トンネル屋として四半世紀に上るキャリア
――ところで、水畑さんはトンネル現場が長いのですか?
水畑さん そうですね。熊谷組に入社してからだいたい3分の2の期間がトンネルの現場です。私は今年(取材時は2022年12月)で定年なので、38年中25年ほどトンネル工事に携わっています。来年以降は、シニア社員として仕事は続けますが。
――トンネルをやりたいということで、熊谷組に入社したのですか?
水畑さん いえ、とくにありませんでしたが、最初に配属された現場がたまたまトンネルだったんです。それ以降、トンネルの現場が続いたということです。道路トンネルばかりで、放水路トンネルは今回が初めてです。
――最初にトンネルの現場に入ってどう思いましたか?
水畑さん 最初の現場は、NATM工法などではなく、矢板工法でした。その後はずっとNATM工法をやってきました。当時は日曜日以外はずっと仕事でした。最初のころは、毎日測量ばかりしていましたが、べつに苦にはならなかったです。貫通にも立ち会えました。出会い貫通ではありませんでしたが。
――全国飛び回ってきたのですか?
水畑さん そうでもありません。東は岐阜、西は大分までです。
みんなが同じ方向を向いて、仕事ができるようにする
――初めての出合い貫通はどちらでしたか?
水畑さん 東九州道のトンネルでした。全延長2,800mほどのトンネルで、当社の区間が1,600mぐらいでした。それまで現場は、片押しの現場ばかりでした。
――監理技術者として入った現場はどちらでしたか?
水畑さん 広島の都市高速1号線のトンネル現場でした。2本のトンネルを掘っていく現場でした。当時35才でしたが、最初はなにをしたら良いのかわかりませんでした。いろいろな人に教えてもらいながら、なんとか仕事をこなしました。
――現場を司る上で、気をつけたことはなんですか?
水畑さん しっかり打ち合わせをして、みんなが同じ方向を向いて、仕事ができるようにするということですね。とくに東九州道の現場の場合、全国いろいろな支店から人が集まっていたので、知らない者同士で仕事をするようなところがありました。この現場ではコミュニケーションの大切さを痛感しました。日下川作業所でもコミュニケーションを大切にしています。
――現場を転々とする生活はどうですか?
水畑さん 私自身は楽しく過ごしましたが、家族には迷惑をかけたと思っていますね(笑)。私の家は岡山にあるのですが、子どもの参観日にも卒業式にも行ったことがないですし。連休をとって、月一ペースで帰省してはいたのですが、家族と過ごす時間としては短いものでした。
熊谷組の魅力は「家族的な雰囲気」
――トンネル工事の魅力はなんでしょうか?
水畑さん いろいろ対策しながら、シンドイ思いをして掘っていった結果、やっと貫通を迎えたときに得られる感触ですかね。これはなかなか忘れがたいものがあります。
――熊谷組という会社の魅力はいかがですか?
水畑さん なんでも相談できる「家族的な雰囲気」があるのが魅力だと思っています。勤務先や現場などに関する希望も聞いてくれます。
――大ベテランとして、若い人に向けてメッセージをお願いします。
水畑さん ゼネコンの仕事は、自分たちがつくったモノが残っていく仕事です。この現場に限らず、実際に動いている現場を見てほしいと思っています。
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社員に対しては、「自分たちで考えてやりなさい」と言っています。「聞いてくるな」 という文がありますが記事い出てくるようなしっかりした体制では良いと思うのですが…。
会社や体制がしっかりしていないとどうなんでしょう?
自分の今いる現場の所長さんは上記の様な事を言われて非常に苦しんでいましたね。
工期が迫っている場合は失敗が許されないでしょうし、失敗するならうまく失敗しろという理論なんでしょうか?
中小だと一個の失敗が致命的になる場合もありませんか?
自分は40代ですが正直なところ失敗させて覚えてもらうが出来る企業は少なくなってませんか?
記事にもでていますがDXでシュミレーション等行い失敗を最小限にできるような環境ばっかりになれば良いですね!