さん もともと「ものをつくる」「フィールドワーク」に興味があって、ゼネコンに就職したいと考えていました。会社のイメージが良かったし、いろいろな人から「風通しの良い会社だよ」と聞いていたので、大成建設に1996年に入社しました。
――最初の仕事は?
村上さん 最初の現場は、四国の愛媛で地下駐車場の現場に配属になりました。工事が完成するまでの約3年間従事しました。その現場では道路と路面電車の真下を掘って駐車場をつくりました。
最初はわからないことばかりで、見るものすべてが新鮮でした。「ものをつくりたい」と思って入社したわけですが、「ものをつくるのはラクじゃない」と実感しました。非常に良い経験をさせていただきました。
――その後はどのような現場を?
村上さん その後は約2年のあいだ、四国で道路整備や公園整備などの工事を担当しました。その後に東京に異動になって、都内私鉄の連続立体交差事業を担当しました。鉄道を地下に通す工事でした。この現場は最初から最後まで15年ほどいました。「気づけば15年経っていた」という感じでした。これほど長期で同じ現場にいるのは珍しいと思います。
難易度の非常に高い工事ではありましたが現場の雰囲気が大変良くて、自分としては恵まれた環境でしたね。主任として現場に赴任して、最後は所長を担当させていただきました。この現場のことは全部わかります。
――15年間は長いですね。
村上さん そうですね。そして、今の京王線の連続立体交差事業の現場に来ました。こちらは鉄道を高架にする工事になります。
――同じ連続立体交差事業でも、地下化と高架化とでは工事内容がずいぶん違うと思われますが。
村上さん それはもちろん違いますが、どちらも「自然との闘い」という意味では同じです。地下の仕事は「土や地下水との闘い」がありますが、地上の仕事は「雨や風との闘い」があります。
現場から逃げるのではなく、なにができるかを考える
――これまでの仕事で嬉しかったことは?
村上さん 嬉しかったことは、自分か携わった工事の完成形が見られたことです。利用者から「こんなにキレイに変わったんだね」などの声を聞くのも嬉しいですね。
――大変だったことは?
村上さん どんな現場でも大変だと思いますが、以前の連続立体交差事業は、近隣にお住いの方々への対応も非常に神経を使いましたね。色々なご指摘などをいただき、対応に追われることも多々ありました。騒音、振動の問題で、工事が途中で止まったこともありました。また、狭い道路を工事車両が往来するので交通トラブルが無いように様々な注意を払いました。
「大変な現場だから」といって逃げても、他にラクな現場なんかありません。その現場で自分になにができるかを考えることが大切だと思います。
――住民からおホメの言葉はあったのですか?
村上さん 工事が終わるころには、たくさんの感謝の言葉をいただきました。結果的には、15年間大きな事故もなく工事を終えることができました。優秀な作業員やガードマンなどのメンバーがいたおかげです。そのときのメンバーは、今の現場でも一緒に働いています。
――都市土木と田舎の土木は違いますか?
村上さん 現場で対応すべき内容はそれぞれ多少なり異なりますが、ものづくりという意味では同じだと思います。山の現場だから、まちなかに比べて神経を使わないということはないと思います。
山の現場にいたとき、周りにお店がなくて、困ったことはありましたが。まちなかと田舎にはそれぞれの難しさ、大変さがあると思っています。
場合によっては逃げていいと思います。メンタル弱い人も居ます。
まあ、逃げると、無職になったり左遷になったりしますからね。
難しいところです。
理不尽なことに耐えられなくなったら当然逃げて良いと思います。一生残る病気や怪我なんかしても誰も責任なんか取らないですしね。
まぁ優秀なのはアンタやなくて職人さん方やけどな。