【土佐国シリーズ#2】計画課長・合谷 龍馬さん
土佐国(土佐国道事務所)シリーズ第2弾は、計画課長の合谷龍馬さんだ。高知県は、「坂本龍馬」以外、対外的にアピールするネタがないことは周知の事実だが、「龍馬」の名を持つ国交省キャリアが土佐国にいるのも事実だ。
縁というものを越えて、なにか人為的なものすら感じる。そんな龍馬さんに国交省でのやりがい、魅力などについて話を聞いてきた。
「琵琶湖疏水」を洗脳されて、国交省入り
――国土交通省に入った理由はなんだったのですか?
龍馬さん 大学では土木を学びましたが、それを初めに選んだ理由はとくになく、なんとなくです。大学の講義で、琵琶湖疏水について学ぶ機会があり、それで土木を志しました。
それまで、京都のまちについては、「観光客相手の商売のまち」であまり苦労せずに賑わっているというイメージがあったのですが、明治維新で都が東京に移った際、一旦衰退したところを、琵琶湖疏水によって盛り返したということを知りました。1、2回生の講義の中でこのような「これが土木の力だ」という話が良く出てきて、3回生に上がるときにはすっかり「土木に関わりたい」と思うようになっていましたね(笑)。
土木をやるなら、ゼネコンでも国土交通省でも良かったんですが、「全体が見える」と思い、国土交通省を選びました。受験したときに一番興味があったのは港湾でした。日本の輸出入の大部分が海運で行われているので、「港湾が良くなれば日本が良くなる」みたいな考えを持っていたからです。
そのころは、旧建設省系と旧運輸省系と両方受験できたので、それぞれ官庁訪問に行きました。旧建設省系の面接の際、「ウチらは直轄を持っているので、いろいろできるよ」と言われ「それはそうだな」と思いました。それで素直に旧建設省系に行くことにしたわけです。
最初の配属先が土佐国
――今のお仕事は?
龍馬さん 土佐国では高規格道路の「8の字ネットワーク」である高知東部自動車道の整備を進めていますが、私は、それ以外の改築事業の調査を担当しているほか、渋滞対策などのソフト政策なども担当しています。今動いている事業としては、越知道路や高知西バイパスがあります。その間の伊野〜越知区間は、昨年7月に事業を始めるための計画段階評価を始めました。そういった業務を行っています。
――これまでどういうお仕事を?
龍馬さん 2014年に入省して、最初の配属先は土佐国でした。しかも、今と同じ計画課でした。
――名前で配属先を決めたんですかね?(笑)
龍馬さん 私もそう思っています(笑)。
オリパラ事務局で首都高値上げなどを画策
――最初の土佐国のあとは?
龍馬さん 計画課は、調査とかフンワリした仕事ばっかりだったので、「次は現場をやりたいです」と希望を出したら、2年目は、徳島河川国道事務所の工務第2課になりました。そのあと、同じ事務所の地域連携課に半年ほどいて、河川の仕事をやりました。
その後は、本省に戻って、水管理・国土保全局の海岸室というところに企画係長として2年ほどいました。全国の自治体に津波の浸水想定をつくるよう指導する仕事などをしていました。「津波対策は海岸室だろ」と思われますが、海岸だけ頑張ってもどうにもなりません。まちづくりとか道路の盛土とかを「横ぐし」として一緒にできないかということで、都市局とかいろいろなところと連携して、「津波対策チームをつくろうよ」みたいなことをやっていました。
その後、内閣官房のオリンピック・パラリンピック推進事務局(オリパラ事務局)に行きました。オリンピック・パラリンピック(オリパラ)を進める組織は、東京都、オリパラ組織委員会、オリパラ事務局の3者が中心で、そのうち、国の立場で関わらせていただきました。いろんなことをやりましたが、その一つとして、開催中は、「道路がスゴく混むだろう」ということで、渋滞対策を担当していました。
――首都高の値上げとか?
龍馬さん まさにそれをやっていました。その前提として、全体の交通量を減らさなければいけないということで、「交通需要マネジメント(TDM)」をやっていました。TDMをざっくり言うと、トラック業界とか個人とか、いろいろな方面に働きかけて、車の利用を減らしてもらう取り組みです。いろいろな省庁とか経済団体とかと一緒にやっていました。鉄道、駅周辺のユニバーサルデザイン化にも関わらせていただきました。普通だと10年くらいかかるようなことを、関東の鉄道事業者さんが「オリパラまでにやる」ということで、かなり早く整備が進んだと思います。
一応、国土交通省の代表として在籍していたので、道路だけでなく、空港とか国土交通省が所管するすべての仕事に関わりました。「国土交通省の仕事って、こんなに幅広いんだ」と思いました。外に出て、視野が広がったので、良かったです。
――かなりやりがいがあった感じですか?
龍馬さん そうですね、いろいろな刺激がありました。同期の人間と比べても、かなり特殊なところで仕事ができました。ただ、その分、本省で道路とか河川を経験していないので、今いろいろ苦労しているんですけど(笑)。