ビッグプロジェクトを司る阪神高速のリーダー
阪神高速道路株式会社(本社:大阪市北区)は現在、大阪都心部における新たな環状道路(大阪都市再生環状道路)の実現に向け、淀川左岸線2期(延長4.4km)、淀川左岸線延伸部(延長8.7km)の建設を進めている。これらビッグプロジェクトを司るのが、大阪建設部の谷田豊さんだ。
阪神高速のビッグプロジェクトリーダーの紹介としては、大阪湾岸道路西伸部を担当する神戸建設部の広瀬鉄夫さん以来となるが、新規ビッグプロジェクトがめっきり減った昨今の建設業界を考えると、阪神高速の建設ラッシュぶりには、一驚を禁じ得ないものがある。
それはともかく、この谷田さんにお話を聞く機会を得た。阪神高速でのキャリアを振り返りつつ、土木技術者としての思いなどについて、話してもらった。
カタチに残るものを仕事にしたい
――土木に興味を持ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
谷田さん 私の父親が土木業界で働いていたので、土木は常に身近な存在でした。小さいころから「ものづくり」を仕事にしたいと思っていました。目に見えるもの、カタチに残るものを仕事にしたいということです。それで、大学で土木学科を選びました。私が大学入学するころは、半導体など電子工学、電気工学が花形でしたが、「電子だと目に見えないよなあ」と思っていました。
高校生のころに、青函トンネルを描いた「海峡」という映画を観たことも、大学で土木を学ぼうと思った理由のひとつです。幾多の苦難、苦悩の果てにトンネルが貫通するストーリーで非常に感動しました。この映画を通じて、土木技術者とはどういう仕事をするのかということがイメージできましたし、土木の泥臭い仕事も自分に合っていると思いました。
――大学ではどのような勉強をされたのですか?
谷田さん 研究室は鋼構造系でした。コンピュータでの解析を中心とした研究室でした。今と違って、誰でもコンピュータを持っている時代ではありませんでしたが、コンピュータに少し興味があったことと、公務員志望の学生が多く集まる研究室だったことから、この研究室を選びました。大学院までいきました。
――鋼構造に興味があったのですか?
谷田さん とくにこだわりがあったというわけではありませんが、用途に応じていろいろ工夫ができる構造物なので、研究を深めたいという思いはありました。
事業全体を俯瞰できるのは発注者の利点
――最初から公務員志望だったのですか?
谷田さん そうですね。事業全体を俯瞰できる、事業トータルに関わることができるのは、発注者である公務員と考えたからです。
また、当時ゼネコンなど民間企業に就職する際には、大学ごとに就職推薦枠というものがありました。人気企業の場合には、限られた推薦枠を巡って学生同士が競争することになります。私は、そういうカタチで仲間同士で争いたくないという気持ちもありました。
――それで阪神高速を選んだということですか?
谷田さん ええ。大学院1年生の時に運よく国家Ⅰ種試験に合格していたのですが、合格の席次があまり良くなかったので、どうしようかなと思っていました。そんなとき、阪神高速道路公団は、国家Ⅰ種に合格していれば、筆記試験が免除になるということを知り、また、研究テーマとしていた鋼構造物が多くあり、地元である関西に貢献できるという魅力もあって、最終的に阪神高速を選びました。
――阪神高速でこれをしたいというのはあったのですか?
谷田さん やはり、大学時代の研究テーマでもあった鋼橋の設計に携わりたいと思っていました。すぐではなくても、いずれはできるだろうという期待はありました。ただ、実際は一度も携わることはありませんでしたが(笑)。
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最初の仕事は淀川左岸線1期
――最初の配属先はどちらでしたか?
谷田さん 大阪第3建設部の調査課でした。第3建設部は湾岸線建設を担当していましたが、調査課だけは、湾岸線建設が終わった後の次の路線の調査をするのが仕事でした。そこで淀川左岸線1期を担当しました。正蓮寺川を埋め立てて、そこに地下構造で道路を通すという事業だったのですが、私は、工事着手前の地質調査や支障物件調査などの現地調査、地元説明などを担当しました。
――いろいろ大変な事業だったようですね。
谷田さん そうなんですよ。この正連寺川には、川の汚れや地域分断などの理由から住民から埋め立て要望がありました。その後、この川を埋めて、地上部は公園にして、その下に道路を通すという計画が持ち上がりました。川底には、5mほどの高さのヘドロが堆積していました。私の異動後となりますが、このヘドロ処理が非常に難航しました。PCBなどの汚染物質が確認されたことと悪臭対策が必要だったからです。
――その後はどのようなお仕事をされたのですか?
谷田さん 今年入社32年目になりますが、このうち14年が建設部門、2年が管理部門、残りの16年が本社の間接部門、または建設省や阪神高速グループ会社への出向といった感じになります。弊社には企画系、事業の予算や工程などの全体調整を行う部門があるのですが、後半は企画系部門が多かった印象があります。
――建設部門では、ほぼトンネルばかりに携わってきたということですか?
谷田さん 湾岸線南伸部2期や湾岸線西伸部では橋梁も担当しましたが、淀川左岸線や大和川線のように都市部の建設計画の多くがトンネル構造で計画されているので、そうなりますね。
おたくは偉くて現場の現状知らんやろうけど、あんたらが雇ってくる委託監督が、保身で作らせる、無駄な書類。あれ何とかしてよ。竣工検査で見ることなく終わるものばかり、、、
それと偉そうな態度。ほんまもんの発注者が偉そうにしとるのは100歩譲ってガマンするけど、なんでクソ委託が偉そうにしてんだよ