自分の正体は永遠の謎?
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『トータル・リコール』は、1990年のアメリカ映画です。地球で暮らすクエイドは建設労働者で、妻のローリー(シャロン・ストーン)と2人暮らし。彼は毎夜、行ったことが無い火星の植民地の夢に悩まされていました。
クエイドは列車内で「旅行の記憶を売る」というリコール社の広告を見つけて「秘密諜報員として火星を旅する」という記憶を購入します。しかし、クエイドの正体は本物の秘密諜報員であり、建設労働者の方がフェイクの記憶で、愛妻は敵チームの監視役でした……。原作はフィリップ・K・ディックのSF短編小説『追憶売ります』です。
同じくディックのSF長編小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化したのが、1982年の『ブレードランナー』です。21世紀初頭、人類はレプリカントと呼ばれる人造人間を発明し、奴隷労働を強制していました。
しかし、製造から数年経つと感情が芽生え、人間に反乱します。脱走して人間社会に紛れ込もうとするレプリカントを抹殺する任務を負うのがハリソン・フォードが演じるデッカードです。デッカードが出会った美しい女性・レイチェル(ショーン・ヤング)は自分を人間だと思っていましたがレプリカントでした。人間だと思っていた自分の記憶が作られたものだと知り、自己認識が揺さぶられ、レイチェルは涙にくれます。そんな彼女から「私のことも抹殺するの?」と問われて、彼女に恋していたデッカードは苦悩します……。
被告人Xが知らなかった自分の正体
有限会社dの代表取締役Xは、刑事罰に問われるまで自分の身分を知りませんでした。経緯は以下です。
- Xは平成29年4月3日から平成30年6月21日までの間、国土交通省近畿地方整備局a事務所が発注したbトンネル工事に関して、管理技術者と連携し、担当技術者として業務履行状況の把握等の職務に従事していました。
- 株式会社cが受注したbトンネル工事の作業所所長兼監理技術者であるYについて、Xは、X自身が代表取締役を務める有限会社dを派遣元、株式会社cを派遣先とする労働者派遣契約を締結するように求めました。
- Xは派遣代金として株式会社cから有限会社dの口座に366万2,793円を振り込ませました。
- XはYに対して支払給与として253万2,196円を支払いました。
- Xは差額合計113万597円を収受しました。
Xにとってこの113万597円は労働者派遣契約のマージンという認識でした。しかし、Xは「みなし公務員として自己の職務に関して利益を受けた収賄にあたる」として刑法197条違反に問われました。
自分自身でも分かりにくい「みなし公務員」
みなし公務員は、公務員ではないが、職務の内容が公務に準ずる公益性および公共性を有しており、法律によって公務員と「みなされる」存在です。公務員と同様に、刑法上の収賄罪や職権濫用罪等の適用対象となります。
刑法第197条(収賄、受託収賄及び事前収賄)
公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の拘禁刑に処する。
公共サービス改革法第25条
(略)
2 前条の公共サービスに従事する者は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。
みなし公務員には、分かりやすい人と、そうでない人がいます。一例をあげてみます。
◎分かりやすいみなし公務員
- 国立大学法人の職員
- 日本郵便の職員
- 日本銀行の職員
- 日本年金機構の役職員
- 石炭鉱業年金基金の役職員
◎ちょっと分かりにくいみなし公務員
- 風俗営業の営業所の調査業務に従事する都道府県風俗環境浄化協会の役職員
- 軽自動車検査協会の役職員
- 指定居宅介護支援事業者等若しくはその職員又は介護支援専門員
- 地方競馬全国協会の運営委員会の委員、役員及び職員
- 日本中央競馬会(JRA)の調教師・騎手・競走馬の飼養・調教補助者
みなし公務員に対して飲食やゴルフなど、接待や贈り物をして贈賄の罪に問われる民間企業の社員が後を絶たないと言われています。取引相手がみなし公務員であるかないかは把握しておく必要があるようです。
そして、もっと把握しておくべきなのは、自分がみなし公務員であるかないかのようです。
「自身がみなし公務員であることを知らなかった」と主張
被告人Xは株式会社e社を通して担当技術者としての業務を受注していました。e社は毎年4月に社内講習会を実施していました。そのなかで「公共工事発注者支援技術者の心得」として公務員の立場、禁止行為等を詳細に記載した説明資料も配布していました。
Xは平成27年から平成30年までこの講習を受講していました。しかしXは「担当技術者がみなし公務員に当たるという説明は聞いていないし、公務員倫理の説明は、担当技術者が国土交通省の職員と接する際、同職員が服する公務員倫理に注意して付き合わなければならないことだと思っていた」と弁解しました。
しかし裁判所の判断は次のようなもので、収賄罪が成立すると判断しました。
「講習会の内容からすれば、担当技術者等が公務員と同様の規律に服することの意識付けが講習会の重要テーマとなっていたことは明らかであるから(中略)被告人がその説明を全く聞いていなかったとは考え難い」「被告人は現場責任者の立場で管理技術者の代務者として職務を行っていたのであって、発注者側の立場で公共工事に関与することになることを十分に認識していたものである」
また、Yは株式会社cとの直接雇用を望んでいました。そのことを伝えると、Xは「うちを通してもらわなければ困る」「直接雇用するならすればいい。ただ、通るもんも通らなくなるぞ」「俺はただの施工管理じゃないぞ、社長だぞ」などと言い、やむなくYは派遣社員となったという証言がありました。判決は以下の通りです。
判決
「民間に委ねられた公共サービスに従事するみなし公務員であった被告人Xは、工事請負業者に労働者個別派遣契約を締結するように迫り、不正な利益を得たものである。懲役1年6月、執行猶予4年、113万597円の追徴」(令和元年7月5日 神戸地裁)
みなし公務員が受託収賄罪で有罪となった事件では、本人がみなし公務員であることを知らなかったケースが多いようです。理事や委員の職務を引き受ける場合など、ちょっと気を付けたほうが良さそうです。