「責任を負いたくない」は、みんな一緒
ここ数年、赴任する多くの現場で必ず見かけることがある。それは、「指示待ちだったり指示したことしかやらないやつばっかりだ」と非難する上司の姿だ。
上司は最大限の指示をしているようだが、部下は最低限のことしかやらない。
「これどういうことなんでしょうか」などと部下が質問すると、「そんなの考えればわかるだろ!」とか「言われなきゃわからねーのか!」といった言葉が上司から発せられる。面白いくらいみんな口を揃えて同じことを言っている。
上司からすれば、忙しい中で多くの時間を部下に割けないという事情は理解できる。やるべきことはたくさんあるし、工期や予算と常ににらみ合いだし、プレッシャーもある。
一方で、下を育て上げたいという気持ちはあるけれど、思うようにやれないもどかしさも抱えている。そんな中で日々を過ごしているので、イライラすることも多いのかもしれない。
部下はどうかというと、これまた指示されたことのみやればいいと思っている。
仮に、自分の考えを盛り込もうと上司に提案すると「余計なことすんな!」とか「言われたことをやっていればいいんだ!」などと言われる。なので、指示されたことだけをやればいいという思考になりがちだ。
なぜこんなことになるのか。それは「責任を負いたくない」からだ。
上司の立場でいえば、自分の指示によって間違えた結果になることは最も恐れること。だから曖昧な指示をして、細かなことは部下自身で考えてもらう。そうすれば責任を逃れることはできるし、間違えた当人に責任を負ってもらうことだって可能だ。
一方、部下はできる限り指示してもらいたいと思っていて、それ以上のことをやるつもりはない。
もっと良い方法があったり問題が起きそうだと判明しても、それは見てみぬふりをする。上にあげようものなら「余計なことするな!」とか「自分で考えてから報告しろよ!」などと言われて終わるに違いない、と考えているからだ。
こちらもまた、責任を放棄しているといえる。
“変わるべきは上(自分)から” が鉄則
上司からしたら、なんでわかってくれないのか、となるのかもしれない。
しかし「変わるべきは上から」である。時間はかかるがこれが鉄則だ。下を変えようとしたところで、徒労に終わるのが関の山である。
指示が伝わらないとか細かく言わないとわからないのなら、できるだけ細部まで教えてあげることだ。
そもそも、それは上の人の責務でもある。「手順書みたらわかるだろ!」とか「この基準書に出てるから読んでおけよ!」ではなく、まずは一度しっかりと教えるべきだ。
手順書のどこに出ているのか、それはどんな意味があるのか。どの基準書のどのページを見ればいいのか、を可能な限り細かく教えることだ。
それをやらず、ただただ自分の言いたいように伝えたところで人には伝わらない。自分だけがわかる言葉で言うのではなく、部下にも理解してもらえる言葉を使うくらいの気遣いは必要ではないだろうか。
一方で、上司は部下からの報告に対して「もっとわかりやすく説明しろ」と言っていて、お笑いネタか、とツッコミを入れたくなる。ほぼすべての現場で共通してみられる光景だ。思わず「またか」と思ってしまう。
上司は、「もっと自分で考えて動いてほしい」とか「自分から提案してくるくらいじゃなきゃだめだ」と部下に言うが、それは裏を返せば「自分が動きたくない」とか「自分には案は無い」と遠回しに言っているようなものだ。
「自分で動け!」と言うのなら、「こういうふうに動いてみたらどう?」とか「こんな案もあるけど、ほかに案が出そうか考えてみてくれる?」というふうに動くのはどうだろうか。自分に責任をもたせる良い機会にもなりうる。