阪神高速ドボジョシリーズ第1弾【入社3年目 越野さん】
阪神高速道路株式会社(本社・大阪市北区)の「ドボジョ」たちに取材する機会を得た。阪神高速と言えば、首都高と双璧をなす「都市土木の精鋭集団」というイメージがあるが、そんなスゴい組織の中で、どんなドボジョが働いているのか、興味があった。
と言うことで、阪神高速で働くベテラン、中堅、若手3名のドボジョに対し、土木を学んだ理由、阪神高速の魅力などについて話を聞いてきた。阪神高速ドボジョシリーズ第1弾として、入社3年目の若手、越野まやかさんに登場してもらった。
一生食べていける仕事がしたい
――今はどのようなお仕事をしているのですか?
越野さん 構造物に関する補修補強設計を担当する保全技術課に所属し、主にコンクリート構造物の補修補強設計を担当しています。基本的にはデスクワークですが、たまに現場に出ることもあリます。
――土木との出会いは?
越野さん 大学の志望を決める高校3年生のときです。理系志望だったので、理系の分野の中で、大学での勉強が仕事に直結することをイメージしてどの分野にするかを考えました。そのときは「公園の設計をしたい」という思いがありました。だったら都市計画だということで、土木を学ぶことにしました。
――造園ではなく、公園の設計?
越野さん そうですね、どちらかと言うと、まちづくり的なイメージでしたね。まちなかにある大きな公園の設計とか。中学生ぐらいのころ、東京のまちなかにある公園を舞台にしたTVドラマを観たのがきっかけで、公園に興味を持っていたんです。
――ドラマを観て、公園にフォーカスするのはユニークですね。
越野さん なぜか印象に残ったんです。
――土木決め打ちで、大学を選んだと。
越野さん そうですね。まったく迷わなかったですね。学科名は都市デザイン工学科でしたが、中身は完全に土木です。
――例によって人を惑わす学科名で。
越野さん (笑)。昔は土木工学科だったのですが、それだと人が集まらないということで、名称を変えたみたいです。
実家から通える職場が良い
――大学ではなにを学んだのですか?
越野さん 土木の入口は、公園とか都市計画っぽいことでしたが、学んでいるうちに、橋梁に興味を持つようになりました。建設現場の見学にも何度か行ったのですが、橋梁の現場が多く、構造物としてのインパクトがあったからです。
結局、「土木をやるなら、大きな構造物に関わりたい」という思考に変わっていきました。それもあって、研究室はコンクリートの研究室を選び、橋桁の耐火実験などをしていました。大学院の修士課程まで行きました。
――就職活動はどんな感じでしたか?
越野さん 橋に関わる仕事をしたいという考えがありました。あと、私は実家が宝塚なので、仕事をずっと続けていくには、結婚とか出産とか、将来的なことを考えると、両親の力を借りやすい場所で働きたいという思いがありました。
土木業界は、普通に就職すると転勤が多いのですが、なるべく地域限定で安定して働き続けられるところを探した結果、阪神高速に行き着きました。
――自治体は選択肢には入りませんでしたか?
越野さん 阪神高速を選んだのは、大きな橋がたくさんあるからということもありました。自治体にも橋はありますが、阪神高速と比べると、小規模なことが多いんです。なので、選択肢としてあまり考えなかったです。
――地方整備局は?
越野さん 勤務範囲がけっこう広く、遠くで働く可能性があるので外しました。やはり、ほぼ大阪、神戸限定の阪神高速はスゴく魅力的でした。
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床版の設計って、どうすんねやろ?
――阪神高速に入ってどのようなお仕事を?
越野さん 最初の配属先は、今と同じ保全技術課で、今と同じ担当です。
――橋の建設ではなく、メンテナンスですが、それは大丈夫でしたか?
越野さん 抵抗感とか、落ち込むと言ったことはなかったです。インフラは、建設の時代ではなく、メンテナンスの時代に入っていることは、学生のころから知っていたからです。担当も、慣れ親しんだコンクリートだったので、不安もあまり感じませんでした。もちろん、初めて聞く言葉はたくさんありましたが、知っている言葉もあったので、すんなり仕事に馴染むことができました。
――仕事を覚えるのも、すんなりいった感じですか?
越野さん そんなことはなかったですね(笑)。大変なこともけっこうありました。次の技術開発ということで、床版取替えの試験施工の設計に何件か関わったのですが、実際の橋梁で施工するので、当然ですが、ちゃんとした設計をしないといけません。
ただ、当時の私には、「床版の設計って、どうすんねやろ?」、「基本問題も解いていないのに、いきなり応用問題が来た」という感じでした。夜遅くまで残ったりしながら、かなり時間をかけて設計しました。