前職はウェディングプランナー

片岡さん
――グリコンに入社した理由は?
平島さん グリコンに入る前は全然別の会社で働いていました。「ちょっと違うな」と思って、新しい仕事を探していたところ、グリコンの求人を見つけました。当時のグリコンは社員数名で、新卒社員を最初に採用した年度でした。「会社がどうなるかわからない分、逆に面白うそうだ」と思って、入社することにしました。良く言えば、「可能性に期待した」わけです(笑)。
――入社後はどうでしたか?
平島さん 入社後は、5年ほどNIPPOの支店に在籍し、いろいろと仕事の勉強をしました。
――片岡さんは派遣から正社員になったということですが、その前はどのようなお仕事を?
片岡さん もともとは京都にある下水道専門の建設コンサルタント会社で働いていました。下水処理場の設計とか合流式下水道の改善計画などを10年ぐらいやっていました。その後、会社が傾いていたころで希望退職しました。それで神戸のホテルのウェディングプランナーになりました(笑)。
――ウェディングプランナーですか?
片岡さん ええ、7年ほどやりました。その後、大阪のとある百貨店のブライダル部門に転職しました。そこで、今の夫と知り合い、結婚しました。ところが、夫が東京に転勤になったので、私も一緒に転居して、無職になってしまいました(笑)。ブランクはあったのですが、一応CADが使えるということで、人材派遣会社に登録しました。
ところが、なかなか雇ってくれる会社がなくて困っていたのですが、グリコンに雇っていただきました。CADオペとして働くはずだったのですが、なぜか設計補助としての仕事を与えられました(笑)。
――秋山さんの入社理由は?
秋山さん 私が就職したときは就職氷河期で、モタモタしてたら学校を卒業しちゃったんです(笑)。学校の先生からグリコンを紹介していただいて、それで入社しました。たまたまと言え、偶然の入社でした。そもそもグリコンという会社自体を知りませんでしたから(笑)。
その道のプロの「こだわり」にどう設計で応えるか

秋山さん
――グリコンで思い出に残る仕事はありますか?
平島さん 第二東名の設計ですね。沼津の30kmほどの区間の実施設計で、4年ぐらいかけてやりました。この間、もともと3車線だったものが2車線に変更されたり、いろいろありましたけど、新設の高速道路で、これだけの延長の設計したのはこの工事ぐらいなので、印象に残っています。工事になってからの変更設計にも関わりました。それと、先ほども申し上げたオリンピックのマウンテンバイクコースの設計です。
マウンテンバイクコースの設計は、南アフリカの設計・監修会社と共同で仕事しました。国際的な仕事は、キーパーソンとしっかり絡まないと仕事ができないんですよ。「ここはもっとこうしろ」とか彼らのこだわりがあるんです。例えば、「ここはもっと日本っぽくしろ」と言われるのです。外国から見ると、日本のイメージはこうなんだと思うことが多々ありました。そういうことの調整などもやりました。
――そもそもマウンテンバイクコースの設計って、どういうことをするのですか?
平島さん 基本的には自然のままの山の中を走る競技なので、なにか構造物をつくることはあまりしません。今回は、オリンピックなので、テレビなどで魅せるため、わざわざつくるものがいくつかあったということです。石の上を走るとか、橋をつくるとか、見せ場をつくるための施設の設計をしました。
――片岡さんのグリコンで思い出に残る仕事は?
片岡さん 今工事監理を担当しているサッカーグラウンドの設計ですね。今までの仕事の中でも規模の大きな仕事だからです。施工条件が厳しいので、いろいろ大変でした。地方自治体のサッカーグラウンドとは言え、プロチームが練習するグラウンドなので、関係者の施設面へのこだわりには強いものがありました。一方で、市民の公園としての機能も確保する必要があります。その辺のバランスを保ちながら設計するのは大変でしたが、印象深い仕事だと感じているところです。
――秋山さんはいかがですか?
秋山さん グリコンではなく、NIPPOでの仕事になってしまいますが、ヨーロッパとか中国とか、海外での自動車のテストコースの設計に関わったことです。テストコースは大きいので、Google Earthなどで探すことができます。
6年ほど前には、中国で造るテストコースの設計に携わった時は、1週間ほど現地へも出向きました。テストコースの設計は、自動車メーカーでありプロなので、いろいろなこだわりがあります。自動車メーカーやテストドライバーごとに、求めているものや好みなどが違ったりするんです。先方と何度もやりとりしながら、設計を進めていく作業になります。