なんとなく北九州市役所を受けた
――就活はどんな感じでしたか?
角田さん 当初はコンサル志望だったのですが、インターンシップに行ったほか、ゼネコンや公務員の先輩方にも相談した結果、「定年まで働き続けるなら、公務員かな」と考えるようになりました。
――公務員の中で、北九州市役所を選んだ理由はなんだったのですか?
角田さん 私は生まれも育ちもずっと北九州市で、北九州市に住み続けたいという気持ちがあったからです。
――北九州市でどういう仕事をしたいというのはありましたか?
角田さん これをしたいというのはとくになかったのですが、先輩から「いろいろな仕事に携われる」というお話を聞いていたので、それは「楽しそうだな」とは思っていました。
――小林さん、就活はどうでしたか?
小林さん 私は佐賀出身で、大学に入学するまで、北九州市には一度も来たことはなかったのですが、4年間暮らすうちに、都会過ぎないけど、生活するのに困らないという、ほど良い感じが好きになりました。
私は性格的にコツコツやるタイプなので、公務員が向いているのかなという思いもありました。そういうことで、北九州市役所を志望しました。
――北九州市役所でどういう仕事をやりたいというものはあったのですか?
小林さん ハードよりもソフト的な仕事に興味がありました。枠組みづくりや制度づくりといったことです。
――白石さん、就活はどんな感じでしたか?
白石さん もともと公務員になりたいとは考えていましたが、とくに行きたい会社がなかったので、やはり公務員になろうと思いました。
就職を機に、地元を出てみたいという思いもありました(笑)。福岡県は都会なので、いろいろなことをやれるのかなと思い、学校に試験募集が来ていた北九州市役所を受けました。夏休みに学校の先生に土木の専門分野を教えてもらったり、公務員試験の夏期講習を受けて受験対策をしていました。
熊本地震の復旧支援に行き、炎天下で土嚢を積んだ
――北九州市役所ではどのようなお仕事をしてきましたか?
角田さん 最初の配属先は上下水道局の配水管理課というところで、配水管理システムの管理とか、水道管の漏水調査などを担当していました。あと、熊本地震の災害復旧支援として、発災後2ヶ月ぐらいのころに、益城町での活動に数日間参加しました。水道水が出ないという状況は、自分のふだんの生活からは考えられないことなので、貴重な経験でした。
私たち職員自ら仮設の配水管を設置したのですが、水道水が出た瞬間に住民の方々がスゴく喜んで、「北九州市の方々が応援に来てくれたおかげです」と直に感謝の言葉をいただけました。そこで改めて、日常業務で行っているインフラ整備の重要さを実感しました。夏場の暑い中、土嚢を積む肉体労働もして、かなりツラかったのですが、この仕事に就いて良かったと思いました。
上下水道局に3年間いた後、八幡西区区役所のまちづくり整備課に異動し、公園の維持管理業務などに携わりました。「公園の仕事がしたい」と希望を出したので、希望が叶ったカタチです。市民の方々と直接お会いする機会を持てたので、いろいろ勉強になりました。ここも3年間いました。今は建設局の街路課というところで、小倉北区にある大門木町線という都市計画道路の拡幅に関する設計などを担当しています。大変ですが、やりがいがあるので今の仕事が一番楽しいです。
私ってホント使えないな
――小林さん、これまでどのようなお仕事を?
小林さん 最初の配属先は建設局の街路課でした。八幡西区の都市計画道路中央町穴生線などの設計、発注を担当しました。そこは3年間いました。
――普通にハード整備のようですが、大丈夫でしたか?
小林さん 幸い、ガッツリ現場というわけではなかったので、必死で食らいついて、なんとか頑張りました(笑)。
――その次が今の職場ですか?
小林さん はい。八幡西区のまちづくり整備課で、市民の方々の要望を聞き取って、対応するという仕事だったので、すぐに成果が出るのが、前の職場との大きな違いでした。
都市計画道路の仕事は何十年もかかるので、仕事の成果を見届けられるということは、あまりありません。区役所の仕事は、早いときはその日に結果が出るので、市民から個人的に感謝のお言葉をいただくこともあります。すべてが身近なんです。もちろん、身近であるがゆえに難しいところはありますが。
――当然現場にも出ていたわけですよね。
小林さん そうです。現場監督もやりました。前の職場で道路の仕事に携わっていたとは言え、「私ってホント使えないな」と思うことがありました。たとえば、業者さんとやりとりするとき、言葉がわからないということがザラにありました。業者さんには、今でもいろいろ教えてもらっています。なので、分からないことがあったら、ドンドン質問するようにしています。