【宮本充也】生コン革命児の次なる一手。「アメックスで生コン購入」という衝撃

長岡生コンクリート代表取締役社長、元気な生コンネットワーク(GNN)設立者、宮本充也氏

【宮本充也】生コン革命児の次なる一手。「アメックスで生コン購入」という衝撃

カルテルを結んでも「疲弊」する、生コンクリート業界

地球上で「水の次」に流通量が多いとも言われる、生コンクリート。

しかし、日本国内の生コン出荷数量は、平成2年度の約1.9億m3をピークに、人口減少と共に下降の一途をたどっている。平成28年度の生コン出荷数量は、平成2年度比で42.4%と半分以下だ。

しかも、日本の生コンクリートの流通体系は、「縦型閉鎖的」という問題も抱えている。生コン工場はカルテル(独占禁止法22条の適用除外)が認められ、およそ9割は「生コンクリート協同組合」を通じた保守的な商流に乗らざるをえない。

また、生コンクリートは品質上、出荷から荷下ろしまでを90分以内に済ませなければならないため、受注できる生コン工場は地域を限定されることになる。どれだけ有能な生コン工場の経営者も、自ら生コンクリートの需要を創造することができないし、どこまでも受け身の姿勢で操業せざるをえない古い業態だ。

ある生コン関係者は「需要が減っているのに、ほとんどの生コン工場は、建設業界と生コン組合にぶらさがって、口を開けて待っているだけ。このまま疲弊していくしかない」と悲壮感をにじませる。

しかし、そんな生コン業界を尻目に、旧来然とした常識を、次々と打ち破る一人の革命児がいる。

有限会社長岡生コンクリートの代表取締役社長で、「元気な生コンネットワーク(GNN)」を主催している、宮本充也氏だ。

2年前に工場を移転し、プラントも新設。設備投資額は5億円超。「今時こんな勇気のある生コン屋は少ない」と宮本氏は笑う。

当然、宮本氏の挑戦的な取り組みに対する、生コン業界内での風当たりは強い。

しかし、長岡生コンクリートへの見学希望者は増え続け、「元気な生コンネットワーク(GNN)」の加盟企業は、すでに全国105社に達した。国内の生コン工場では唯一、Webマーケティングにも注力し、ネット経由での受注量を昨年の2倍に伸ばしている。

閉塞感が漂う生コン業界。——その新時代を切り拓く、生コン流通の革命児に、思う存分語ってもらった。

写真の白い粉は「Re-con ZERO」。セリエA「サッスオーロ」のオーナー企業で、ツールドフランスのスポンサーとしても有名なイタリアの建材メーカー「MAPEI」社と「長岡生コンクリート」が共同開発した。建設現場で発生するゴミ「戻りコンクリート(残コン)」に混ぜるだけで再利用可能になる。ちなみにMAPEI上級研究員の息子は、長岡生コンクリートに勤務している。


絶望的な生コンクリートの需要減

「この会社を早く潰したかった」。2001年(平成13年)、明治大学政治経済学部を卒業後、すぐに長岡生コンクリートを継いだ宮本氏は、役員の親族を含め、従業員の多くをクビにしていった。

先代の社長である父親は、宮本氏が小学校4年生のときに脳溢血で急逝。その後、長岡生コンクリートは一時期、他人に乗っ取られたが、母親が訴訟を起こし、泥沼裁判の末、宮本家に経営権が戻った。

しかし、宮本氏が2代目社長に就任した当時、伊豆長岡町(現・伊豆の国市)界隈ではダンピングが横行し、大規模工事が発生するたびに、生コンクリートの単価は1m3あたり1,000円ずつ下落していた。

「生コンの出荷量は下降の一途をたどり、出荷しても原価割れ。経営状況は最悪だった。僕はロスジェネ世代ど真ん中で、社会人未経験で社長になったはいいが、貧乏くじを引いた感がハンパなかった。しかも、生コン市場が今後さらに低迷することは明らかで、いっそ潰れても構わないという覚悟で、やけくそになって不採算部門の人件費から削っていった。」

長岡生コンクリートの創業は1966年(昭和41年)。当時、生コンクリートは高度経済成長を支えるインフラの基礎資材として、供給が追いつかない好景気だった。大手セメント企業は版図を拡大すべく、都内湾岸エリアや都心部に直系の生コン工場を出店する一方、安定的な生コンクリートの需要が見通せない地方都市や山間僻地では、地方の富裕層向けに「生コン儲かりまっせ」というフランチャイズばりの勧誘を繰り広げた。それに乗った形で長岡生コンクリートも温泉地・伊豆に誕生した。

以降、日本国内の生コン出荷数量は、1990年(平成2年)に2億m3にまで迫る勢いを見せたものの、宮本氏が会社を継いだ2001年(平成13年)には、生コン出荷数量はおよそ1.4億m3と隆盛期の約70%まで減少。さらにリーマン・ショックが起きた2008年(平成20年)には約51%まで落ち込み、2016(平成28年)には約41%と、生コンの需要はどんどん減少し続けている。

開発よりも「販路」が課題の生コン事情

そんな苦境の中で、長岡生コンクリートの転機となったのが「透水性コンクリート(ポーラスコンクリート)」との出会いだった。

透水性コンクリートとは、和菓子の「雷おこし」のように骨材が点で接着する構造を持つ、「空隙」の多いコンクリートだ。駐車場などの土間コンクリートに用いれば、雨が降っても空隙を通じて地中に透水するため、水たまりができにくく、水勾配を考えずに施工できる利点がある。しかし、30年以上昔から知られている便利な技術でありながら、透水性コンクリートが世間に浸透していないのは、それなりの理由があった。

空隙が多いということは構造的に脆いことを意味する。そのため既存技術では、樹脂系ボンドを混入して接着強度を補完するのだが、生コン工場にとってボンドを使うことは非常に負担が大きく、通常の生コンを製造しながら並行して透水性コンクリートを出荷するのは不可能だった。

「よほど大規模な現場でなければ、生コン工場は製造したがらないし、高度な技術が要求される。でも需要はある。だったら、ボンドを使わない透水性コンクリートを開発すれば、低迷する生コン産業でも新たな市場を獲得できるんじゃないか。後先のない20代の僕にとっては、これに賭けるしかなかった。」

当時、長岡生コンクリートの生コン納入先には、株式会社フッコーという老舗の高機能壁材メーカーがあった。宮本氏はフッコーの副社長・杉山成明氏と交流する中で、透水性コンクリートの存在を知ることになる。すでにフッコーは新規事業として、透水性コンクリートに注目していたが、閉鎖的な生コン業界の協力を得られず、商品開発に乗り出せずにいた。

そこで宮本氏は杉山氏と透水性コンクリートの共同開発に着手し、試行錯誤の上、樹脂系ボンドを使わない完全無機材による製造方法を確立。透水性コンクリート「DRY TECH」を開発した。


長岡生コンクリートが開発した透水性コンクリート「DRY TECH」

「最初からモノができることはわかっていた。生コン工場と壁材メーカーのチグハグな共同開発だったが、壁材は接着技術、一方、生コンは圧縮に耐える技術なので、理屈は簡単。F材(結合材)を入れることで、ポーラスコンクリートの接着強度を補うことに成功した」と振り返る。

しかし、生コンのビジネスは、そう一筋縄ではいかない。「技術を開発するよりも、販売・流通のほうが難しい」という大きな壁が立ちはだかった。


受注しても売れない「商圏90分」という呪縛

生コンクリートの商圏は、距離的な制約を受ける。「JIS A 5308(レディミクストコンクリート)」の規定によって、生コンクリートの出荷は荷下ろしまで90分以内と定められているので、例えば、東京都の現場で使う生コンを、静岡県の工場に依頼することは事実上不可能。生コンクリートの商圏は極めて狭い。

しかし、「これが生きる道」と信じて疑わない20代の宮本青年は、2005年(平成17年)から長岡生コンクリートの新規事業として、透水性コンクリートの普及活動をスタートし、手当たり次第、地元の静岡県だけでなく、東京、神奈川、大阪、名古屋など、主要都市に遠征して飛び込み営業をかけた。「〜設計」「〜建設」「〜土建」「〜造園」「〜工務店」という看板が目についたら、片っ端から訪問して、透水性コンクリートがいかに優れているかセールスしまくった。

「1日に30件回るなんてザラ。いま考えれば、完全に的外れの営業だった。そもそも生コン工場には、セールスとかマーケティングという概念がないことも知らなかった。とにかく行き当たりばったりだったが、中にはそんなデタラメな営業を面白がってくれるお客様もいて、『じゃ、今度の案件に採用してみようかな』と成約することもあった。」

長岡生コンクリートは生コン工場の最先端を進む。受注管理、生コン製造まで全てデジタル化。

しかし万が一にも、長岡生コンクリートが工場を構えている伊豆の国市の近隣で、工事案件が発生することはない。関東圏ならまだしも、東京の設計事務所だからといって、その図面は東京の現場とは限らず、北海道の案件だったり、沖縄の案件だったりする。つまり、全国どこでも案件の発生する可能性があるのだが、伊豆の国市からわざわざ透水性コンクリートを届けるのは事実上不可能だった。

「たとえ営業が結実しても、その案件が発生した地域の生コン工場に、透水性コンクリートの製造を依頼する必要が出てくる。受注の数だけ、その土地の生コン工場と交渉しなければならない。でも、僕のようなワケのわからない若造に対して、すべての生コン工場が協力してくれるわけもなく、不信感をあらわにする生コン工場や、『いくら貰っても協力できん』と憤る生コン工場もあった。しかも、ポーラスコンクリートの先行製品(佐藤渡辺のパーミアコン)が生コン業界に浸透させた『ミキサーにボンドを入れる』という既存イメージが強烈で、生コン工場の協力を得るのは苦難の道のりだった。」

それでも、透水性コンクリートの製造には、各地の生コン工場の協力が欠かせない。宮本氏は、受注があるたびに少しずつ少しずつ、全国行脚して小さな生コン工場とのアライアンスを形成していった。そして約5年後、長岡生コンクリートは、日本全国の現場に、透水性コンクリートを納品可能なネットワークを構築するに至った。宮本氏の無謀なセールスの延長線上に、生コン工場の新たなネットワークが誕生し、「商圏90分」という生コン業界の呪縛を突破した形だ。

長岡生コンクリートはコンクリートミキサー車のナビゲーションもデジタル化。オフィスはフリーアドレス。

2011年(平成23年)4月、このネットワークは、生コン産業が元気になるように、という願いを込めて、「元気な生コンネットワーク(GNN)」と命名された。GNNは今や105社が参加する日本最大の生コン工場アライアンスに成長。全国に生コンクリートの販売網を持てるようになった加盟企業同士でイノベティブな製品開発をスタートする事例も増えてきている。

それだけではない。宮本氏は今年から、クレジットカードで生コンを購入できる前代未聞のサービスもローンチした。これによって、生コンを購入する側も、従来の「生コン組合」や「地域」という、一本化された生コン流通網の呪縛から解放される可能性が広がった。


一本化された生コン流通網の呪縛

そもそも生コンクリートは、国や自治体、ディベロッパーなどがゼネコンに工事を発注しなければ、大口の需要が発生しない。しかし実際に工事を施工するゼネコンが、生コン工場と直接取引することはまずない。なぜなら、ゼネコンと生コン工場の間には、大中小の商社、あるいは地場の商社、そして生コンクリート協同組合が入って取引されるのが通常だからだ。

「つまり、『発注者→ゼネコン→商社→生コン組合→生コン工場』という、縦のヒエラルキーで考えれば、生コン工場は底辺に位置し、中間マージンが発生している。正確な統計は存在しないものの、日本の生コンの9割は、こうした生コン組合を介した保守的な形で流通している。ゼネコンにとっても、生コンの供給元を選択する自由度は低い。」

生コン組合に加入していない工場、いわゆる「アウト工場」による直接取引や、スポットと呼ばれる小口の生コン流通も存在するが、多くの生コン工場は、地場の固定客を相手にした業態であるため、一見さんが購入するハードルは高い。例えば、小規模な建設事業者がいつもとは違う土地で仕事をする場合、地域によっては生コン組合が商流を一本化していることもあり、生コンを購入するのに苦労する。

「タウンページを片手にその地域の生コン工場に片っ端から電話して、ようやく購入先を確保できたとしても、与信がないので現金取引が基本で価格も比較的高額になりやすい。こんな既存客しか相手にしない産業が伸びるわけがない。Airbnbやコンビニみたいに、どこでも生コンを買えたっていいじゃないか。」

宮本氏は全国どの地域でも生コンを購入できる仕組みを構築するため、アメリカン・エクスプレス(アメックス)と提携した。Webサイトでアメックスカードのアカウント登録を済ませば、GNNのネットワークを通じて、全国どこでも生コンが買える。しかも、50日間の支払い猶予があるので、建設事業者や専門工事業者にとってはキャッシュフローも改善する。購入金額100円につき、1ポイントの永久不滅ポイントも貰える。

「生コンは建設事業者にとって必要消費材だから、いずれにせよ買う必要がある。生コンの単価を考えると、貯まったポイントで社員旅行や高級車を買うのも夢じゃない。もちろんポイントで生コンも買える。しかし、この仕組みでもっと大切なのは、価格の正当性を判断できるようになること。従来は知らない土地で生コンを購入する際、不当な金額でも生コン工場の言い値で買うしかなかったが、GNNの存在によって価格比較が可能になる。もちろん、GNNのほうが金額が高ければ、違う工場から買えばいいだけ。もう一つの選択肢を提供した意味は大きいと思ってる。」


元気な生コンネットワークと、既存の生コン組合の関係は?

日本の生コン工場は、カルテルが認められている。社会インフラの礎を担う生コン工場は中小零細企業が中心なので、国が保護しないと危ない、という理屈である。しかし、これは世界中で日本だけのロジックだ。中小企業の保護とは名ばかりで、大手セメント企業の傘下や、上場企業のグループ会社の生コン工場も多い。

「僕はもともと右肩上がりの経済成長を前提に設計された生コン組合のあり方そのものに限界が生じてきていると思う。生コン組合は、セメント資本都合の価格維持、セメント市場の安定化を優先している印象も強いし、一部では、不当な価格高止まりや、淘汰されるべき企業の保護にもなっているとの指摘もある。現状の生コン市場は、どうしても商社と生コン組合との交渉に委ねられ、組合員は『みんな同じ』が基本原則なので、技術力を磨いても評価される仕組みがない。だって60〜80歳の年寄りがi-Constructionを指導するなんて冗談みたいでしょ?生コンなのに流動性が極めて低い、硬化しきった市場だと、皮肉も言いたくなる。」

しかし、宮本氏は生コン組合を敵視しているわけではない。むしろ逆に、生コン組合に育てられたという感謝の意識が強い。だからこそ、生コン組合の秩序を保つために、GNNという域外の活動をしている、という強い気概を持つ。

生コン業界の異端児にして革命児

「僕は地元の組合では、完全な異端児。GNNばかりやってないで理事会にも来なよと注意される。でも今後、人口減少と共に国内の生コン市場が縮小するのは明らかだというのに、生コン組合は今でも組合員数の維持を目標としている。これはお腹をすかせた猛獣(生コン工場)が何匹もいる檻の中(生コン組合)に一枚の生肉を放り投げるようなもの。だから現行の組合組織では、新時代の生コン業界は保護できない。僕は、生コン組合の秩序を保つためにも、GNNによる新しい生コン業の創造が必要だと信じている。既存流通の生コン需要が激減する局面を迎えても、小さな生コン工場がゆとりをもって経営を維持できれば、それは組合にとっても必ずプラスになる。」

そのため、GNNでは、強くてしなやかな生コン工場の経営に役立つワークショップやWEB交流(テーマごとのメッセンジャーグループ)などにも盛んに取り組んでいる。年3〜4回開催しているGNNの勉強会は、もはや既存の全国組織よりも活況を呈するようになってきた。生コンピタゴラスイッチと称して、複数の重機で生コンをリレーする「遊び」も盛況だった。そして今や、国内の大手ゼネコンや建設コンサルタントに留まらず、海外企業との共同開発の実績も豊富だ。

「GNNは従来型の組織のように、誰かが上げ膳据え膳で全てを用意してくれるような場所じゃない。だからGNNの勉強会で寝ている人はゼロ(笑)。自主的に行動に移さなければ、何も得るものはないし、逆に積極的に自分から情報発信したり、共同開発の仲間を探したりできる。GNNは地域や既存の枠組みを超えたアライアンスであり、一番必要なのは自らの問題意識を根底とした主体性。僕が田舎の生コン屋に入ってから感じていた底辺の苦しみや、下りエスカレーターに乗ってしまった絶望感、そんな僕のような中小零細企業の人たちが主体性を持って連携することによって、それなりの努力の成果が得られる。生コン業者に『主体性』という火をともす仕事が僕のやりがいになっている。」

宮本氏は「生コン」「危機感」「元気」を共通項とするGNNのメンバーに、自社のノウハウもすべてオープンにしている。今回の取材時も、GNNの活動に興味を持ったという複数の同業者が、遠方から長岡生コンクリートへ工場見学に来ていた。

自分と同じような人たちのために、自分の全てを捧げる。——これが今の宮本氏の信条だ。

宮本氏の熱い行動・発言は、生コンポータルで読むことができる。

ピックアップコメント

GNNを知らないコンクリ屋はもぐりですよ。

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「施工の神様」創刊編集長。建設関係の方は気軽にメールください。「施工の神様」に対するご意見やご批判、一緒に飲んでみたい、いろいろ話をしてみたいなど、どんな内容でもOKです。2019 土木学会 若手PU委員会 副幹事長 Facebook:https://www.facebook.com/100015053384927
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