阪神高速は、橋梁のイメージが強かった
――就活はどんな感じでしたか?
奥西さん 当時の就活は今とは違い、ある程度学内で調整されていたと思います。当時も橋梁に対する未練はあり、業態についてはどうしようかと迷っていました。そんなときに阪神高速という会社を知り、橋梁のイメージが強かったこともあり、できれば橋梁に特化した仕事に関わりたいとの思いのもと、最終的に「ここしかない」ということで入社を希望しました。
八木さん さきほども触れましたが、とにかく道路が好きでした。とくに、地図を開いて、どこに道路を通すかを考えるのが好きだったので、新しく道路計画を立てる仕事に就きたいと考えていました。
あと、道路の中でも高速道路が好きでした。父親の実家が愛媛で、子どものころはフェリーで帰省していましたが、1日がかりで大変な思いをしました。その後、瀬戸大橋が架かり、内陸部の高速道路も整備されたことで、どんどんと移動時間が短くなり「高速道路ってスゴい存在やなあ」と思うようになりました。
そういうことで、高速道路会社である阪神高速に入社しました。民営化で、ちょうど公団から株式会社になるタイミングでした。
連続斜張橋でやっと橋に携われた(笑)
――これまでで印象に残っている仕事はなんですか?
奥西さん いろいろありますが、最近では、今現在関わっている大阪湾岸道路西伸部事業です。以前配属されていた部署で、これほどの大きなプロジェクトに当社が参画するタイミングで携わることができた仕事、という意味で大変印象深いです。
あとは、入社時に配属された部署で、保全の仕事に携われたことです。学生時代、保全という仕事に対してあまり意識することがなく、実際に仕事に携わってみて、メンテナンスという仕事の大変さ、大切さ、奥深さに気づかされました。現場部署ではありませんでしたが、私自身数少ない保全部門の経験の一つとなりました。
その他、工事事務所での経験は今でも非常に大きな糧になっていると感じています。街路での工事規制を張るための協議からスタートし、橋梁基礎・橋脚・上部工事と、幸いにも一連の橋梁工事の行程に関わることができたことは、今でも貴重な経験となっています。
――久しぶりに橋梁建設の仕事に関われたという感じですか?
奥西さん そうですね。大阪湾岸道路西伸部の事業は、阪神高速としても、久方ぶりの長大橋建設プロジェクトになります。「橋をやりたい」と入社したことを久しく忘れていました(笑)。
京都線のランプ名称に思いを巡らせた

鋼製橋脚耐震工事基部補強鋼鈑取付出来高検査中の八木さん(阪神高速写真提供)
――これまでで印象に残っているお仕事は?
八木さん 民営化前後の入社当時が一番思い出深いですね。民営化後、会社は新たな枠組みで事業を行うことになったわけですが、会社としても初っ端のタイミングで手探り状態のなか、国からの事業許可とか、高速道路機構との協定締結といった仕事に携われたのは大きな思い出です。
あと、2年目に供用直前の阪神高速京都線に携わったことも、印象深い仕事です。ランプの名前を決めるに際し、その素案づくりに携わったのですが、一部のランプでは自分が素案を考えた名称が、最終的に採用に至り今も地図に残っています。京都市は私の地元なので、スゴく嬉しいことです。
また、保全工事事務所での耐震補強工事やリニューアル工事の経験も印象深いです。リニューアル工事では、路線を一定期間通行止にして舗装補修やジョイント取替を行うのですが、ジョイント段差での走行騒音の解消のため、路面に這いつくばってジョイントの設置精度を確認しました。工事終了後、実際に走行騒音の解消を体感できたときの達成感は忘れられません。