立野ダムで働く入社2年目の若きドボジョ
熊本阿蘇に建設中の立野ダム現場を再び訪れる機会を得た。
この現場では、1年ほど前、立野ダムの施工を担当する西松JVの迫綾子さんに取材したことがある。またいろいろ話を聞かせてもらおうかなと思っていたら、「異動になった」という連絡が来た。
さて、どうしようかと思案したが、もう1人ドボジョがいたことを思い出した。ということで、立野ダムで働くもう1人のドボジョ(今は彼女だけだが)、西松JVの新田奈穂さんにいろいろ話を聞いてきた。
風通しの良さに惹かれ、西松建設に入社
――入社何年目ですか?
新田さん 2年目です。
――西松建設に入社した理由は?
新田さん ゼネコンの仕事には、高校生のころから興味を持っていたので、それで大学は土木学科に進みました。就活では、いろいろなゼネコンさんのインターンシップに参加したのですが、他の会社と比べて、西松建設の職場では、若い社員さんがノビノビと仕事をしていると感じたんです。「上の方の教育がしっかり行き届いていて、風通しが良い会社だな」ということで、西松建設に入社しました。
――西松建設のインターンではどちらの現場に行ったのですか?
新田さん 横浜湘南道路のシールド工事現場です。
――ご出身は?
新田さん 東京です。
――ゼネコンの仕事に興味を持ったきっかけなんでしたか?
新田さん 高校1年生のころに通っていた塾で、大学の先生が講義するイベントがありました。それで参加したある講義で、建設業の仕事について初めて知って、興味を持ったのがきっかけです。
ずっとダムをやりたかった
――大学では土木の何を学んでいたのですか?
新田さん コンクリートの研究室にいました。コンクリート材料というよりは、コンクリート構造物の研究室で、私はプレストレスト・コンクリートで設計したケーブル橋のケーブルが破断したときの構造物の挙動に関する解析などを学んでいました。
――「こういう構造物をやりたい」と思ったことはありました?
新田さん ずっとダムをやりたいと思っていました。会社にもずっとダムをやりたいと言ってきました。道路とか鉄道といった構造物は、身近な存在ですが、ダムって、洪水でも起きないと、その存在のありがたみを実感しにくいところがあります。それと、構造物としてダムは多種多様な工事があり、学ぶことがとても多いと思っていました。私が土木技術者として成長していく上で、一番最初に難しい現場で学ぶのが良いのかなということで、ダムの現場を希望していました。
――いきなり希望が叶って、良かったね。
新田さん そうですね(笑)。かなり強く希望を出したので。
――強く言えば、希望を聞いてくれる会社なんですか。
新田さん 何でも希望を聞いてくれるわけではないと思いますが、「どういう工事に興味があるの?」とか「勤務地はどこで働きたいの?」とか、いろいろ希望を聞いてくれる会社です。今でも、「今後はどういう業務をしたいですか?」とかのヒヤリングがあるのと自己申告制度もあります。
最初は1日中歩き回って、ヘトヘトに
――東京暮らしから一気に阿蘇の山奥へ来たわけですけど、大丈夫ですか?
新田さん それはある程度覚悟して来ました。今は転勤されましたが、現場に女性の先輩もいらっしゃったので、心強かったですね。
――現場に入って何を担当してきましたか?
新田さん 最初は、基礎掘削と法面を担当してきました。今は堤体の型枠とか鉄筋などの担当をしています。
――現場で大変だったことは?
新田さん やっぱり体力的な部分ですね。初歩の初歩のことですけど。1日ずっと歩き回るので、最初のころは、仕事が終って家に帰ると、もうヘトヘトで、すぐ寝てしまう日々が続きました。最近では、日中歩き回った後でも、内業をなんとかこなせるようにはなりましたが、慣れないころは、「先輩方々はよく内業もこなせるなあ」とただただ驚いていました(笑)。
――スポーツはやっていたんですか?
新田さん クラシックバレエをやっていました。なので、体力はあるほうだと思っていたのですが、全然ダメでしたね(笑)。
――なんか、使う筋肉が違うような気がする。
新田さん それはそうかもしれませんね(笑)。
同じドボジョとしてとても感銘を受けました!
これからも頑張ってください!