絶望的な生コンクリートの需要減
「この会社を早く潰したかった」。2001年(平成13年)、明治大学政治経済学部を卒業後、すぐに長岡生コンクリートを継いだ宮本氏は、役員の親族を含め、従業員の多くをクビにしていった。
先代の社長である父親は、宮本氏が小学校4年生のときに脳溢血で急逝。その後、長岡生コンクリートは一時期、他人に乗っ取られたが、母親が訴訟を起こし、泥沼裁判の末、宮本家に経営権が戻った。
しかし、宮本氏が2代目社長に就任した当時、伊豆長岡町(現・伊豆の国市)界隈ではダンピングが横行し、大規模工事が発生するたびに、生コンクリートの単価は1m3あたり1,000円ずつ下落していた。
「生コンの出荷量は下降の一途をたどり、出荷しても原価割れ。経営状況は最悪だった。僕はロスジェネ世代ど真ん中で、社会人未経験で社長になったはいいが、貧乏くじを引いた感がハンパなかった。しかも、生コン市場が今後さらに低迷することは明らかで、いっそ潰れても構わないという覚悟で、やけくそになって不採算部門の人件費から削っていった。」
長岡生コンクリートの創業は1966年(昭和41年)。当時、生コンクリートは高度経済成長を支えるインフラの基礎資材として、供給が追いつかない好景気だった。大手セメント企業は版図を拡大すべく、都内湾岸エリアや都心部に直系の生コン工場を出店する一方、安定的な生コンクリートの需要が見通せない地方都市や山間僻地では、地方の富裕層向けに「生コン儲かりまっせ」というフランチャイズばりの勧誘を繰り広げた。それに乗った形で長岡生コンクリートも温泉地・伊豆に誕生した。
以降、日本国内の生コン出荷数量は、1990年(平成2年)に2億m3にまで迫る勢いを見せたものの、宮本氏が会社を継いだ2001年(平成13年)には、生コン出荷数量はおよそ1.4億m3と隆盛期の約70%まで減少。さらにリーマン・ショックが起きた2008年(平成20年)には約51%まで落ち込み、2016(平成28年)には約41%と、生コンの需要はどんどん減少し続けている。
開発よりも「販路」が課題の生コン事情
そんな苦境の中で、長岡生コンクリートの転機となったのが「透水性コンクリート(ポーラスコンクリート)」との出会いだった。
透水性コンクリートとは、和菓子の「雷おこし」のように骨材が点で接着する構造を持つ、「空隙」の多いコンクリートだ。駐車場などの土間コンクリートに用いれば、雨が降っても空隙を通じて地中に透水するため、水たまりができにくく、水勾配を考えずに施工できる利点がある。しかし、30年以上昔から知られている便利な技術でありながら、透水性コンクリートが世間に浸透していないのは、それなりの理由があった。
空隙が多いということは構造的に脆いことを意味する。そのため既存技術では、樹脂系ボンドを混入して接着強度を補完するのだが、生コン工場にとってボンドを使うことは非常に負担が大きく、通常の生コンを製造しながら並行して透水性コンクリートを出荷するのは不可能だった。
「よほど大規模な現場でなければ、生コン工場は製造したがらないし、高度な技術が要求される。でも需要はある。だったら、ボンドを使わない透水性コンクリートを開発すれば、低迷する生コン産業でも新たな市場を獲得できるんじゃないか。後先のない20代の僕にとっては、これに賭けるしかなかった。」
当時、長岡生コンクリートの生コン納入先には、株式会社フッコーという老舗の高機能壁材メーカーがあった。宮本氏はフッコーの副社長・杉山成明氏と交流する中で、透水性コンクリートの存在を知ることになる。すでにフッコーは新規事業として、透水性コンクリートに注目していたが、閉鎖的な生コン業界の協力を得られず、商品開発に乗り出せずにいた。
そこで宮本氏は杉山氏と透水性コンクリートの共同開発に着手し、試行錯誤の上、樹脂系ボンドを使わない完全無機材による製造方法を確立。透水性コンクリート「DRY TECH」を開発した。
長岡生コンクリートが開発した透水性コンクリート「DRY TECH」
「最初からモノができることはわかっていた。生コン工場と壁材メーカーのチグハグな共同開発だったが、壁材は接着技術、一方、生コンは圧縮に耐える技術なので、理屈は簡単。F材(結合材)を入れることで、ポーラスコンクリートの接着強度を補うことに成功した」と振り返る。
しかし、生コンのビジネスは、そう一筋縄ではいかない。「技術を開発するよりも、販売・流通のほうが難しい」という大きな壁が立ちはだかった。
宮本さん、マジかっこいい。マペイって凄いな。
良記事。門外漢だが、実態と課題が良く理解できた。
セリエA「サッスオーロ」のオーナー企業で、ツールドフランスのスポンサーとしても有名なイタリアの建材メーカー「MAPEI」社と「長岡生コンクリート」が共同開発した特殊な粉「Re-con ZERO」。建設現場で発生するゴミ「戻りコンクリート(残コン)」に混ぜるだけで再利用可能に。ちなみにMAPEI上級研究員の息子は、長岡生コンクリートに勤務している。
まじかっこいい
GNNを知らないコンクリ屋はもぐりですよ。
プロジェクトXとかガイアの夜明けとか情熱大陸に出てもおかしくないですね。
GNNの噂はよく聞く
良記事!これはおもしろい!
めちゃくちゃ良い記事発見〜
工事で生コンを使用していながら、生コン業界の現実を知らなかった・・・
自然災害が増加する日本ではさらに重要な資材となるはずです。
興味深く読ませていただきました。
大変勉強になりました。